第21話 垂涙
王都警察からの報告によれば、ユーディースさんが乗った馬車には爆弾が仕掛けられていたらしい。馬車の客室は木っ端みじんになっていたそうで、ユーディースさんも即死だったであろうとのことだった。
彼は信じていなかったけど、願わくは、転生返りして元の世界に戻っていてほしい。そして、また美味しい料理を皆に教えてあげて欲しい。
私は心からそう願った。
涙を拭いながら、私はデッキブラシで浴槽の底を磨いた。
開業してから一週間が経った。客足は予想に反して伸びていない。伸びていないどころか、連日お客の数は一桁台。昨日と今日は一人も来ていない。当然だろう。開業初日に爆破事件が起きたのだ。犯人については王都警察が検挙を約束してくれたが、その報告によれば何も手掛かりを掴めていないというのが実情だ。いつ巻き込まれるかもしれない爆弾の恐怖に、王都の住人は外出を控えている。当然、銭湯になど行く人はいない。
赤字が積もることを避けるために、いくつもある浴槽の三分の一の数の浴槽にしかお湯をためていない。だから、使用していない浴槽には湯気の湿気でカビが生える。それを避けるために、私は毎日、朝と夕に全ての空の浴槽にブラシをかけて、洗っている。
この星は体感以上に湿度が高いのか、少し手を抜くとカビが生える。このカビは特殊で、すぐに胞子を撒き散らす。胞子からは小さな棒人形みたいな生き物が出てきて、みんなでダンスを踊り始めるのだ。どこで覚えたのか、初めからDNAに組み込まれているのか知らないが、ヒップホップダンスにブレイクダンス、ラインダンスなどを一糸乱れずに揃って踊り続ける。見とれて放置していると、数分でタイルなどは傷だらけになり、数日ですり減って割れたり穴が開いたりするらしい。だから、胞子を撒かれないように、カビが生える前にブラシをかける、これが定石なのだそうだ。正に、カビとの戦いだ。
宇宙では夫たちが侵略者と戦っている。私は地上でカビと戦う。そんな自分を笑ったり嘲ったりはしない。あの人なら、ユーディースさんなら、きっと諦めたりしないはずだ。そのユーディースさんを開業セレモニーに招待したのは私だ。私が招待しなければ、ユーディースさんが死ぬ事は無かった。私のせいだ。
ユーディースさんの死を償うためにも、私は休むわけにはいかない。
体のあちこちの痛みに耐えてブラシを動かしていると、背後から声をかけられた。
「イオリ様、どうか少しお休みになられてください。もう一時間以上もブラシ掛けをなさっているではありませんか。お顔の色も優れません。あとは私がやりますので、どうか手をお止め下さい」
アルクメーデーだった。彼女もモンペのようなズボンに割烹着のような作業服で頭に頭巾のような布を巻いている。慣れない服装なのだろう、逆にどことなく動きにくそうではある。
「ありがとう、アルクメーデー。でも、これはどうしても自分でやらないといけないの。これは私の戦いだから」
「イオリ様……」
すると、入口ロビーの方から声が聞こえた。聞き覚えのある男の声だ。
「おおい、いないのかあ。今日はやってるんだよなあ」
「はい、ただいま伺います」
アルクメーデーが駆けていく。私は額の汗を拭いながらホースの水で浴槽を洗い流した。どうせ、冷やかしの客に決まっている。王室に反感を抱いている者はいる。そういう者たちにとって、こういう施設は格好の
「おおーい、俺だあ。入るぞ」
浴室の中に入ってきたのは、グテーシッポ王子だった。半袖から鋼鉄製の義手を出している。
「なんだ、いたのか。今日はやっているのか?」
「ああ、グテーシッポ王子。はい、一応は。でも、浴槽は御覧の通りで、お湯を張っているのは向こうの二つだけです」
「なんだよ、もったいない。それじゃ宝の持ち腐れじゃねえか。せっかく仲間たちを連れて来たんだ。今からでもいいから、すべての浴槽にお湯を張ってくれないか。外で待ってるから」
そこへアルクメーデーが駆け込んできた。
「い、イオリ様、大変です。外に、外に人が……」
私は濡れた脚のまま脱衣所に駆け出し、そのまま玄関ロビーへと出た。玄関から暖簾を払って外を覗くと、そこには溢れんばかりの人が立ち並んでいた。皆、傷痍兵たちだ。
後から戻ってきたグテーシッポ王子が言う。
「せっかく企画書を書いて、こいつらのために王宮経費を割いてくれって訴えたのによ、開店休業じゃ話にならねえじゃねえか。みんな風呂とやらに入りたがっているんだ。さっさとお湯を張ってくれ」
私は握っていたデッキブラシを放り投げると、外の人々に頭を下げた。
「ようこそ、星乃湯へ! 今から急いでお湯を張ります。どうか、もう暫くお待ちください!」
腰を折っている私の背後からグテーシッポ王子が言う。
「イオリ妃殿下が尊い御身を屈めて、お願いしてんだ。当然、待つよなあ」
傷痍兵たちは答えた。
「オー、何時間でも待つぞ!」
「野営キャンプを張ってもいいっす。だから、どうか妃殿下は少し休んでくだせえ。俺たちはいつまでも待ちますんで!」
「なんなら、掃除も手伝いますよ。その方が俺たちも気持ちよく入れますからね。そうだろ、みんな」
「おお、そうだ、そうだ!」
頷き合った傷痍兵たちは、腕まくりをしながら、男湯女湯構わず雪崩入ってきた。彼らは軍人らしくテキパキと散ると、浴室や脱衣所を手分けして掃除し始めた。
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