喧騒の外側に流れる不思議な時間

田山 凪

第1話

 飲み会は嫌いだ。

 大して美味しい料理が出るわけでもないのに、たくさん食べられるほど食欲ないし、お酒もそんなに飲まない。調子に乗った男子が勢いで触れてくるとむかっ腹が立つ。しかも煙草臭い。

 でも、私もつくづく日本人だなと、愛想笑いをしつつ相手のノリに合わせて「酔いすぎ~!」とか、そんな馬鹿な返ししかできない。

 トイレに行くと一瞬だけ忘れられる。

 でも、ほかの部屋も同じように騒いで、ほかの人がトイレにやってくると「胸触られちゃった~」とか「がちぃ? もうとっちゃいなよっ!」とか、そんな下品な話が繰り広げられる。

 逃げ場はないのだろうか。


 トイレを済ませ部屋に戻る。

 扉を開ける手が重い。

 こんな人たちと、こんなところで、こんな風に騒ぐことの何が大事なんだろうか。

 私はなんのために数千円も払ってこんなとこにいるの?

 自問自答を繰り返してばかりで扉を開けられない。


 決心して扉を開けようとすると、室内から扉をあけられた。

 私は相手の胸元しか見えなかった。

 

「あ、ごめん」


 身長が高い人は声が低くなると聞くけど、この人は何センチくらいあるだろうか。

 見上げなきゃ目線を合わせられない。


「こっちこそごめん」


 そういって私はよけた。

 男子は右手で軽く手をあげ私にお礼をしそのまま通路を歩いていく。

 

「なにしてんのぉ? 早く戻ってきなよ」

「あ、うん」


 なぜか私はあの男子が気になっていた。

 あの人が向かった先はトイレじゃない。

 トイレはまっすぐ行ったところなのに、その人は左へ曲がった。

 つまりは店の入り口のほうだ。


 それからまた窮屈な時間が流れる。

 

 こういうのが楽しい人がいるのも理解しているつもり。

 もしかしたらこの中に私のように窮屈な気持ちで過ごしている人もいるかもしれない。

 だけど、それを隠している。

 いつからだろうか。こうやって本心を隠して遊ぶようになったのは。

 小学生の頃は良くも悪くも素直だった。

 好きなことは好きと言い、嫌なことは嫌と言った。

 告白するのだって緊張はしたけどはっきり本人に言えた。

 今思うと懐かしい。その男子は朝早くから登校してて、私は朝が苦手だったけどその子と仲良くなりたいから頑張っておきて、偶然を装って一緒に投稿した。

 少し急な坂を上がっている時に、私はその子のランドセルについてるストラップを掴んで引っ張った。


「○○くんのことが好き」


 はっきりと言った。

 本当はわかってくれるかもと思っていろいろとやってはいた。

 プールの時間でわざとちょっかい出して、その子の背中に乗っかったり、水をかけたり。スポーツ少女だったからか、それは少年同士の遊びの真似事みたいに捉えられたかもしれない。

 

 その子の返事は私が期待したものとは違った。


「僕なんかにはもったない。可愛いんだからもっといい人を見つけたほうが幸せになれるよ」


 それが私の初恋で、初めての失恋。

  

 どうして私は小学校の時の記憶なんか思い出してるんだろう。

 隣の男子が酔っぱらいながら腕を回し肩を組んできた。

 私は、咄嗟にその人を軽く突き飛ばした。

 私の友達はその様子を見て大きく笑い、それに釣られみんなも笑う。


「あきひろ振られたなぁ」

「酒の勢いで狙う相手間違えてるぞ~」

「もっと軽そうなやつ選べよバーカ」


 みんながそれぞれ面白おかしく話す。

 なんだろう。すべてがノイズに聞こえてきた。


「ごめん、ちょっと出てくるね」


 一刻も早くこんなところから出ていきたい。

 通路に出て扉をしめようとすると、友達が言った。


「気分転換に外にでも言ってきなよ。みんなにはバレてないけど私の目はごまかせないよ」

「……わかってたんだね」


 さっき大きく笑ってくれたのは私の嫌悪の表情がネタにしごまかすためだったのか。


「お店出て右の方に行くとミニクレープ売ってる露店があるからさ。甘いものでも食べて元気出して」

「ありがとう」


 本当にありがとう。

 なんていい友達をもったのだろうか。


 私は友達の言う通りお店を出て右のほうへと向かった。

 すると、ミニクレープ屋の近くの喫煙所にさっき扉の前で遭遇した男子が煙草を吸っていた。


「「あっ」」


 私たちは同時に声を出した。


「えっと、さっきの子だよね。なんでここに? もしかして僕呼ばれてる?」

「いや、私はちょっと気分転換に。友達がミニクレープのお店を教えてくれたから」

「そっか」

「……なんか飲む? ミニクレープ買うついでに買ってくるよ」

「じゃあ、コーヒー。ブラックで」


 遠慮はないタイプか。

 いや、遠慮してほしかったわけじゃない。

 むしろ遠慮されるのは好きじゃないほうだ。

 だって、こっちは行為で言ってるし、嫌だったらそもそも言わない。

 なのに一度断られるなんてむしろ迷惑だ。

 ……失恋した時から断られることに敏感になっているのかな?


