僕んちの猫になったぼく

三段腹トビウオ

第1話 愛猫、その名はロバート


―― 目が覚めると、僕は猫になっていた。


それをすぐには気づけなかった。なぜなら、あまりにも現実離れしているし、ここが僕んちだったからだ。

最初に目を開けた時、辺りが薄暗くて全てが大きく見えた。酔っているのかと思ったが、よく考えると僕はお酒が飲めなかった。

そのまま寝ておこうとも考えたが、今日は大事な会議の日だった。僕は急いで起き上がろうとした。

しかし身体が言う事をきかない、僕は本能的にあくびと大きな伸びをする。

その時自分の口から「にゃ〜」という気怠さを含んだ可愛い音がした。

それは僕自身、凄く聞き覚えのある音だった。 前方に伸びている僕の腕をみた。もふもふと可愛らしくてこれもまた見覚えがあった。

腕にはサバのような模様があって、小さい割にには凛々しかった。

伸びが終わると、僕は少しのあいだ目を閉じた。

声を出そう、大きな声を。そうすれば僕が猫かどうか分かる。しかし、声は出なかった。猫には声帯が無いのだ。

目を開けて辺りを見回す。まだ全てが大きい。

僕はテレビの下にあるゲーム機の方へと向かい、赤色のコントローラーを見た。

すると赤かったはずのコントローラーが僕の目には薄汚れた灰色に映っている。その時、僕は確信した。


「僕がロバートになってる」


ロバートというのは僕が三年前に保護した猫の名前だ――そして僕の唯一の友達でもあった。

ありえない事態に混乱しつつも僕はいろいろな考えを巡らせる。

昨夜、僕はソファの上で寝た。その時、確かロバートは僕の上に乗って寝ていたはずだ。

しかし、今、部屋を見回しても僕以外の気配は全く無い。

時計を見た、午前十一時、本来なら仕事に出ている時間だった。だけど僕は今、猫になっている、ありえない話だ。

カーテンの間から漏れる陽の光が、非日常を駆り立てる。僕は誘われるようにその下にあったキャットタワーに登り外を眺めてみた。

窓の外はメガネを外した時のような、酷くぼやけた景色が広がっている。

曇り空のせいか、目のせいか、辺りは灰色に染まっていた。

水気を含む雲の流れを見た。気のせいか、いつもより動きが遅いような感じがした。

思えばこういった心地よい時間を過ごすのは久しぶりな様な……

部屋の中は静寂に包まれ、僕は陽の当たるキャットタワーの上で丸まった。



――もっと、ありえない話だ


目を覚まし、ふと窓の外を見ると、雲は夕焼け色に染められていた。

ただ、そんなことよりも部屋が明るくて中々目が開かないのが問題だった。

僕は両手で顔を覆い隠すしぐさをしながら芋虫のように丸まる。

このしぐさはロバートがよくやっていたもので、とても愛くるしかった。

肉球が顔に当たり、思ったよりそれが硬いことを知った。僕はロバートの肉球に触れた事がなかった。それは決して僕が否定されていた訳では無く、仮にもし触ったとしてもロバートはそれを快く許してくれただろう。

ただ僕とロバートの関係性において、そういった事をするのは失礼な気がしていたのだ。

例えば僕が友人に手のひらを触られたとしたら決して良い気はしないだろうし、だからといって怒ったりもしないだろう。


――良き友であるためには礼儀が必要である、それがどんな生物であろうと。


僕は勝手に友と呼ぶけれど、ロバート自身は僕に対していつも友情とは名ばかりの態度をとっていた。

用を足した後、ビニール袋を持つ僕に対して猫砂を蹴り上げて攻撃をしてきたり。

大型テレビの上に乗っかりサーカス団顔負けの曲芸を披露したり。

買ってきたばかりの猫じゃらしを引きちぎって隅に隠したり。

どれも陰湿でどこか傲慢さを持った嫌がらせだった。

ただ、その記憶の中の僕は何故かみんな笑っているような……

しばらくゴロゴロしているとある事に気がついた。

「部屋の灯りがついている」

それは要するに僕以外の誰かがこの部屋にいるということだ。

「一体だれが?」

疑問が生まれ、それはすぐに不安へと変容した。僕は耳を澄ませた。

風呂場の方で音が鳴っているのを認めた。誰かが鼻歌を歌っているようだった。

不審な人物に忍び寄る勇気もないのでとにかく隠れることにしよう。

いや、僕は猫じゃないか、抜群の反射神経に毎日ソファで研いだ爪だってある。

その証拠にあのソファの足の部分はボロ雑巾のようになっていた。

シャワーの音が途切れた、鼻歌が鮮明に聞こえる。

音の高さからして男だろう、それにしてもこの鼻歌、どこかで聞いたような。

曲を思い出す為により耳を澄ます。

しかし、男の鼻歌はシャワーのノイズによって断たれた。

僕は少し変な想像をした、それはとても馬鹿げた考えだった。

ドアを開ける音がした、男が風呂から上がった。しばらくしてドライヤーの音が聞こえる。

ドライヤーの音も消え、ついに部屋へと近づいてきた。

この時、僕は無意識にお尻を高く上げ、いわゆる「威嚇のポーズ」をとっていた。

鼻歌交じりに男がドアを開いた。


――そこにいたのはパンツ一丁の僕だった。


変な夢を見てるようだった。

シュールなコントを見てるようだった。

ただすぐに状況を理解出来た。それはこの事を予感していたおかげだった。

紺色のパンツが申し訳なさそうに揺れながら、その男、「僕」はロバート、「ぼく」の方へと向かってくる、

威嚇が伝わったのだろう、すごく心配そうな顔をしている。

客観的に見るとやはり情けない顔だなと思う。

白いタオルを右手に持ち、髪から水気を取りながら、そっとぼくの横に座った。

それから男はぼくがお尻を下げるまでじっと待った。

凄く不思議な気持ちになった。こんな奇天烈な事があってよいのか、とも思った。

自分はここにいるのに、今隣に座っている男もまた、紛れもなく自分である。

ふと男の横顔を見る、こうやってみるとなんて平凡な顔つきなんだろう。

半裸の自分を物珍しそうに見ていると、自然とお尻が下がっていった。

無性にソファを引っ掻きたくなったが、後処理の辛さが分かるので我慢することにした。

男はぼくの方に気づき、すこし笑って

「なんだ?あーそうか撫でて欲しいのか!」

と言ってぼくの頭をやみくもに撫ではじめた。

はっきり言うが、その時の僕は凄く気色の悪い顔をしていた。

そして皮肉なのは「撫でて欲しい」という勝手な解釈をされたのに嫌気がさしてる自分だった。

僕はたまに猫を撫でたくなると、猫が撫でて欲しい顔をしたんだと勝手に思い込む癖があった――もしかすると、この癖は全人類に共通するものなのかもしれないが――しかしその事に目を逸らし続けていたのが事実だった。

こういった形で思い知らされることになるとは……夢にも思わなかった……

日はすっかり落ちきって、男も夕食の準備をし始める。撫でられたせいか少し身体がポカポカしていた、眠りたい。

最後に声が出るか試してみた、まだ鳴き方が分からないのだ。

ぼくは男の方を向き、ゆっくり瞬きしながら鳴いてみた。

「にゃ〜」

か細い音が喉で鳴った。

男はぼくの方を向き、にっこりと笑った。














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