第22話

 次の日の朝。さっそく清命と泰親が七宝村に訪れた。もちろん空飛ぶ牛車で。


 不思議な旅人の再訪に子どもたちは大はしゃぎだ。


「菊光も見に行こうよ!」


「稽古中なのに……」


 朝ごはんの後から子どもたちに稽古をつけていた菊光は、彼らに袖を引かれるがまま空飛ぶ牛車に近づいた。


 菊光と同じように頭のてっぺんで髪を束ねているのが泰親。彼は菊光に近づくと一礼した。


「こんなすぐに会うことになるとは思いませんでしたね」


「ボクもだ」


 子どもたちの背丈の何倍もある彼だが、彼らは怖気づくことなく話しかけていた。


「この前の兄ちゃんだ~」


「今日は乗っていい?」


「兄ちゃんが千鳥村の神主?」


「いえ。こちらですよ」


 泰親は牛車の屋形に腕を伸ばすと、脇の下に腕を差し込んで青年を抱え上げた。


「おい泰親! 人を荷物みたいに! 自分で降りられる!」


「忘れ物を思い出して降りようとした時、盛大に落ちたでしょう」


 菊光は空中で暴れている青年を静かに見ていた。


 きっと彼が清命という若い神主だろう。地上に降ろされた彼は、あっという間に子どもたちに囲まれた。質問攻めに合う彼の鼻にはシワが寄っている。


「清命殿? はじめまして。ボクは菊光です」


「ん……? あぁ、通信機で少し顔を合わせたな」


 清命は体当たりしてきた子どもを交わすと、菊光の顔をじっと見つめた。


「あの……何か」


「いや、なんでもない。ユズカ殿はいずこに?」


「この道をまっすぐいけば神社があります。今日も神社の修繕に励んでらっしゃいます」


「かたじけない」


 清命は言葉短くこの場を去った。


 泰親は彼を追う前に菊光に木箱を差し出した。


「少年。お土産です。子どもたちとどうぞ」


「ありがとう。わぁ……懐かしい」


 木箱を開けると中央は木の板で仕切られ、きな粉とあんこが敷き詰められてた。この中にはたくさんの白玉だんごが埋まっている。それをほじくり出しながら食べるのだ。


「皆、稽古は中断しよう。おやつだ」


 菊光は足にしがみついている少女と目線を合わせた。稽古をしてない時はこうしてくっついてくることが多い。いつの間にか懐かれたようだ。


「おかあさんに串もらってくる?」


「いいのか? ありがとう」


 菊光がお礼を言うと彼女はステテ……と走っていった。指をくわえたまま。


「なんだこれ!?」


「宝探しだんごだ。うまいぞ」


 にぎやかな声に、稽古の輪のそばで遊んでいた子どもたちも寄ってきた。











「どうだ、泰親。気配を感じるか?」


「えぇ。ただの人外でも妖怪でもない……何かがいますね」


 清命と泰親は挨拶もそこそこに、口裂け女が棲む森を見たいと言い出した。


 ユズカと、菊光以外の一行は彼らに同行して森の入り口を踏んだ。


「ユズカ殿。我々は行ってくるよ。征司たちを借りても?」


 目を細めた清命はユズカを振り返った。


「もちろんだ。彼らが手伝ってくれたおかげで修繕はもう終わりそうだから」


「だがユズカを守る者が残らなければ……」


「ユズカさん、だろ」


「菊光!?」


 子どもたちとおにぎりを頬張っていた菊光が合流した。ユズカの肩に伸ばした京弥の腕を払いのけ、彼女の前に立ちはだかった。


「ユズカさんの護衛はボクにまかせろ。お前なんかが残ったら逆に危ない」


 菊光は顔面に力を入れて口を尖らせた。力み過ぎて”む……”と声が出てしまっている。


 京弥はフッと笑って菊光の頬をつついた。


「ん~? 何を想像したんだ? 顔が怒ってるぞ」


「さっさと行ってこい!」


 菊光は力まかせに京弥のふくらはぎを蹴り上げ、ユズカの手を引いて走り去った。彼女は小走りしながら苦笑して会釈した。


 二人の姿が見えなくなると、清命が京弥のことを肘でつついた。


「……おい。痴話喧嘩か」


「……ちげーよ」


「やきもち妬いてるようにしか見えなかったぞ。立派になったな、京弥」


「どこに成長感じてんだよ」


 否定はしているが京弥の口元はゆるんでいた。


 征司たちは改めて森の中へ進むことにした。もちろん神貴を携えて。小紅も神楽鈴を握りしめている。


「ユズカ殿によると森の奥には廃神社があるらしいな。口裂け女を探しがてらのぞいてみるか」


「廃神社!? おっかないっスよ……」


 二振りの短刀を握ったサスケが震え上がった。


「かつて人の思いが集まっていたところには必ず何かが残る。忘れ去られた今、それが暴走している可能性がある。それなら私たちで止めなければ」


