第24話

『これは神鏡の破片です』


 泰親は鋭く尖ったそれを手拭いでつまんで見せた。


 それは森の廃神社の拝殿に落ちていたものだ。危うく清命が踏みつけてケガをするところだった。


『これには魔物が憑いていた……というより、封印されていたようです。わずかにですが邪悪な気配が残っている……。そして、その気配というのが口裂け女と同じです。おそらく魔物はあの娘に取り憑いたのでしょう』


 破片は太陽の光を受けてキラッと光る。しかし、その光は紫を含んで妖しい。


『性格が豹変したのは魔物のせい、ということか……?』


 ユズカは額に汗をにじませた。その口ぶりはどこか期待しているようだ。


『そうでしょう。痣が綺麗になくなっていたのでしょう? おそらくそういうことかと』


 七宝村に滞在し、いつの間にか一週間経過した。当初の依頼であった神社の修繕はほとんどやらず、日中は口裂け女の対策のために動き回った。


 その間に口裂け女は何度かユズカを襲った。時に、子どもたちに稽古をつけている菊花にも。


 そして、それは今日も。


 綺麗になった神社の境内で、ユズカは口裂け女と対峙した。征司たちはユズカの後方に控え、二人の動向を見守っていた。


「リサ、もう終わりにしよう」


「あんたが醜くなるまでやめない……」


 相変わらず丸腰のユズカに対し、口裂け女は鋭く長い爪を光らせた。絡まった髪の間からのぞかせた目は、今日も黄色く濁っている。


「やめさせたいならかかってきなさいよ。あんたのその……同情的な目が腹立つ! 自分は分かるとでも言いたいの? いい子ちゃんぶってるあんたなんか大嫌い!」


 唾を巻き散らかす金切り声は、耳に直接金属を突き刺すような痛みがある。それと同時に、悲痛な気持ちも襲ってきた。


 確かに口裂け女はよくないことをしている。だが彼女の背景を考えたら、簡単に罵ることはできなかった。


 その時、初めてユズカが顔をしかめた。彼女が怒りの表情を見せたり声に怒気をはらませることはない。


 口裂け女にとっても意外だったのだろう。怯んだのか、小さく声を上げて半歩下がった。


 それもそのはず。ユズカは巫女であり神主。表情一つ、声一つで相手を圧倒させられる。


 彼女は何者も抗えない空気をまとって口裂け女に近づくと、腕を振り上げた。


「……!」


「口裂け女が……」


 征司たちは初めて、彼女が抵抗できなくなった瞬間を見た。身体を縮め、顔の前で手を広げる様子はただの娘だ。


 だが、口裂け女が考えたことをユズカはしなかった。


 彼女のことを両腕でしかと抱きしめただけ。


「今だ! 清命殿!」


 ユズカの叫びにハメられたのだと思ったのだろう。口裂け女は唸り声を上げながら腕の中で暴れ出したが、清命と泰親が飛び出る方が早かった。


 清命は数枚の札を指で挟み、それに息を吹きかけた。突風が吹き、札は一人でにちぎれて口裂け女とユズカの顔や手足に張り付いていく。


「何よもう!」


 口裂け女は何がなんでも離さないユズカと、まとわりつく札の切れ端に悪態をついた。


 次第に突風は二人を中心にして舞い上がり、口裂け女からはズルリと真っ黒な影が浮かび上がった。


 影はしばらく空中でもやもやと動いていたが、突然ユズカめがけて急降下した。


「魔物……!」


 征司たちと下がっていた菊花が地面を蹴り、飛び上がった。


 マントを翻し、勢いよく刀を抜く。影は自分に仇なす者に気づいたらしい。菊花に向かって大きく口を開けた。


「悪霊退散!」


 菊花は空中で回転しながら斬りつけ、意思を持った影を霧散させた。華麗に着地した彼女は刀を払うと、静かに鞘に納めた。






『泰親殿。相談があるんだが……』


 口裂け女、もといリサコが変貌してしまった原因が分かった時、ユズカは泰親に声をかけた。


「うぅ……」


 膝の上のリサコがうめき声を上げ、ユズカは顔を綻ばせた。


「おはよう、リサ」


 口裂け女として過ごした記憶は彼女には残ってないかもしれない、と泰親は言っていた。


 ユズカもそうであってほしいと願っていた。本来のリサコであれば、人を傷つけることをいとわない人間ではない。その記憶を引きずって彼女の人生に影を落としてほしくない。


 リサコは目を開けたが、まだぼんやりしているようだった。何度か瞬きをすると、ユズカの顔をまじまじと見て息を呑んだ。


「その痣……!」


「……半分もらったんだ。おそろいだね」


 ユズカは目を細め、涙を流した。痣が浮かんだ頬を和らげて。


「あとね、ここをさわってごらん」


 ユズカは幼なじみの小さな唇の横をそっとふれた。






 七宝村に新たな巫女が誕生した。


 リサコの小さな唇には真っ赤な紅がよく似合った。長い黒髪は手入れするほど艶を帯びていく。


 それまでユズカで騒いでいた若者たちは、リサコの可憐さに心を奪われた。