「はい、アイスでよかったよね」

「うん。ありがとう。いくらだった?」

「別にいいよ」

「そっか。味わって飲むよ」


 ボロいベンチに座って私たちは無言の時間を過ごす。

 なぜだろうか。この人はいま横で煙草を吸っているのに嫌悪感がない。

 不思議な感じだ。


「……あのさ。なんでこんなとこで煙草吸ってるの? 店の近くにあったでしょ」

「騒がしいからね」

「飲み屋なんだから騒がしいに決まってるでしょ」

「そうなんだけどさ。なんかこう、気持ち悪い騒がしさだから」

「じゃあ、どうして飲み会に?」

「それは君もでしょ」

「えっ?」


 唐突な攻守逆転。

 いや、別に戦ってるわけじゃないけど。


「とても退屈そうにしてた。無理にみんなに合わせてさ」

「どうしてわかるの?」

「どうしてだろう。……同じだったからかな」

「そうなんだ」


 また少しの沈黙。

 私はクレープを食べて、この人はコーヒーを飲む。

 クレープ屋で隠れているから、だれもこの場所に来ない。

 そもそもクレープ屋自体あまり繁盛してない様子だ。

 飲み会終わりに来るのだろうか。


「星が綺麗だ」


 上を見てみると、確かに空には星が輝いている。

 少しくらいこの場所だからよく見える。


「天体観測が趣味?」

「いいや。趣味はぶらっと出かけること」

「あてもなく?」

「うん。行きたいと思ったら行く。自分の気持ちに素直にね」


 羨ましい。

 私もこんな風になれたらどれだけ楽だろうか。

 自己啓発本を読んでいろんな言葉を見ても私を変えられなかった。

 偉人の名言なんか見ても現実は変わらない。

 変えようと思っても無駄だったんだ。


「不思議な人」

「そう?」

「私が言えた立場じゃないけどさ。わざわざお金払って飲み会来てるのに、騒がしいからってこんなとこで、一人空を眺めながら煙草を吸うなんて、不思議でしょ」

「何事も一度はやってみないとね。大学の飲み会ってのがどんなものか知りたかった」

「全部があんな感じじゃないでしょ」

「だろうね。でも、僕が見たのはあれだ。ほかにどれだけ楽しい飲み会があろうと、僕はそれに巡り合えなかった」

「不運ね」

「同じさ」

「否定はできないね」


 とてもゆったりと流れる時間。

 さっきまでいたかもわからないこの人に、私は今意識を向けている。

 

「お酒は飲んだの?」

「いや、飲んだことあるお酒ばっかりだったから飲んでない」

「意味が分からない」

「同じもの飲んでもつまらないでしょ。」

「変な人」

「褒め言葉として受け取っておくよ」

「ポジティブで羨ましい限り」


 また煙草を吸い始めた。

 紺色のパッケージに鳥っぽい絵が描かれているあまり見たことのない煙草。

 身近でこれを吸っている人はいない気がする。


「吸うかい?」

「私、喫煙者じゃないんで」

「そっか」


 そういいつつ煙草を吸い始めた。

 普通こういう時ってごめんねとかいうんじゃないんだろうか。

 ……いや、喫煙所にいるのは私のほうか。

 

「人のことを良く見てるんだね」

「どういうこと」

「だって、僕が煙草の箱を取り出した時、しっかり見てたから」

「……確かに」

「観察力が鋭いのはいいことだね。でも、疲れないように気をつけなよ」

「よくわからないことを」

「見えるということは感じることにもなる。見えたものを脳が処理し心で感じるんだ」

「はぁ……?」


 何を言いだすのか。

 唐突で意味が分からない。


「まだ未熟な僕らは感じたものを処理するのに限界があるんだよ」

「でも、未熟なりに成長するのが人でしょう」

「そうだね。でも、みんな自分のカップにどれだけ水が入るか知らない。溢れた後に理解するんだ」

「それってストレスとか精神的なこと? なんか小説みたいな話し方するんだね」

「昔からよく言われる。面倒くさい人だって」


 確かに面倒くさい。

 だけど、言葉の内容は無視していいものじゃない。

 自分のカップか……。


「なんか変に達観してるけどさ、今まで何してきたの?」

「唐突だね」

「だって、ほかの人と違うじゃん」

「う~ん。興味の惹かれるほうに向かってるだけで、これといって特別なことはしてないかな」

「でたでた、出来る人ほどそういう」

「本当なんだけどなぁ。でも、強いて言うなら、好きなことをする前に嫌なことをしなくちゃいけないなら、僕は迷わずするってだけ」

「具体的に話してよ。頭良くないんだから」

「例えばさ、絵を描く人は生まれつき絵が上手なわけじゃない。そこにはいろんな技術を学ぶ時間がいる。勉強もそう。英語を学ぶなら文法や単語を覚えなきゃいけない。だけど、目的地ばかりみてそこまでにある道が見えてない」


