フェミニストと禁足地

公血

フェミニストと禁足地

武多由香梨たけだゆかりは生粋の男嫌いだった。

由香梨の男嫌いな性格が形成されたのは育った環境が大きい。

漁業関係者の父と祖父は粗野で気が荒く、常に生臭い魚の匂いをまとっていた。

兄と弟も下品で不潔であり、食事中も平気で放屁した。

そんな清潔感ゼロの男衆をつけあがらせるように、母と祖母は甲斐甲斐しく家庭に仕えた。


「女が甘やかすから男共がつけあがるんだよ」


そう何度も心の中で唱えたが、実際に口に出す事はなかった。

この馬鹿な男たちが反省し、自戒することなどありはしない。

所詮男と女は別の生き物。対話で思考が変わることなどない。


由香梨は男性という生命体は別の個体と割り切った。


皮肉な事に自身の外見は父親そっくりだった。

目が小さく鼻が大きい。顔も四角くゴツゴツとしていた。

胴長短足の昔ながらの日本人体型。

育っていく過程で自身の容姿をあげつらう者も多く現れ、そういう悪質な弄りをするのは決まって男だった。

そのような環境で育ったため男に絶望し恋愛はすっかり諦めていた。




いち早くこの家から出るため、高卒で就職した。

社会に出た由香梨を待っていたのは男尊女卑な世の中だった。

女が恩恵を受けられる場合は大抵容姿が優れた者だけだった。


由香梨はいつからかSNSに居場所を求め、フェミニズムに傾倒していった。

匿名のネット上では自身の容姿に左右されず自由に意見を発信出来た。

フォロワーという名の信者たちに囲まれ、自論は益々補強されていった。

いつからか由香梨は必要以上に男性を敵視する頑迷なフェミニストへと化していた。


そんな由香梨の元に一通のDMが届いた。

内容は仲の良いフォロワーAさんからの相談だった。


「わたしの実家の近くに女人禁制の禁足地があります。子供の頃は男の子たちは中に入れるのに女の子は立ち入り禁止のため納得がいかず、悔しい思いをしました。女人禁制とかふざけんな!って話ですよね。いつまで大昔の男共が勝手に作ったしきたりに縛られなきゃならないんでしょうね。考えただけで腹が立ちます。こういった理不尽な男主導の社会を変革すべく、今度皆で禁足地に行ってみたいと思います。(もちろん全員女性です)YUKARIさんもよろしければ一緒に行ってみませんか?」


