第2話 ダンジョン突入
亡骸となった鹿の額の「一」の文字が消え、赤く光る球がぽとりと地面に落ちる。
「これは……、もしかして魔石というやつか?」
俺はルビーのように怪しく光る珠をつまみ上げて凝視した。具体的な用途はわからないが、価値がありそうな気がするのでとりあえずポケットに入れる。
「さてと……」
俺はそう呟いてあたりを見回す。このあたりは野生動物が多い。鹿の他にも魔獣化した動物が付近にいるかも知れない。
不意打ちを食らったりしたら目も当てられない。そう思いながら、周囲をくまなく観察していると見慣れない物体が庭の奥に鎮座しているのに気づいた。『2001年宇宙の旅』に出てくる『モノリス』を想起させるような黒い石板だ。いつのまにあんなものが建立されていたのだろう? まったく気が付かなかった。
俺は慎重に藪を踏み分けて石板に近づいた。
石板の周りには木が何本もあって日陰になっているため、黒い石板は目立たない。が、一度気づいてしまうと、なんとも形容し難い引力のようなもので引き寄せられてしまう。
「いやはや……」
俺は思わずため息をついた。今日は一体なんという日だろう。かつて経験したことがないような非常識な出来事がものの十分のあいだに立て続けに起こっている。石板の前にはポッカリと空間が開いており、そこから階段が地下に伸びていた。
常識的に言ってこの中に入っていくのは無謀だろう。だが、今日という日ほど常識というものの無力さを味わったことはない。なによりもすごく惹かれてしまうのだ。何かが俺を
俺の理性は湧き上がる衝動に押し切られた。
階段をゆっくりと下りていく。石板も階段もびっくりするぐらいきっちりとした作りで汚れ一つなく人工的だ。中は真っ暗だと予想していたが、実際には構造物自体がほのかに輝いている。十分に視認できるのでスマホの懐中電灯を点けるまでもなさそうだ。
階段を3フロア分ほど下りると広い部屋があり、床に描かれた魔法陣のような幾何学模様が青く輝いている。あの上に乗ったら絶対なにか起こりそうな気がする。ひょっとしたら罠かもしれない。
進むべきか否か——俺は逡巡した。
いままで生きてきてこんなにエキサイティングなことがあっただろうか? どうせ最下位が確定した後の消化試合のような人生だ。仮に死んだとしても後悔はさほどない。
半額セールになるのを待っている某AAAタイトルをプレーしてから死にたかった、とかそんな程度の後悔だ。だが、この未知なる現象に恐れおののいて引き下がったらきっと後悔する。
そう覚悟を決めると、俺は魔法陣の中心に向かって歩き始めた。期待と不安が入り混じった感情が心のなかで渦巻き、首筋をゆっくりと汗が滴り落ちていく。ついに魔法陣の中心に達した俺は大きく息を吐いて、そのまましばらく仁王立ちする。
「あれ? 何も起こらないな」
そう思った瞬間、床の魔法陣が激しく輝き俺の視界は完全に光に覆われた。
*
気がつくと俺は部屋の中に立っていた。先程までいた部屋と似た構造の部屋だが、下からではなく上方向からの光で照らされている。見上げてみると先程と同様の魔法陣が天井に描かれていた。
前方にある部屋の出入り口まで歩いていくとその先には廊下が続いていて、20メートルほど先でT字路になっている。どこか近未来的な印象がするこの部屋とは違い、壁の石垣や床の石畳は苔むしている。
「ダンジョンだ!」
興奮した。
生まれて初めてRPGをプレーしたのは小学生の時だ。『ザ・ブラックオニキス』というダンジョンRPGで、8ビットパソコンで動作するゲームだった。非常にシンプルなゲームだったが、当時の俺は熱中し親に隠れて徹夜でプレーしたものだ。
国民的RPGである『ドラクエ』や『FF』がまだ発売されていなかった頃の話で、以来ずっとRPGをプレーしている。飽きっぽい性格の自分が人生を通じて継続している数少ない趣味の1つだ。
そんな俺の目の前に本物のダンジョンが鎮座している。
胸の
そう決意してダンジョンに向けて一歩踏み出したが、そこで冷静になった。
探索を始める前にここから地上に戻ることができるのか検証しておくべきだろう。なにしろこれはゲームではないのだから、セーブ地点からやり直すなんてことはできない筈だ。「死んだらおしまい」と仮定しておいたほうが良い。
部屋の中央まで戻ると天井の魔法陣が明るく輝いて、俺は最初の部屋――つまり床に魔法陣がある部屋に戻っていた。
よし。戻ることができるのであればダンジョンの中で餓死する心配もないだろう。怪我をしても逃げ帰ることができる。
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