「この村には疫病が流行ったことがあるそうですね。その原因は案外、廃神社から出た思念かもしれませんね」


「怪奇現象……」


「そうとも言えますかね」


 彼らは辺りを見渡しながら歩き続けた。


 手入れされている森なだけあって道が整備され、木々で空が見えない場所はない。時々、鹿や狐などの獣とすれ違った。


 今までで訪れた山や森の中で一番綺麗だと思った。征司は土が見える道を見下ろして深呼吸する。


 人の手が入って整っているからというのもあるが、空気が澄んでいるようだ。吸い込むと体の中の濁った気を清めてくれるような気がした。


「……あっ!」


 小紅が手で口を押さえた。立ち止まり、目を見開いている。視線は高い位置に釘付けになっていた。


「あれが口裂け女か」


 冷静な清命の声に、征司たちに緊張感が走った。視線を上げると、口裂け女が鳥のように向かいの木に立ち止まっていた。長く伸びた爪の手で木の幹にふれている。


 相変わらず汚いなりだが、肌の白さには”美しい”という形容しか似合わない。


 しかし、絡まった髪からのぞく血走った目と裂けた口が目に飛び込んでくるので、その感情は打ち消されてしまう。


「さっきの女の子はいないのね」


 口裂け女は村を襲来した時と違い、落ち着いた口調だった。今なら説得すれば改心してくれるのではないかと思うくらい。


 征司は神貴にふれていた手を離した。


「女の子?」


「刀を抜かなかった女の子」


「菊光の兄貴のことっスかね……」


「そうでしょ……」


 サスケが小紅と小声で話したのが口裂け女の耳に届いたらしい。


 彼女はニィ……と音が出そうなほど口を曲げた。笑顔なんだろうが恐ろしい。二人は震えあがって身を寄せ合った。


「それがどうかしましたか」


「あら。そちらにも人間じゃないのがいるのね」


 泰親が話しかけると、口裂け女は不機嫌になった。


「あの村があなたのことで困っているのです。解決のために私たちが呼ばれました」


「私が喧嘩を売ってるのは女神主だけ。村自体には迷惑をかけていないわ」


「そうじゃないんだよ……」


 前言撤回。微妙に話が伝わらないようだ。征司は歯がゆさから頭をかいた。


「人間でなくなった者には分からないだろうな。ユズカ殿はあの村の復興の象徴だ。あの村の心の支えだ。そんな人が襲われたら皆が心配するに決まっている」


 清命が淡々と返すと、口裂け女の額に血管が浮き上がった。空気が割れそうなビキビキッという音が響く。


 目は吊り上がり、大きく開かれた口からよだれが滴る。初めて見た時の彼女の姿と似ていた。


「……下がりなさい、青年」


「好機だろう、ヤツから姿を見せたんだぞ」


 泰親に後ろに追いやられた清命は、懐から札のようなものを取り出す。彼が人外に対峙するのは征司も初めて見る。


 力勝負は苦手な彼だが、札を使う術は忠之のお墨付きだと聞いたことがある。


「まだ正体が分かってないのです。ヘタに手出ししてはいけません」


「分かっている。その上での……これだ!」


 清命は泰親の前に飛び出すと、手にしていた札を勢いよく投げつけた。


 それは薄い紙なのに手裏剣のように鋭く飛んでいく。


 木の上の口裂け女の元に届いたと思ったら、彼女はそれを手で払いのけた。ユズカに爪で襲いかかった時のように。


 空中に舞う札は地面にぽとりと落ちた。口裂け女の長い爪が当たったのか、端が切れていた。


「そんな紙切れで何ができるの?」


 口裂け女は冷めた目で見下し、他の木へ飛び移って消えた。






 口裂け女が去っても、清命は追わなかった。木の上から視線を外すと札を拾い上げた。


「これは人外の魔除け祓いの札だ。人外ならこの札にふれた瞬間に燃えてやけどする。だが、ヤツには効かなかった」


 彼は敗れた札を征司たちに見せた。彼らには読めない、達筆すぎる文字が書かれている。


「なるほど……試したんですね」


「どういうこと?」


「口裂け女は人外じゃない。今までの相手と違うってわけだ」


 いまいち清命たちの言ってることが分からない征司に、京弥が代わりに答えた。


「じゃああの人は何者なの?」


「それを今から探しに行くんだよ」


 清命は敗れた札を泰親に渡した。彼は受け取ると札を半分に折り、手のひらに乗せて息を吹きかけた。


 その瞬間に札が一人でに開き、蝶のように飛び始めた。


「おぉー! 泰親殿すごいっス!」


「少年たち、あの札を追いますよ。これで口裂け女の匂いが濃い場所を突き止めます。おそらくそこがねぐらでしょう」

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