 なんだかんだこの人が言っている言葉の意味が理解できて来たのは、こうやって一緒に過ごしているからだろうか。


「ほしいものを買う時にお金を払うように、目的地に行くために時間をかけるように、望みを叶えるためには何かコストがいる。時にそれが精神だったりね」

「試合本番とか」

「もしかして昔なにかやってたのかな?」

「小学時代にソフトボールをやってた。ピッチャーでさ、アウトにしなきゃ負けるって時は本当に心臓が苦しかった」

「その経験があるからこそ、飲み会で我慢できたんだね」

「友達にはバレバレだったけど」

「いい友達だ」

「私もそう思う」


 最悪な飲み会だとは思っていた。

 でも、友達が急遽強引に参加してきて何事かと驚いたけど、もしかして私のためのなのかな。いや、これはさすがに違うか。

 

「あなたはこれからどうするの?」

「帰ろうかなって」

「お金どうすんのよ」

「先に払っといた」

「もったいない」

「お金だけで済むならまだましだよ。お金は稼げるけど、時間は取り戻せないから」


 つくづくなんというか不思議で変な人。

 ちょっといじわるをしたくなってきた。


「私が飲み会でごまかしてたのバラされたくないからさ。あなたの恥ずかしいエピソード聞かせてよ」

「急におかしなことを言うね」

「初めて会ったんだから信用できない。だから教えて」

「……そうだなぁ」


 そう言いつつコーヒーを一口。

 深呼吸するように大きく息を吸って吐いて、ようやく話してくれるようだ。


「子どものころね、もっと素直になっとけばよかったなって」

「はっきり言ってよ」

「好きな人に告白されたんだけどさ。断ったんだよ」

「どうして? 両想いだったんでしょ。それこそもったいない」

「それは本当にもったいないよね。僕はさ、小さいころあまり自分が好きじゃなかった。周りに馴染めなくて、基本は一人で図書館にいて、たまに男友達に連れられて遊ぶくらい」

「まぁ、小学生の時は元気な子の主張が激しいからね」

「でも、こんな僕によく構ってくれる女の子がいた。たまに強引な時もあったけど、なんだか認められた様な気がしてね」

「それが好きだった子ね」

「そう」


 こんな不思議な人でも案外普通の人と同じように恋をしてるのはちょっと笑える。

 さっきまでよりも身近に感じられる気がしてきた。


「登校中、その子は僕に告白してくれた。すごくうれしかった」

「なのにどうして」

「好きだったからこそ僕はこの子を幸せにはできないって。僕みたいなのといるとろくなことがない。そう思ってね」

「昔はネガティブくんだったわけだ」

「そのあとすぐ転校したからさ。辛くなって。素直に行動しないと、本当に得たいものは得られないなって。理由をつけて現実から目を背けることはもうしないって」

「で、いまのあなたがいると」

「そんな感じ」


 特別感はない。

 ありがちと言えばありがち。

 だけど、この人にとってそれは初めての両想いで初めての失恋。

 その子が可哀そうだけど、きっともうテキトーにお相手を作ってるんだろうなぁ。


「さて、僕は帰るよ」

「私も帰ろうかな」

「君は戻るべきだよ」

「どうして?」

「素敵な友達が待っている。まだ少しの間は辛いかもしれないけど、終わったら愚痴でも聞いてもらうといい。きっとそのほうが一人で帰るより幸せになれるよ」

  

 そういうともう私を見ずに歩き始めた。

 この時、私はようやく気付いた。

 こんな身近にいたなんて。

 なんとも不思議な出会い。いや、不思議な再開。


「いまはさ、素直になってるの?」


 立ち止まり、ほどなくしてゆっくりと振り返り答えてくれた。


「素直に生きてるよ。あの時から、いまもね」


 そういうともう振り向かない。

 私はずっとあの人の後ろ姿を見ていた。



「……はぁ~~! 同じ人に二度フラれるなんて」


 人生二度目の失恋。

 だけど、私もしっかり大人に近づいている。

 きっとこの痛みもしばらくすれば忘れるだろう。

 あの星が夜明けと共に消えるように。


 

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