第19話

 次の日からさっそく神社の修繕が始まった。


 朝ごはんを食べて身支度を整えた後、一行は神社の境内に集まった。


 今回七宝村に来たのはこれが目的だったが、口裂け女からユズカを守るという任務もできた。自分たちから申し出たとはいえ、一行には緊迫した空気が流れていた。小紅以外は神貴や刀を携えている。


 ユズカはと言うと、普段の穏やかな表情で征司たちに近寄った。


 昨日と変わらぬ様子は、まるで口裂け女を恐れていないようだ。


「君たちには物の移動と掃除をお願いしたい。今日からよろしく頼むよ」


「分かりました! でも……」


「ん?」


「お祭りでも始まるんですか……?」


 征司が辺りを見渡したのを追いかけるように、ユズカは神社の拝殿を振り返った。床には真っ白な布が敷かれ、その上に供物台がいくつか置かれている。


 村人たちはそこへ御神酒や丁寧に盛られた料理を載せていく。料理を運ぶ者の中にはカツミもいた。彼女は今朝も最高においしい朝ごはんを届けてくれた。


「修繕の前に簡単な儀式を行うんだ。何事もなく終えられるように、と今年一年の感謝も込めてな。ちなみに巫女舞もある」


 ユズカは小紅に近寄ると、肩にポンと手を置いた。


「よろしく、小紅」


「な、何が!?」


 掃除をするからと気合を入れていた小紅は、小袖をたすき掛けにしている。飛び上がった彼女は頬に手を当てた。


「残念ながら私は舞が得意じゃないんだ……。そこでだ。せっかく神貴をお持ちの小紅様にお願いしたいのだよ」


 ユズカは顔の前に手を立てると片目をとじた。


 京弥がやりそうな仕草だ。彼にそうお願いされたら虫唾が走るところだが、ユズカのは様になっている。


「でも私、正式な巫女舞知らないし……」


「征司から聞いたぞ? 神とその恋人に舞を捧げたことがあるんだってな。それはもう見事なもので見惚れたとか……」


「見惚れ……」


 小紅は赤くなった頬から手を離し、征司の顔を盗み見た。


 彼は親指を立て、”お前ならできる!”なんて無責任に笑った。


「なんなら俺が神楽鈴を持ってきてやるよ。荷物の中にあるだろ?」


「いい! 自分で持ってくる!」


「兄貴、女子おなごの荷物を勝手に漁ったらダメっすよ。俺でもそれくらいは分かるっス」


「~っ自分で持ってくる!」


 小紅は肩に垂らした髪を振り乱しながら走り去った。


「小紅の巫女舞か。楽しみだな」


「あ、菊光の兄貴は初めてっスね! 」


 菊光は腰に愛刀を差し、袖に手を入れている。そんな菊光にユズカは手招きした。


「そうだ、菊光。ちょっと一緒に来てくれないか」


「分かりました」


「なんだ? 俺も一緒に行こう」


 ユズカが菊光を連れ立って境内を出ようとした。京弥が申し出たのを、彼女は首を振って制した。


「いや、大丈夫だ。菊光には儀式の間、子どもたちの面倒を見てもらいたいんだ」


「えぇ!? それなら征司の方が向いてますよ……」


 菊光は張り切っていたわけではないが、重労働でないことに気落ちした表情を見せた。


 あからさまな態度をとる菊光に、ユズカは首を傾げた。


「なんで? 昨日子どもを抱えてたじゃないか。その子も嫌がってなかったようだし」


「ボクは力仕事の方がいい!」


「菊光のその細腕ではな……」


「舐めんなよ!?」


 菊光は頬を膨らませると柄に手をかけた。相手にする気がないのかユズカはカラカラと笑っている。


「ユズ、こっちの準備は大丈夫よ」


「ありがとカツさん。小紅も戻ってきたことだし、そろそろ始めようか」


 割烹着を手に持ったカツミがユズカに声をかけた。その向こうでは小紅が鳥居をくぐった。


 まだぶうたれている菊光はその場から動こうとしない。袖に手を突っ込み、ユズカから距離を置いている。


 ユズカは菊光を逃さまい、と肩を揉んだ。


「もー菊光。頼むよ」


「コイツは飾りじゃないんだぞ……」


「分かった分かった。じゃあ子どもたちに剣を教えてやってくれ」


「簡単に言ってくれる……」


 菊光は尚も動こうとしない。ユズカが袖を引いても顔を合わせようともしない。