女人禁制というフレーズは由香梨が大嫌いな言葉だった。

女人禁制は元々山などに住む女神と女を鉢合わせさせないためのしきたりだ。

それが仏教伝来により女性が穢れを持っているという思想が広まった。

それ以前の日本では卑弥呼に代表されるように女性が権力を持つことが珍しくなかった筈なのに。

男が自身の財産や権力を守るため段々と形を変え、女人禁制の土地、祭りが増えていってしまった。


ふざけやがって。

由香梨は激しい義憤に駆られAさんに参加する旨を伝えた。




当日。

最寄りのターミナル駅で待ち合わせ、Aさんが運転する車で例の場所を目指した。

5名の参加者は皆、自分と同じフェミニズム思想を持っているはずだった。

だが車内で交わされる会話のほとんどが、美容や芸能の話だった。

見ると自分以外の4名は服装も化粧も洗練されており、一等地で働くキラキラした

OLのようだった。


てっきり他の参加者も自分と同じように社会から爪弾きにされて苦しむ弱者女性たちだと思いこんでいた。

スクールカースト低辺で生きてきた由香梨にとって、この様な私生活も輝いている層の人たちとはまるで接点がなかった。

劣等感を刺激された由香梨は会話に参加出来ず、不機嫌でほとんどの時間をだんまりと過ごした。



一時間ほどで目的の地に到着した。

周囲一帯が見渡す限り田んぼであり、民家もない。

地平線を見渡しても、目に映るのは真っ平らな田畑だけだ。

そんな地にぽつんと一箇所緑の茂みがあった。

高さ20メートルほどの常緑樹がまとまった林だった。

広さはせいぜい小学校の校庭ほどだ。


遠くからでも嫌な雰囲気が伝わってくる。

由香梨は名状しがたい不気味さを感じた。


Aさんに案内され入り口に向かう。

色が風化し汚れた茶色と化した鳥居があった。

鳥居の脇には女人禁制と墨で書かれた立て札がある。

鳥居に近づくほど、軽いめまいと頭痛に襲われた。

もしかして本当にここは近寄っては行けない場所なんじゃ……。


由香梨の心配をよそに、女性陣は「キャー怖い」など甲高い声を上げながら楽しそうにはしゃいでいた。

Aさんを筆頭に躊躇ちゅうちょなく鳥居に立ち入っていった。


最後に残された由香梨は、自分の中で鳴り響く警報に戸惑い、一歩を踏み出せないでいた。

正直鳥居をくぐりたくない。こんな場所さっさとおさらばして今すぐ家に帰りたい。

だが地図アプリを立ち上げると駅までは歩いていける距離ではない。

Aさんの車に乗せてもらう必要がある。

ここまで来たら大人の付き合いだと思って行くしかない。


由香梨は意を決して鳥居をくぐった。



一歩足を踏み入れると体中に毒を流しこまれたような異物感を感じた。

初めてアルコールを飲み、二日酔いになった時の感覚。

体内に遅効性の有害物質が取り込まれたような不快感。

言語化出来ない症状に、由香梨の危険を察するアラームは音量を上げていった。


これは不味い。本気でやばい。

体調不良だと言って先に行くのは断ろう。

自分を置いてさっさと先行した一行には後でスマホで連絡すればいい。

由香梨は禁足地からすぐに引き返し、鳥居をくぐろうとした時だった。


「スゥァレエェーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」


耳をつんざく絶叫が聞こえた。

気が狂った女性が高いファルセットで声の限りに大音声を発しているかのようだ。

その音量が桁外れだ。

拡声器を使い大ボリュームで高音波を流しているのではないかと疑った。


鼓膜がやぶれそうだ!

慌てて耳を塞いだが、声が鳴り止まない。

どうして!?

力の限り耳を手のひらで塞いでいるのに、まるで音量は下がらない。

ボリュームMAXのヘッドフォンを無理やり付けられているかのようだ。


その場にうずくまり、体育座りで耳を塞いだ。

依然、音は鳴り止まない。

最早やかましいという不快感のレベルを超え、痛みに近い苦しみを感じていた。


「う、うあああああああ!」


由香梨は内耳に響く声に抗うため、自身も絶叫した。

それでも音量が中和されることはない。


目をつぶり、奥歯をギュッと噛み締めながら由香梨は立ち上がった。

三半規管をやられ、よたよたと蹌踉よろめきながら前に進む。


やっとの思いで鳥居をくぐりぬけた瞬間――。

声がピタリと止んだ。


ぜえぜえと荒い息を吐きながら、振り返る。


「一体なんなの……? あの声……」



こんなまともじゃない体験をした以上、一刻も早くこの場を去りたかった。

由香梨はAさんのLINEに電話したが、Aさんは電話に出なかった。

鳥居の外で待ち続けるのはどうしても嫌だったので、「体調が悪いので先に帰ります」と伝言を残して由香梨は歩き出した。

大通りの道路まで出るのに一時間以上歩いた。

タクシーを拾い駅まで乗せてもらって自宅に帰ると、ようやくAさんから返信が届いた。

内容は体調不良を心配するものと、「待っていてくれれば自宅まで車で送ったのに」という当たり障りないもので、由香梨が体験したあの女の絶叫は聞こえてなかったらしい。

由香梨はあの声を聞いたのは自分だけだと思うと、不気味で誰にも相談出来なかった。

今でも脳内であの女の叫びがリフレインしている。

早く消えてくれと呟いて床についた。




この禁足地での体験以来由香梨はなんとなくネットでのフェミニズム活動に力が入らなくなっていた。

同志だと思っていた仲間たちは実生活も充実したキラキラ女子だと知ってしまい、少なからず失望感を感じていた。

フェミニズムを利用してフォロワーを増やしたいだけの者や、交際相手や男友達にマウントを取られたから悔しくてフェミニストの仲間を増やしたなど、由香梨からは賛同出来ない動機の者が意外と多かった。

