娼婦

連喜

第1話

 ちょっと前の話だけど、新宿歌舞伎町に飲みに行った。一緒に行った人が有名な立ちんぼスポットの大久保公園に行ってみましょうと言う。前から興味があったから、興味本位でついて行った。ホスト狂いの若くてかわいい子がいるらしい。もちろん、声を掛けるつもりはないけど、どんな子がいるか冷やかしで見に行ってみようと思った。


 はっきり言って大久保公園がどこかよく知らなかったのだが、想像していたよりも若い世代の女性がたくさん立っていた。目立つくらいにかわいい子はいなかったが、取りあえず若いから許すという感じだろうか。みんなホスト狂いなのだろうかと興味深く見ていた。ホストにはまるくらいだから、精神的に乾いた子たちなんだろう。見た目は普通の子とあまり変わらないように見えるが、内面まではわからない。ホストなんかに金を使うより、おじさんが話を聞いてやるよ…なんて言う訳がない。基本的に人の話を聞くのはつまらない。だから、親身になってくれるホストに金をつぎ込んでしまうんだろう。


 知人は気に入った子がいたようで、高校生くらいに見える子に声を掛けていた。

俺に「じゃあ、また連絡するわ」と言って、女の子と去って行った。その子の顔をよく見るとまあまあかわいい子だったから、自分が一足先に声を掛けてけばと惜しくなった。


 しかし、性病も怖いし、後から美人局が現れたり、精神的におかしい子かもしれないから、面倒に巻き込まれる前に帰ることにした。自分でも馬鹿だと思うが、冷やかしついでにしばらくその辺を歩き回っていた。


 すると、若い子たちが並んでいるのに混じってお婆さんが立っていた。ちょっと衝撃的な光景だった。高齢になっても売春をしなくてはいけないような、経済的な事情があるんだろう。


 年齢的には八十歳くらいと思われた。頑張って化粧をしているのか、顔は白く浮き上がっていて、口紅は小さな唇からはみ出すように大きめに赤く塗られていた。ものすごく小柄だけど、姿勢はよかった。服装はデイサービスに行くお年寄りが穿く緩い灰色のパンツに、上は花柄のちりめんのような長袖を着ていた。俺は気の毒になって声を掛けた。


「こんばんは」

「お兄さん遊んで行かない?」

 おばあさんは悪びれずに言う。この道何十年というようなベテランの風格だ。

「はは。いくらですか?」

「五千円」

 安いような、高いような、よくわからない値段設定だ。

「じゃあ、お願いします」

 俺は現金五千円なら持っているな、と財布の中を思い浮かべていた。


「ホテル代は別だよ。大丈夫?」

「はは。そのくらいは大丈夫ですよ」

「あんた、サラリーマン?」

「はい」

 俺はちょっと笑ってしまった。スーツだったから普通はそう思うだろう。

「いくつ?」

「五十一です」

「大変そうだから四千円に負けてあげるよ」

「いいですよ!そんな…」

 千円くらい大して変わらないから、別に六千円でもいいのに。孫がいくつになっても小遣いをあげるようなものだろうか。

「金持ってそうだから、やっぱり一万円にするって言われるかと思いましたよ」

「言わないよ。私はそういうセコイ商売はしてないから」

 妙に話しやすいおばあさんだった。なぜか懐かしい感じがした。

「そこの、先にあるホテルでいい?」

「いや…そんな気分じゃなくて…」

「もしかして、初めて?」

「あははははは…」

 何言ってるんだろう。このおばあさん。俺は笑った顔のまま元に戻らなくなってしまった。

「それより、夕飯まだなんで…なんか食べに行きませんか」

「いいけど。奢ってくれるの?」

「はい。もちろん。何か好きなものはありますか?」

「そうねえ。ナポリタン食べたい」

「ああ、いいですね。この辺に喫茶店あるかな…」

 正直言っておばあさんを連れ回すのは気が引けた。この世代の人はあまり長時間歩けないものだ。

「そこの近所に喫茶店があるけど。行く?」

「はい」

「でも、カード使えるかな」

 俺はあまり現金を持っていない。

「お金大丈夫?」

「はは…じゃあ、そこのコンビニでお金下ろして行きます」

「あ、そう。やっぱりお金ないんでしょ」

「いやぁ。現金を持ってないだけで。お金はありますよ」

「男は見栄張るくらいがちょうどいいね」

「はは。お好きな物奢りますよ」

「悪いわねえ」


 並んで歩いていると自分の親と一緒にいるみたいだった。身長差がありすぎて声がよく聞こえなかった。俺は実母とは不仲でそんな風に一緒に食事に行ったことはないのだが。

 俺はおばあさんとすぐ近くにあった喫茶店に行った。店の外側はレンガのようなタイルが張ってあって、建物自体が崩れそうなくらい古かった。ガラスもあまり掃除されていないようで、曇っていた。しかし、中には意外とお客さんがいて、半分くらいの席が埋まっていた。


