第25話 魔人レオナイトの憂鬱

 これまでの人生の記憶が走馬灯のように流れていく。

 不思議なことに思い出すのはどうでも良い些末なことばかりだ。

 幼稚園の頃に1日1つしか貰えなかった謎の白いグミの匂い。

 高校の頃に開かずの踏切を待つのを諦めて、強引にくぐり抜けた時のドキドキ。

 そういう重要ではないが故にすっかり忘れてしまっていた記憶ばかりを思い出す。


 俺は死ぬのだろうか?

 いや違う。進化するのだ。

 生まれ変わるのだから似たようなものなのかもしれない。

 いちど死んで生まれ変わるのか、生きたまま生まれ変わるのか、ただそれだけの違いだ。

『進化のコクーン』の中は無重力状態でたゆたっているような感じで、なかなか気分が良い。ずっとこのままでも構わない。

 だが、そろそろ目覚めが近いようだ。

『進化のコクーン』にヒビが入るのが感覚的に分かる。


 さてと……そろそろ目を開いて——。

 ん!? なんだこの感じは?

 気持ち悪い。

 今まで良い気分だったのに、急に強烈な倦怠感に襲われた。

 吐き気が酷い。

 どうなっているのだろう?

 進化とはこういうものなのだろうか?

 何しろ生まれて初めての経験なのでわからない。

 赤ん坊も泣きながら生まれてくるから恐らくこんなものなのだろう。

 俺は目を開いた。


「我が名は魔人レオナイト今後ともファック」

 

 あれ? なんかいま変なことを言わなかったか。

 ところで詩織と一緒に目の前にいるコイツは誰だ?

 

「なかなか似合っているぞレオナイト」


 コイツは……ガラガエル。カエルの被り物ではなく、長い廊下にあった像と同じ格好をしている。


「似合ってるって何ファック?」


 ま、まさか。俺は慌てて自分の両腕を見やった。真っ黒でゴツゴツしている。


「その指輪は特別にオーダーメイドで作ったものだ。つけている間はたとえ寝ていても定期的に『ファック』と自動で言うから死なずに済む」

「ちょっ、あんた何ファック!?」

「それに精神耐性も+2してくれる。精神耐性が+10ないと鎧に取り込まれてガーマの依り代になってしまうからな。『ガラガエルの指輪』という名前のアイテムだったが今日から『レオナイトの指輪』と呼ぼう」


 そう言うとガラガエルは口元に笑みを浮かべた。一方の詩織はバツが悪そうにして目線を逸している。

「詩織、お前なぜ止めファック!? お前、まさか裏切うらぎファック?」

「申し訳ございません。その鎧の戦技【与魔快よーまかい】の魅惑に抵抗できませんでした」


 相手に麻薬的な快楽を与えて依存させる『大魔王ガーマの全身鎧』の戦技だ。


 思い返してみれば、詩織は俺をこの階層に引き留めようとしていた——馬が欲しいと言い出してみたり、鬼人館でのレベル上げを提言したり……。ガラガエルの眼の前まで俺を連れてきたのも詩織だ。


 おかしいと思ったんだ。俺がこの階層で進化することをガラガエルが知っていたのは予知ではない。予告だったのだ。


「私はもうその鎧なしでは生きていけません。だからお屋形さまに着てもらおうと思って……。今日からは毎晩お屋形さまがしてください」

「してくださいって何ファック?」

「そうですファックです」


 迂闊だった。道具屋の親父とも関係を持ってしまうほどのビッチ女が男の天使をスルーするはずがなかった。しかもこの『大魔王ガーマの全身鎧』はエロ系戦技の集合体のような鎧だ。詩織が惹かれるのは分かりきったことだった。


「ずっと休暇を申請していたのだが、他に適任者がいないという理由でもう150年近く休みなしでな。いま実際に着ているお前ならば分かると思うが、ひどく気が滅入ってくるんだ。だから休暇の間だけ代わりに着てもらおうと思った訳だ——なに、すぐに帰ってくるつもりだから心配するな。とりあえず10年で良いから代わりに着てくれないか?」


「冗談じゃファック。今すぐ脱ぐファックよ!」


 俺はそう叫んで『大魔王ガーマの全身鎧』を脱ごうとした。


「無駄だ。レベル60にならないと自分で脱着することすらできん」

 

 冷笑と憐憫の中間のような表情を浮かべてガラガエルは言った。

 ガラガエルのレベルは59だったはず。ということはもしや?


