第20話

「リサ! 遊ぼう!」


「ユズ!」


 短い髪で活発なユズカ。艶やかな黒髪を大切に伸ばしているリサコ。正反対の二人は誰よりも仲が良かった。


 父親の兄弟の娘で同い年。家も隣同士。従姉妹同士の二人はまるで本当の姉妹のように育った。


 ユズカの父親は神社の宮司で、兄は見習い。母は巫女だった。


 リサコの父は神社で扱う道具の管理を、母は神社の事務作業を請け負っていた。


 その頃の村の年齢層は様々で、生まれたての赤子もいれば二人の何十倍も歳をとった老人もいた。


「今日は森で遊ぼう。木の実をたくさん集めた方が勝ちね!」


 先を走るユズカが振り返って歯を見せた。彼女は時折男らしい仕草を見せる。彼女は同年代の少年よりもかっこよかった。


 だが、女らしい格好もよく似合う。村の祭りで巫女装束をまとったユズカに村の少年たちは全員見とれていた。


「今日はカツミさんのとこで料理を教わるって言ってなかったっけ?」


「夕方からねー」


 幼い頃は毎日のように二人で遊んだ。森を駆け抜けたり、カツミ夫婦に料理やものづくりを教わったり。毎日飽きずに一緒にいた。


 季節は秋。彼岸花が至るところに咲いている。まるで真っ赤な花火だ。時々白いものも見かける。


 雑草だらけの坂には苔むした墓石がぽつぽつと立てられていた。


 今では埋葬することがない墓地、とカツミの夫に教えられたことがある。


『彼岸花は自生しねぇ。人が住んでいた場所にしか咲かねぇんだ』


『勝手に生えてくると思ってた……。あぜ道にもいっぱい咲いてるよね。歩けないくらい』


『あれはモグラよけだ。墓場に植えることもある。そら、そこにもいっぺー生えてるだろ』


 カツミの夫には自然のことを教えてもらった。主に薬草や毒があって危険な植物を。彼はぶっきらぼうな男だが、何かを聞いても嫌な顔をすることはしなかった。


 この日は森のだいぶ奥まで来た。ユズカとリサコだけだったら道が分からなくて帰れなくなっていただろう。


『昔は森の中で暮らしてた連中もいた。次第に人数が減って、今の村にまとまって住むようになったらしい』


『じゃああの神社も昔の?』


 リサコが指差した先には小さな神社。小川にかけられた石橋の前に、立派とは言えないが鳥居がある。






 やがて二人が十歳を過ぎると、神事について学んだり神社の仕事を手伝うようになった。


 二人は見習いとしてそれぞれの母について回った。お揃いの緋袴を身に着けて。


 しかし、それはたった数年で終わってしまった。











「リサ……大丈夫だよ。治るから……」


 涙を浮かべた目でユズカが手を握った。リサコは声を出せず、枕の上でうんうんとうなずいた。


 高熱にうかされ、体も目もあつい。喉は常に渇いていた。


 ある年、原因不明の病がこの村を襲った。高熱でお年寄りがバタバタと倒れたのだ。


 年若い者たちは未知の病気に恐れ、違う村に引っ越したり家から出てこなくなくなってしまった。


 その中でリサコも体が弱っていった。


 お年寄りたちと違い、顔に赤黒い痣が浮かび上がってきた。新しい病気が流行り始めたのではないかとささやかれた。


 しかし、ユズカたちやリサコの両親は見捨てることはしなかった。


 彼らの懸命な看病のおかげでリサコは回復に向かった。それと入れ替わりのように両親と、ユズカの家族は亡くなってしまった。


「ずっと頑張っていたから……。もう解放してあげなきゃいけないよね」


 墓前でそっと手を合わせたユズカは力なく笑った。


 その頃にはユズカもリサコも大人に成長していた。しかし、流行り病のせいで成人の儀式を行えなかった。


 ”村の人たち皆を治したらやろう”と笑っていたユズカの父は、もうこの世にいない。


 独りぼっちになってしまったユズカは泣かなかった。ずっと看病に走り回っていた家族にお疲れ様、と墓前で労った。


 リサコは布で覆った顔をくしゃっとゆがめた。


(父様、母様……っ)