 二人でメニューを代わる代わる見ながら「何が美味しいんですか?」と尋ねる。孫とおばあちゃんみたいだった。実際は親子くらいの年齢差なのだが。

「ナポリタンが好き。ここは何でもおいしいよ」

「何か飲み物は飲みますか?」

「クリームソーダにしようかなぁ」

 好みが若いなと思う。まるで、若い子と一緒にいるみたいだ。

「じゃあ、俺も同じものにします」

 せっかくだから、おばあさんとデートのつもりで楽しもう。


「あんた、どこ出身?」

「〇〇です」

「ああ、そんな気がした」

「わかります?」

「うん。訛りがあるね」

「はは。そうですか?」

 俺は三十年以上東京に住んでいて、もう故郷のことなんて完璧に忘れていたのに。

「ずっと帰ってないんだろう?」 

「ええ。地元が嫌いで」

「まあ、東京の人はそういう人が多いよね」

「そうなんですか?」

「うん」

 実際そんなことはないと思いながら、包容力のあるおばあさんで、俺は引き込まれた。

「だって、東京なんてほとんど地方の人ばっかり」

「ちなみにどちらですか?」

「私も〇〇」

「えっ?ほんとですか?」

「うん。試しになんか聞いてみて」

「じゃあ…」

 俺は方言で喋ってみた。

「どうですか?」

 多分、東京の人にはわからないだろう。

 するとおばあさんは方言で返してくれた。俺は想像もしていなかったので、不意を突かれた感じになった。どうやら本当らしい。同郷の人にあって、嬉しかったのは初めてだった。

「びっくりしましたよ。うれしいなぁ」

「あんた、たまには墓参り行きなさい」

 俺ははっとした。もう何年行っていないか思い出せないほどだった。実は納骨の時以来行っていなかった。

「行きます。行きます…」

「何年も行ってないでしょ」

「はい」

「行かないとダメだよ」

 やっぱりお年寄りは信心深いものらしい。こんな人が立ちんぼをやっているなんて以外だった。

「それから、病院行ってる?」

「はい。毎年人間ドック受けてます」

「そう。そういうのは大事だよね。早く行った方がいいよ」

「はあ」

 

 喫茶店にいる間、話題のほとんどがおばあさんからのアドバイスだった。ああした方がいい、それはやめた方がいい、というような。


「お金は大事に使わないとダメだよ」

「はい」

「女を買ってたりしたら、金がいくらあっても足りないよ。今日でやめなさい」

「はい」

 俺は恥ずかしくなった。俺は女を買ったことなんてなかった。割とシャイだし、病気が心配だからだ。それから、売春してるような層の人が好きじゃない。


 俺はおばあさんと二時間くらい喋って、そろそろ終電近くなって来たのでおばあさんにそう伝えた。

「じゃあ、これ…」

「お金はいいよ。若い人とご飯食べて楽しかったから」

 おばあさんは言った。俺でよかったら週一回ぐらいは一緒に食事をしたいくらいだった。

「楽しかったです。ありがとうございました。また、あそこで会えますか?」

「ううん。もう、今日でやめようと思ってたんだよ。虫の知らせっていうの…なんか立ちたくなってね」

「じゃあ、僕が最後のお客さん?」

「そうなるかね」

「じゃあ…」

 俺は一万円渡した。

「いいよ。お金これからかかるんだから」

「いいえ。受け取ってください。もう、会えないかもしれないけど、元気でいてください」

「ありがとう」

 おばあさんは俺の手を両手でしっかりと握った。すごく小さくて、水分がないけど滑らかな手をしていた。


「帰り気をつけるんだよ」

「はい。お互いに」

 俺は笑顔でおばあさんに言った。


 帰りの道を歩きながら、俺は考えていた。

 変わったおばあさんだったな。


「仕事何やってるの?」

「コンサルティング会社で働いてます」

「何だかよくわからないね」

「お客さんに経営上のアドバイスをする仕事です」

「そう。でも、そういう横文字の会社は信用できないね」

「そうかもしれませんね。別に何か現物があるわけじゃないし」

 おばあさんは何も言わなかった。

「お金貯めといた方がいいね」

 確かにそうかもしれない。現在収入があるからと言ってどうなるかわからない。一寸先は闇だ。出費を減らさないと俺は本気でそう思った。


 俺は半分寝たような状態で、最終電車に乗っていた。椅子に座っていると寝てしまいそうだった。お年寄りの言うことは真実をついているものだ。ありがたいお言葉と思って心にとめておこう。


 俺が最寄り駅につくと、パトカーや救急車の音が鳴り響いていた。駅前には人がごった返していた。俺は何事かと思いながら、知らない人に話しかける勇気もなく家路を急いでいた。多分、火事やガス爆発などだろう。それで、半径数百メートルが立ち入り禁止になっているんだ。俺はまさか自分の家は関係ないだろう。火事なんてそうそうあるものじゃない。


 すると、家に向かう道が通行止めになっていて途中に警察官が立っていた。若い男の警官だった。規制線のちょっと先に消防車などが止まっていたけど、煙臭いということは全くなかった。普通の火事とは様子が違う。


「この先にに家があるんですが」

 俺は警官に声を掛けた。その人はものすごく気の毒そうな顔で俺を見た。俺の家が火事に遭ったとでも言わんばかりだった。


「さっき、陥没事故があったので、立ち入り禁止にしてます。ここから数十メートル先は陥没してて…ご心配だと思いますが、危険なので見に行かない方がいいと思います」


 そう。俺の家は陥没事故の被害に遭って地中に半分埋まってしまっていた。

 多分、地下水のくみ上げの影響だろうということだ。

 

 さっき会ったおばあさんのことを思い出していた。


「金貯めとかないとだめだ」

「もっと違う仕事したらよかったのにねぇ」


 俺は膝から崩れ落ちた。 


 でも、さらに考えたら、あの喫茶店の2時間がなかったら俺は家にいたのだ。

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娼婦 連喜 @toushikibu

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