裏庭ダンジョン~ブラック企業で燃え尽きて世捨て人になったおっさんは先行者利益で無双する~

笑パイ

第1章 獣人生誕

第1話 初めてのレベルアップ!

 俺はいわゆる氷河期世代の人間だ。三流大学を卒業してブラック企業に20年ほど勤めた頃に俺は燃え尽きてしまった。うつ病と診断され退職し、再就職せずにそのまま田舎に引っ込んだのだ。

 

 田舎というのは正確な表現ではないかもしれない。秘境という表現のほうがむしろしっくりとくる。何しろ半径500メートル以内にある人家は我が家だけ。


 俺は会社での人間関係が原因でうつ病になった。そんな俺が田舎の集落における濃密な人間関係に適応できるとは思わなかったので、無人地域の土地と建物を格安で購入したのだ。独身だったからできた決断だろう。

 いやー独身で良かった。ほんと……。


 正直言って、住み続ける自信はあまりなかった。単に嫌な生活から逃避したかっただけだということは自覚していた。だが、移住して今年で7年目になる。自分でも驚くほどの適応力だ。


 むろん生活は楽ではない。贅沢はしていないし、衛星回線のインターネット接続を使用して在宅リモートの仕事をたまにしているが、貯蓄は徐々に減っていく。それでも孤独で不便な生活のほうがストレスフルな人間関係や過重労働よりも自分にとっては楽だ。願わくば貯蓄が尽きる前に安楽死を合法化してほしいものだ。


 新年早々30cmも積もってしまった雪をいま俺はせっせと除雪している。日が昇る前から始めているが、今日一日で終わらせるのは無理だろう。自宅前からゲートまでの区間の林道を300mほど自分で除雪しなければならない。


 流石に除雪車は来てくれないので、自分でなんとかするしかないのだ。気温は3℃程度しかないがすでに全身汗だくだった。

 

 腹が減ってきた。ここらあたりで作業を休止して一旦家に戻ろうかな、と思っていると不意に日が陰る。訝しく思って空を見上げると、変なものが上空に浮かんでいた。


 おでんの大根のような形をした半透明の雲がいつの間にか出現している。本当に雲なのかどうかも疑わしい。それは不自然なほどに真円で、自然現象だとは思えない。 


 ちょうど見晴らしの良いカーブの部分を除雪していたので、俺は遠くの空を凝視した。上空にあるのと同様に人工的な形をした雲のようなものが遠くの空に見える。

 理解が追いつかずに呆然と眺めていると「おでん大根雲」が発光した。慌てて真上にある一番近い雲を見上げると同様に光っている。


「一体全体……」

 そこまでつぶやきかけたところで、額に疼痛とうつうを覚える。


「ぐっ!」

 かつて経験したことのない感覚に、俺は思わず叫び声を上げた。痛みが引くと俺はポケットからスマホを取り出し、自撮り用のカメラで自分の顔を確認する。

 額には漢字の「一」のような棒が一本引かれていた。その形は「おでん大根雲」と同様に人工的できっちりとしている。


 俺はそのままスマホを使ってネットへの接続を試みようとした……が圏外だった。知ってた。だけどたまに繋がるんだよね。たまーに。


 何が起こっているのさっぱり理解できないが、とにかく一旦自宅に戻ってネットで検索してみよう。そう思って、大急ぎで自宅まで戻ると、家の前に大きな鹿がいた。角があるので雄だ。4本に分岐しているので4歳以上だろう。


 このあたりには野生動物が多いので、鹿がいること自体は別段珍しいことではない。だが、この鹿はあきらかに様子がおかしい。普通の鹿よりも大きく。色はどす黒い。鹿の体から黒いオーラのようなものが放出されているのが肉眼でも分かる。


 鹿が俺に気づいてこちらを睨みつける。俺は驚嘆した。漢字の「一」の文字が鹿の額で輝いているのだ。それは俺の額に刻まれたものとまったく同じ形だった。


 普段ならば鹿はまったく脅威ではない。たまに前足で地面をトントンと叩いて威嚇してくることもあるが危険はない。こちらが近づいていくと逃げていく。だがこの鹿は違った。


「ドンッ! ドンッ!」

 雄鹿は力強く大地を蹴ると、凄まじい勢いでこちらに突進してくる。


「うおっ!?」

 俺はとっさに横に飛び退いたが、回避行動が一瞬遅かった。鋭利な角が俺の脇腹を切り裂く。

 服は裂け、傷口からじんわりと血がにじみ出てくる。こんな攻撃的な鹿がいるとは驚きだ。これは……先程の雲が原因で魔獣化した、ということだろうか?