 子守りは小紅とサスケに任せるか……とユズカが諦めた時。


「出たぞ! 口裂け女だ!」


 野太い声が響いた。その発生源は神社の後ろ側。太った男が汗だくになって拝殿の前に現れた。


 辺りは一気に緊張感が高まり、女たちが悲鳴を上げた。子どもたちは一目散に親の元へ駆け寄る。


 若い男の何人かがユズカを背にしたが、彼女は前に出た。


「ユズカ様……!」


「いけない、手も足もケガしてるでしょう」


「なんだと?」


 男たちが心配する声に、京弥は柄に手をかけながら目を細めた。


 すると、どよめきと悲鳴の不協和音が響いた。皆、口を開けて空を見上げている。その顔は恐怖に歪んでいた。


 彼らの視線を追うと、神社の上に高く飛び上がった者がいた。


 真っ赤な着物はところどころ裂け、足はさらけ出されている。一直線に地面に向かうと、土埃が勢いよく舞った。


「これが口裂け女……」


 サスケは自分の神貴を出すのも忘れ、息を呑んだ。


 長い髪は絡まり、着物からのぞく肌は雪のように白い。うつむいた彼女は長い爪を立てると、顔を上げて音が出そうな笑みを浮かべた。


「きゃっ……」


 そのおぞましさに小紅が尻もちをついた。


 血走った目、異様に左右に裂けた口、痣だらけの顔はユズカに聞いた通りだった。


「ユズ……カぁー!」


 口裂け女は長い爪を振りかざすと、ユズカを狙って地面を蹴った。


「行かせるか!」


 京弥が刀をすらりと抜いて前に立ちはだかったが、彼女はそれを飛び超えた。神社の後ろから現れた時のように。


「征司!」


 京弥が悔しそうに後ろを振り返ると、征司も刀を抜いていた。ユズカを下がらせると、口裂け女の着地予想点に立って見上げる。


 彼女は再び不気味な笑みを浮かべると、征司に盛大な蹴りをくらわせた。顔面にモロにくらった彼はその場にうずくまる。


 ユズカは悲しそうに目を細めると、口裂け女の手をはらいのけた。勢いよくとんできた女をあしらえる体幹に、村人たちはかすかに声を上げた。


「今日こそ死ね! 醜くなって死ね!」


 女の金切り声が響く。声にまかせて腕を振るうが、狙いが定まっていない。血走った目は焦点が合っていないようだった。


「いたっ……」


 めちゃくちゃな動きがかえってユズカを惑わせた。凶器のような爪が彼女の頬を引っ掻き、顔をしかめた。口裂け女の手の動きがズレていたら、目をやられていたかもしれない。


「なんなんだお前!」


 菊光が鞘ごと刀を外すと、鞘で口裂け女の手を打ち付けた。骨と骨がぶつかるような鈍い音が響く。それと同時に彼女の動きも止まった。手を押さえ、荒い息を吐いている。


「何が目的だ!」


 菊光は先ほどユズカに頼まれた、手ごたえのない仕事の不満をぶつけるように声を張り上げた。その甲高さは女の声のようだ。


 肩で息をしている口裂け女は、菊光のことを見下ろすと目を細めた。


 まるで魔物のような恐ろしい目。ぎらぎらと妖しげな光を放っている。


 彼女は菊光の構えた鞘に嚙みつき、目をひん剥いた。菊光は舌打ちをすると鞘をブンブンと振り回す。しかし、口裂け女のアゴは強いらしい。なかなか離れない。


「くそっ……汚いだろ!」


 口裂け女が鞘を噛んだまま思い切り横を向く。その瞬間に菊光は刀を抜いて彼女に突きつけた。


 そこは口裂け女も反応が速く、後ろへ飛び退った。鞘を銜えたまま。


 二人はじりじりと横に移動しながらにらみ合う。


「……」


「何?」


 口裂け女が素早く何かを吐き捨てた。それはそれは忌々しそうに。


 彼女はあっさりと背を向けると、神社の屋根に向かって飛び上がった。


「逃がすか!」


 菊光も後を追ったが、口裂け女が投げつけた鞘によって阻まれた。


 その間に口裂け女は森の中へ消えてしまった。


 菊光が鞘の下の方を持って着地すると、まばらな拍手が起きた。子どもたちは”兄ちゃんすげー!”と駆け寄ってきた。


 だが、負けたし逃げられたことが悔しい。菊光は不満げな様子で眉間に深いシワを刻んだ。

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