 村人たちは口裂け女のことを恐れていたが、無事にリサコに戻ると安堵の笑みを浮かべた。その中で涙を流して喜んだのはカツミだ。


「ありがとう、皆。おかげで友情が復活したよ」


 次の日。征司たちは次の村へ発つことにした。その見送りにユズカが来てくれた。カツミはこの場にいないが途中で食べて、と弁当を持たせてくれた。


「それは何よりっス!」


「次は子どもを連れ去る人外が出たんだって? 昨夜、清命殿が言ってたぞ」


『私たちは先に戻る。明日、泰親が迎えに来るから広場にいてくれ』


 晩御飯を終えた後、清命はそう言って早々に牛車へ乗った。


「なんでも、連れて来たい方がいるとか……」 


「ふーん……」


 ユズカはそれにはあまり反応を示さず、菊花に向かって”ちょいちょい”と手招きをした。






 菊花は昨夜、ユズカに女であることを話した。この村での滞在は最後だし、ちゃんと挨拶をしたかった。


 公衆浴場に入る前に告白したら、ユズカはあっさりと”知ってるよ”と笑った。始めから気づいていたし、リサコも見抜いていた、と。


 それからは家のことや一人で旅に出たことも話した。長風呂になったが、ユズカは菊光の話を静かに聞いていた。


『最後の最後で一緒に風呂に入れて嬉しいよ』


『私もです』


 ぬるい湯だったが、二人で浸かっていたら心が温かくなった。


「菊花、そろそろ先に行った方がいいかもしれない」


「なぜですか?」


「昨夜、清命殿が妙なことを言ってたんだがな……」


 二人は皆に背を向けていたが、ユズカは神妙な面持ちで後ろを振り返った。


 彼女に合わせて半回転すると、征司たちが空を見上げていた。サスケは空に向かって大きく手を振っている。


「あれ? 他に人が乗ってるみたいッスね?」


 彼が口にした瞬間、牛車の屋形から何人も身を乗り出した。


 初老の男性、若い男が何人か、サスケと同じ歳くらいの少年が一人。この距離からでも全員が立派な着物を着ているのが分かる。


 初老の男性と少年の髪色が菊花に似ていることに気づいた時、彼らが口々に叫び始めた。


「菊花ぁー!」


「姉上!!」

 

「姫様ー!」


 征司たちは誰のことを言ってるんだか見当もつかないようだったが、菊光と京弥は飛び上がった。


「な、なんだなんだ?」


 乗客が身を乗り出すせいで、牛車はいろんな方向に傾いている。清命が落ち着かせようとしているが収集がつかないようだ。


 京弥と菊花は空の人たちに背を向けた。


「俺たちは先に行くぜ」


「それじゃあ……征司、小紅、サスケ。それからユズカ殿。世話になりました」


「あぁ、元気でな。菊花」


 ユズカは二人の背中を押した。まるで早く行けと言わんばかりに。


「どういうこと……?」


 小紅は二人の状況が呑み込めず、不安げに顔を曇らせた。


 やがて牛車は地上に降り立った。泰親が小さな階段を用意する前に、乗客たちは転がり下りていく。


「菊姫! もう逃がしませんぞ!」


「ひ、姫? 誰のことだ……?」


「やっべ……! 行くぞ!」


「あぁ!」


 京弥は挨拶もそこそこに菊花の手を引っ掴んだ。


 反対の手で、牛車の前で積み重なった男たちに向かってふりかぶる。


「これは返しますよ! 姫は俺の女だ」






「えぇ……。もう少し別れを惜しむとかないの……」


 文字通り跳んでいく二人は、追手との距離がどんどん開いていく。


 小紅はその背中を見つめてため息をついた。


 菊光がまさかお姫様だなんて知らなかった。


 時折庶民らしからぬ言動を見せたり、立派なマントを羽織っていることからただものではないと思ってはいたが。何より、男子おのこにしては可愛かったし。


「同じ女の子だって知ってたらもっと仲良くしたかった……。京弥がいなくなったのは嬉しいけど」


「小紅の姉貴らしいッスね……」


 菊花との別れは惜しみつつも、天敵への悪態は忘れない。小紅は小さくなっていく二人の仲間を見つめた。


「兄貴はいいんスか?」


 サスケが振り返ると、征司も二人の背中を目で追っていた。


 その瞳はいつもの穏やかさをたたえている。後ろ手を組んだ彼は、のんびりと息を吐いた。


「突然仲間になったんだから別れるのも突然だよな」


 征司の見送りは随分あっさりとしたものだった。


(これからは三人で……仲間が加わればその人たちと旅を続けよう。その途中で京弥と菊光……姫? にまた会えたらいいよな)


 征司たちは泰親と清命に次の村へ送ると言われ、牛車に乗り込んだ。


 菊花の実家の人たちはいいのかと、御者台に座る泰親を見たが素知らぬ顔をしていた。


 散々牛車で暴れたのが気に入らないらしい、と清明が肩をすくめた。

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