 鹿はUターンすると頭を上下に振りながらこちらを威嚇する。まずい。あれをもう一発食らったら致命傷になるかもしれない。


 俺は鹿に背を向けて全力で駆けた。その先は玄関ではない。玄関には鍵がかかっているので、鍵を開けている間に後ろから襲われる危険があった。

 俺は家の裏手にある倉庫まで一気に駆けると、中に収納してある手斧を取り出した。


 こうなった以上、戦うしかないだろう。


 手斧を持って振り返ると鹿が突進してくる。俺は鹿を斜め前方に躱しつつ横腹に手斧を叩き込んだ。鹿はそのままステンレス製の倉庫にぶつかり、戸を大きく凹ませる。

 鹿の角により腕に傷が増えているが致命傷ではない。一方の鹿も、横腹から血を流しているがまだ戦意は衰えていないようだ。


「ち、浅いか」

 そう呟くと同時に、鹿は再びこちらに向けて突進してくる。俺は鹿に向かって手斧を投げつけた。実は普段から木の切り株に手斧を投げて遊んでいるので、コントロールにはちょっと自信がある。

 鹿はとっさに身をかがめて顔面への直撃を避けたが、手斧は鹿の背中に突き刺さる。


 手斧を投げると同時に俺は飛び出して、再び倉庫に走った。

 武器を投げつけるというのは通常であれば利口な選択ではない。だが、俺はもう一本斧を持っているのだ。


 つましい生活をしてきたが、この斧だけは例外だ。ノルウェー在住の高名な職人トゥーレ・イルビザカーが制作した大型の斧で『リサナウト』という名が与えられた逸品である。薪割りに妙に凝った時期があって、十数万の大枚をはたいて購入した。全長は1メートル、重さも4キロ近い。


 正直なところ自分の膂力りょりょくだといささか扱いづらいが、リーチの短い手斧では角による攻撃をかいくくぐって致命傷を与えるのは難しい。この斧による一撃に賭けるしかない。


 鹿は再び方向転換し、こちらに向き直ると俺を睨みつけて再び足を踏み鳴らした。

「ドンッ! ドーンッ!!」


 今回はひときわ気合が入っている。俺も傷を負ったが、奴のほうが出血は激しい。恐らく次の一撃にすべてを賭けてくるつもりだろう。


 俺はゆっくりと息を吐き出して、斧を上段に構える。

 奴と目があい。数秒の沈黙が流れた。

 そして背中に刺さっていた手斧がぽとりと地面に落ちと、それが合図だったかのように鹿は頭を低くして全力で突進してきた。


「ここだぁっ!」

 俺は叫びながら全力で斧を振り下ろす。


「ガキィッ!」

 下から上に向かって突き上げてくる角の根本に体重をのせた斧頭がヒットし、鹿の角が根本からもげる。


「ギィーェ!」

 俺は絶叫する鹿の側面に素早く廻り込み、渾身の一撃を首筋に叩き込んだ。

 手応えが違う。クリティカルヒットだ——本能的にそう理解する。

 斧刃が鹿の肉を裂き首の中ほどまで食い込んでいる。

 鹿は絶叫してのたうち回ったが、やがて力尽きてぱたりと倒れた。

 その刹那、鹿の肉体から俺の中に何かが流れ込んでくる。

 生命力のような、魂のような何かが。

 そして体の中に力が湧き上がる。

 驚くべきことに傷口も塞がっていく。


「うおっしゃあああ!」

 気がつくと、俺はガッツポーズをとって雄叫びを上げていた。

 凄まじい高揚感――理屈ではなく本能が俺に知らせる。


 こ、これは……。

「レベルアップだ!」

 その瞬間ふたたび額に疼痛とうつうが走る。痛いのだがどこか気持ちが良い。

 ポケットからスマホを取り出して自分の顔を確認すると、「一」の文字に横棒が1つ加わって「二」になっていた。 

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