あれだけ頑強に信奉してた思想なのに今では大分緩い信仰になってしまっていた。


SNSと意図的に距離を置き始めた由香梨の元にAさんからLINEのメッセージが届いた。


『『DMにメッセージを何度も送りましたが、返信が無いので心配しております。もしこのメッセージがならお返事いただけますと幸いです。この度は私の身勝手な思いつきで甚大な被害をもたらしてしまった事、心から謝罪いたします』』


なにやら深刻な謝罪文が送られてきた。

陽気なAさんらしくない。

一体どういう事なのだろうか。

返信をしてみる。


『お久しぶりです。YUKARIです。DMに気付かなくて申し訳ございません。私のアカウントで全然ポストが無いことからお気づきかと思いますが、現在SNSはほとんど利用しておりません。こうしてLINEを頂いたという事はなにか急なお話なのでしょうか?』


私がメッセージを送るとすぐに既読がついた。

ほんの十数秒後に返信がくる。


『『良かった! まずは返信があってホッとしました。お体変わりはないですか?』』

『体調はまったく問題ないですよ』

『『本当ですか!? 実はあれから私たち皆酷い目に遭ったんです』』

『あれから?』

『『禁足地を訪れた後です』』


どういう事だ?

禁足地を訪れたその日の夜にAさんには連絡をしたが、当たり障りない内容の返信しかこなかった。あの大声も聞こえてなかったみたいだし。


『禁足地の鳥居をくぐってから私体調崩してしまって。それですぐに鳥居を出て家に帰ったんです』


私が禁足地の内部にほとんど立ち入る事が出来なかった事情を説明すると、Aさんは少しの間を置いて長文を連投してきた。


『『そうだったんですか。実は私たちあれから禁足地の奥に進みまして、奥に小さなほこらがあったんです。皆テンションが上がってしまいよせばいいのに祠の中の扉を開いてしまったんです。するとそこに真っ黒に変色したがあったんです』』

『『私たち怖くなっちゃって大慌てで逃げだしたんです。急いで車に乗り込んで駅までの道を心臓ドキドキさせながら帰ったんです。その時はスリルあふれる恐怖体験が出来たね、とか話しの種が出来てよかったねーみたいに軽いノリで済ませていたんです。ところが……』』

『『帰宅してから数日後、Bさんから「生理が止まらない」ってLINEが来たんです。何日も出血が止まらなくて婦人科に行き、精密検査を受ける旨を聞かされました』』

『『さらにCさんは下腹部に激痛が走り、病院に行ったところ子宮に癌が見つかりました。Dさんに至っては「ちつがいたい」っていうメッセージだけ残して音信不通になっています』』

『『私も陰部に痒みを感じたので病院に行ったところ複数の性病に感染していました。誓って言いますが私は不特定多数の人間と性行為をする人間ではありません。彼氏と半年前に別れてからHはまったくしてないとお医者さんに告げると「それはありえない。潜伏期間を考えるとが感染源の筈だ」と言われました。考えられるのはあの禁足地を訪れた事くらいなんです。もしかしてあの祠にあったは女性の不浄を封印した物だったんじゃないかと思えてきました。あの場所が女人禁制だったのは男性の権利を守るためではなく、女性の安全を守るためだったんです。今となっては本当に後悔しています。あんな禁足地立ち寄るんじゃなかった。本当ふざけんな私。あ、YUKARIさんが無事だったのは処女だからだと思います』』

『『こかんがかゆいのでしつれいします』』



一気に読み終えるとLINEの画面にはこう表記された。

「18:12 Aさんが退出しました」

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