 なぜ彼女はこんなにもいい子なのか。聞き分けがよすぎるのか。泣いて悲しんで、何も考えられなくなった自分とは大違いだ。


 やがて病は終焉を迎え、村には若者しかいなくなった。唯一残った年長者はカツミだけ。


 その中でユズカは村を立て直していこうと奮闘した。村人たちは彼女を先頭に外へ出るようになる。


 ほったらかしだった畑を耕し、川から水を引いて水田を潤した。増えすぎた獣を狩り、彼らと共存する道を探った。


 何年も外部と関わろうとしなかった若者は、汗水を垂らしながら生き生きと前を向いた。











 ユズカや村人と違い、リサコは俯いたり顔を隠して生きるようになった。


 病気で浮き上がった赤黒い痣だけが原因ではない。


 朝、起きたリサコは顔を洗うために川のほとりに膝をついた。たった数歩の外出でも顔を布で覆う。それを外すと、口が左にだけやけに長く裂けた化け物が水面に現れた。


「あああああっぁぁぁ!!!!!!」


 それを見る度、狂ったように悲鳴を上げる。手ごろな石を掴んで水面に打ち付け、怒りと恐怖でぶるぶると震えた。


『病気で痣が? かわいそうに……』


 病が終焉に向かった頃、”顔を元通りにしてあげる”と囁く男が現れた。真っ青な着物を着た彼は、この村の遺体を焼くのを手伝いに来た者たちの中の一人だった。


『本当に?』


『僕は医者だ。町で小さな診療所をやっている』


『そんなことができるの? 神に願ってもずっとこのままよ……』


『僕がやるのは整形手術という。神頼みよりずっと確実な方法だよ』


 これをそばで聞いていたユズカは怪しいからやめておけ、と苦い顔をした。しかし、リサコは藁にも縋る想いで彼が言う『整形手術』に賭けたかった。


 彼が言うままに大金を支払い、麻酔というもので眠らされた。これで痛みを感じずに皮膚を裂くことができるらしい。


 しかし、目覚めて得たものは絶望だった。


 麻酔のせいで頭がぼうっとする。喉もからからだった。声を出そうと口元に神経を集中させたら、口の端に痛みが走った。


 目覚めたらユズカがそばにいて、”あいつはやぶだ!”と怒り心頭だった。まるで自分が詐欺にあったように怒りに震えていた。


「整形手術だなんて真っ赤な嘘だ! リサコ……」


 同情的な目を向けられるのが耐えられない。


 リサコは森に近い空き家で、誰とも顔を合わせないように暮らすようになった。












 ユズカは時々、リサコの様子を見に来た。


「やっぱり男装も似合うわね……」


「ありがとう」


 ユズカは髪を伸ばすようになった。髪を切るのが面倒で伸ばしっぱなしにしたらこうなった、と話した。


 凛とした顔立ちに夕焼け色の髪。ユズカは歳を重ねるごとに美しくなっていく。


 いつしかリサコは、男装しても素の姿も美しいいとこが憎くて仕方なくなった。嫌味にしか思えなくなってしまった。


 心が歪み始めたのは自分でも分かっている。それでも一度暴走したら止められない。


 もっとッ村人から離れようと、リサコは子どもの頃のように森の奥にある廃神社を訪れた。


 中は蜘蛛の巣だらけ。祭具はぼろぼろで、祟り神が祀られていそうだ。


 しかし、足元に転がったご神鏡だけがやけに綺麗だった。


 木枠に囲まれた丸い鏡。まるで毎日丁寧に磨かれていそうな光沢がある。


 それに自分の顔をうつした時、心臓がドクンと波打った。


「うっ……」


 胸が苦しい。最近は痛みを感じなかった口元に違和感がある。


 再び鏡に自分をうつした時、口元が大きく左右に裂けていた。


 もう、その顔に驚くことはなかった。己の憎しみのままに生きていこうと思った。


 いつの間にか人ならざるものになっていくのを感じた。

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