第5話
それからしばらく経ったころ、翔は熱を出しました。熱は下がらず、母はつきっきりで看病をしました。
「これ、おじいちゃんとおばあちゃんのところへ持って行ってあげてくれる?」
母は疲れた顔で、私に頼みました。それは、その日の晩御飯の惣菜でした。祖母が病気になってから、料理のできない祖父のために、母がいつも持って行っているものでした。
その日はすごい雨で、私は傘をさしていましたが、それでもずぶぬれになりました。祖母の家に着いたときに、ちょうど雨がやみました。凍えるように冷たくなった体で、惣菜のはいった袋を抱えてインターフォンを押すと、祖父があけてくれました。
「ああ」
と、祖父は私が来たのに少し意外そうな声を上げ、それから「すまんな」と付け足しました。祖父は渡した惣菜の袋を台所に持っていっていき、私の着替えの服を探していました。その間、私はストーブの前に座っていましたが、ふと、話し声が聞こえて、呼ばれるように私は祖母の部屋を訪れました。
祖母は窓の外をずっと見ていましたが、私に気づくと、怪訝そうな、うろんな顔をしました。
「おばあちゃん」
「だれ?」
「
祖母は首を傾げましたが、「ああ」としばらくして答えました。わかっているのか、わかっていないのか、わからないその言いように私はじれったくなりました。
「翔ね、熱がでたの。下がらないの」
「翔?」
祖母はぼんやりと聞き返しました。
「翔ってだれ?」
「翔だよ。おばあちゃんの孫でしょ」
「ええ?」
私がきつく言うと、祖母はさらに怪訝な顔をしました。私は自分に、落ち着け、と念じました。私は自分がいらいらとしてくるのを感じました。祖母が私に意地悪をしているように感じたのです。私は祖母に、ずっと意地悪をされていると思っていたのです。
「奏」
そのとき、祖父が私に声をかけました。手には、タオルと着替えを持っていました。そして、部屋の前に立ち尽くしている私の代わりに、中に入っていきました。「どうだ」と祖母に、祖父は尋ねました。祖母は祖父に気づくと、にこにこと祖父に話しかけました。
「あのね、聡と話していたの」
窓を指さして、祖母は言いました。祖父は「そうか」と言いました。
「寒いから、入ってくるように言って」
「入ってくるわけないでしょ!」
信じられないくらい大きな声がでました。私は胸の真ん中から頭のしんまで熱がのぼったようになって、言葉をおさえることができませんでした。
「翔は熱なんだってば!聡じゃないよ!ずっと来てたのは翔だよ!何でわかんないの!」
いいかげんおもいだしてよ!
私は叫びました。心がいっぱいいっぱいになって狭くなった視界に、祖母の困惑した顔が移りました。その瞬間、私はうずくまって泣きました。六年生になって、こんなに泣いたのは久しぶりのことでした。
祖父は私を部屋から出しました。ついでに渡されたタオルが、あたたかくてよけいに涙がでました。
私はくやしくてなりませんでした。間違われてもずっと通い続けた翔が、思い出してくれない祖母が、言ってしまった私が――私たちから祖母を奪った病気が、にくくてなりませんでした。
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