第3話
「
祖母は翔を見て、そう言いました。ベッドに寝ていた体を起こして、翔を手招きしました。翔は、ぽかんとして立ち尽くしていました。私もまた、動くことができませんでした。祖母は翔を誰かと間違えたのかと思いました。でも、祖母が私たちを間違えたことなんて、一度もありませんでした。祖母は少しやせていて、顔つきが変わって見えました。
「おばあちゃんは忘れてしまう病気になって、もう、あなた達のこともわからないのよ」
祖母の家を見舞う前に、母は丁寧に私たちに教えてくれました。けれど、その意味を実のところ全くわかっていなかったのです。祖母が私たちを忘れるはずがないと信じきっていたのです。
祖母は笑って翔を出迎えました。けれど、呼んだのは翔ではありませんでした。私は、祖母に「なにいってるの、おばあちゃん。間違えてるよ」と言いたかったけれど、何も言葉が出ませんでした。それくらい、祖母が自然な顔をしていたからです。この祖母の反応は予想外のことだったのか、母も顔をこわばらせ固まっていました。その母の顔を見て、私はもっと不安になりました。
翔は、何もわからないまま、おずおずと祖母のもとへ行きました。そして、祖母が
「学校は」
と尋ねるのに、
「うん」
と答えました。
「それじゃあ、わからないじゃないの。本当に口べたなんだから」
祖母は笑って、話を促しました。翔は何も言えないでいるのに、母がようやく
「母さん」
と割って入りました。祖母は、一瞬「何」と母に怪訝な顔をしましたが、母のことはわからなくても見覚えがあったのでしょう、顔をじっと見て
「ああ」
と納得がいったようにうなずきました。母は、「外で遊んできなさい」と翔を促して、そして私に目で合図しました。私は翔をつれて、外に出ました。心臓がばくばくと鳴っているのを感じました。私は、わけもわからないまま、翔の背を押して、小学校へと向かったのです。背を向けた祖母の家になにかおそろしいものを感じながら。
それから私たちは、小学校の校庭で遊んでいました。二人とも、心ここにあらずでした。
「おばあちゃん、本当に僕のこと忘れちゃったのかな」
翔がブランコにのりながら、そう呟きましたが、私はなにも返す言葉がありませんでした。
母が迎えに来たので、私たちは祖母の家に戻りました。祖母の部屋に行くのは怖かったですが、祖母は祖父と一緒にいました。
「どこに行くの」
と翔に言う祖母に、「聡は遊びに行くんだよ」と祖父がなだめました。祖父の優しい声を、私は初めて聞きました。翔に祖母は「車に気をつけるのよ」と声をかけました。翔があいまいに笑ってうなずくのを、母が手を強く引きました。
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