<天使ガラガエルのレベルは60になっています>

 ソフィアの声が聞こえてくる。良かった。『叡智のヘッドギアPRO』の上からカエルの頭の部分を被っているのだ。ソフィア無しでは生きていけない。


「無論、報酬は払うつもりだぞ。時給50万マカでどうだ? その鎧を着ている間は何もしてなくても50万マカを支払ってやろう。こんな階層で狩りをするよりもずっと効率が良いだろう? なにしろ24時間ずっと着ているのだから日給で1200万マカだ」


「報酬なんていらファック! 今すぐはずファック!」


「それは無理だ。きっちりと契約を結んで報酬を受け取るか、そのまま無給で苦しみ続けるか選ぶんだな」


 ガラガエルの冷たい視線が俺を射抜く。本気なのだろうか? そんな事をして許されるのだろうか?


「ラクスティーケにチクるぞ!」と脅せば効果があるかもしれない。しかし連絡手段がない。ハズレ券を10枚揃えてもやってくるのは他の天使だ。


「わ、わかっファック。けど10年は無理ファック」

「仕方ない。特別に1年契約にしてやろう。それならば文句はあるまい?」


「文句はあるまい?」だと? 勝手なことをほざきやがって。俺よりも弱かったら殺しているところだ。しかしガラガエルはレベル60。神宝の鎧を脱いだが、神器の鎧のセットを着込んでいるのでほとんど弱体化していない。


 臥薪嘗胆。今は我慢だ。いつか目にもの見せてやる。


「じゃぁ、ここにサインしてくれ」

 ガラガエルが魔法陣が描かれた契約書のようなものを提示してきた。


<時給は50万マカ、契約期間は1年で間違いありません。どちらかが2週間前までに事前通告しない限り、契約は自動更新されます>


 とりあえず詐欺ということはないようだ。不承不承、俺はサインした。正直言ってもう頭を使いたくなかった。そのあたりも含めて完全にガラガエルの術中に嵌っているのかもしれない。


「心配するなレベル60になれば上位魔人になるからだいぶ楽になるぞ。魔人はその鎧と相性が良い。それにお前のほうがずっとレベルアップが早いからすぐに楽になる」


 俺のほうがガラガエルよりもレベルアップが早いとはどういう意味だろう? すこし気になったが、吐き気が酷くて考え事ができない。


 俺はその日の狩りを諦めて、宿に向かった。さっさとベッドで横になりたかったが、その前に姿見で自分の容姿を確認する。


「ああ、完全にカエルのコスプレになってしまった。せっかく魔人になって角と翼が生えて格好よくなったってのに……」


 Fワードを使いたくないので、独り言にはせずに内心で思うだけにとどめておく。ガラガエルの白い翼がカエルの背中から生えていたように、カラスのような黒い翼が生えている。


 赤いクリスタルのような角もカエルの頭の部分を自然に突き破って外に出ていた。堕天使っぽい見目だが、カエルの被り物ということもあってどこかコミカルでもある。


 進化してレベル47になると、レベル46の時は旭日旗のような形だった額のマークは1つの大きめの丸(●)に変化していた。随分とシンプルだが、上位種の中におけるレベル1的な状況なのかも知れない。暗闇の中だと目立ってしまいそうなくらい強く発光しているが。その色は禍々しい赤だった。

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