第20話 複雑な恋の進め方

 私がその木の裏側に回ると、オネイテマス王子がネイルを施した太い指を伸ばし、逞しい手で私の腕を掴んだ。


 彼は声を殺して言う。


「ちょっと、あんた、あの人と知り合いなの?」


「え? ああ、ユーディースさんのこと? まあ、知り合いというか、なんというか……」


「あの人、私が産んだ人よね」


「あ、ええと、たぶん、そうだと思うけど。ご本人は覚えていないようだけど的な……」


 これはどういう会話なのよ。もう、疲れるわ~。


「やっぱり、私のこと、覚えてないのね。男なんて、みんなそうよ。気持ちなんて、ただの気まぐれ。全部一時的な欲求なのよ! 私には分かるんだからね!」


「いや、だから、違うと思うわよ。そうじゃないはず。彼、転生の際の記憶がないのよ。普通は、みんなそうなんでしょ」


「そうだけど、あなたとか、この前私が産んだ子とかのように、すぐに記憶が蘇るパターンもあるじゃない」


「え? この前の方も記憶の回復が早かったの? 私みたいに」


「そうよ。便器の中でギャーギャー騒いでうるさかったのよ。顔立ちや背格好は私の好みのタイプど真ん中。さっきのユーディースちゃんと同じで、白馬の王子様って感じで、最高だったのに、性格に問題ありだったわねえ」


「その人は今どこに」


「知らないわよ。勝手に連れて行かれちゃったんだから。それより、あの人よ。ユーディースちゃん。もう結婚してるのかしら」


「さ、さあ……」


「あ~ん、もう、どうしたらいいの。この胸のときめき。どうやって伝えたらいいのよ」


「あの、オネイテマス王子……」


「何よ」


 ムッとした顔のオネイテマス王子の横で一度周囲を見回してから、私は尋ねた。


「こんな所に来ちゃってもいいの? 外出禁止でしょ。またディアネイラ王妃に怒られるわよ」


「ちょっと、さっきから何よ、その口の利き方。急にタメ口って、どういうつもりなのよ」


「女同士でしょ。そういうつもりよ。こんな所を誰かに見られたら、ものすごく怒られるわよ、きっと」


「……」


「気持ちは分かるけど、今日のところはお城に帰った方がいいわよ。ここはまずいってば」


「だって、ユーディースちゃんが城に来ている日は、私は部屋から出られないのよ。こっちから会いに行くしかないじゃない!」


 私は興奮気味のオネイテマス王子の口を押えて塞ぐと、声を押し殺して彼に言った。


「声が大きいわよ。あのね、気持ちは分かるから。伝えたいのよね、自分の気持ちを」


 オネイテマス王子は私に口を押えられたまま、コクコクと頷いた。


 私は続けた。


「だったら、私がキューピットになるから。まずはラブレターか何かを書きましょうよ。それを私が彼に渡してあげる。いきなり会って告白って、相手にとっても高過ぎるハードルだということは分かるでしょ」


 オネイテマス王子は私の手を強く振り払った。


「私がこんなだから?」


「違うわよ。そうじゃない。あなたはあなたのままでいいと思うの。でも、あなたも王族の一員なのよ。平民であるユーディースさんにとっては、ものすごく高いハードルでしょ」


「……まあ……そうよね……」


「それに、あなたは同性の人が好きなのかもしれないけど、ユーディースさんはどうか分からない。そこは互いに違いを認め合うということだから、納得できるわよね」


「う……うん……」


「でも、受け入れてもらえるかもしれないでしょ」


「そうよね。可能性はあるわよね!」


「あるかもしれない。それと、もう一つ考えておかないといけない点があるわよね」


「何よ」


「あなたのファッションよ。別にそれ自体を否定はしないわ。私が前にいた世界でも、同じような格好で活躍している人は沢山いたから」


「え? そうなの?」


「うん。でもね、あなたがファッションの自由を主張するなら、相手にもその自由はあるはずでしょ。異性とか、パートナーに求める好みのファッションっていうのが」


「まあ……あるかもしれないわね」


「あるわよ、誰だって。好きな人の好みのファッションを知って、それに自分のセンスを少しだけ近づけてみるっていうのも、自由なファッションのひとつなんじゃないの?」


「うーん……そう言われれば、そうよねえ」


「それには、ユーディースさんともう少し内面的な交流を重ねて、好きな色とか、好みのブランドとか、もっと情報を集めなきゃ。そうして、相手の気持ちを引き寄せてから、こちらから猛アタックするの。これしかないわよ」


「そ、それ、いいわね! 私、アタックするの大好き。ガッツンガッツンと行っちゃうから!」


「そうじゃないんだけど。――とにかく、私はあなたの味方だし、応援するから、心配しないで。今日のところは早めに帰った方がいいわ。たぶん、今頃、王宮殿ではあなたを探しているだろうし」


「分かったわ、そうする」


 そう言って興奮気味に踵を返したオネイテマス王子は、また振り返り、私に言った。


「そうそう、私ね、帰りに二人で乗ろうと思って、外に馬車をキープしといたの。二人乗り用の完全密室型キャビンのやつ♡ ソファーもフカフカで、パタンと倒すとベッドにもなるのよ。でも、今日は使わないから、よかったら、彼に言って、帰りの足にでも使ってもらって。はい、これ、チケット」


 オネイテマス王子はドレスの胸元からチケットを取り出し、私に渡した。


「でも、あなたはどうやって帰るつもりなの?」


「私は、その辺でレンタワイバを捕まえるわよ」


「レンタワイバ?」


「レンタル・ワイバーン。翼竜ちゃんよ。そっちの方が早いから」


 やっぱ、いるんだ、竜……。


「そいじゃあねえ」と手を振って、オネイテマス王子は去っていった。途中からスキップになりながら。




 ※※※※




 私は義弟に言われたとおり、馬車のチケットをユーディースさんに手渡した。


 風呂上がりの濡れた髪をタオルで拭きながら、ユーディースさんは恐縮する。


「いやあ、そんな。申し訳ないなあ」


 やはりユーディースさんは爽やかな人だ。この爽やかさでオネイテマス王子の想いも受け止めてくれればいいけど。受け入れるにしても、拒否するにしても。


 どの馬車か分かるか不安だったが、その馬車は遠目にも一目で確信をもって特定できた。ピンクのネオン電飾で客室が縁どられ、窓は全てスモークガラスになっている。正に、馬に引かれるラブホテルそのものだ。


 ユーディースさんは少しためらっていたが、頭を掻きながら言った。


「なんだか、随分と恥ずかしい馬車だけど、せっかくだから使わせてもらいますね。ウチは郊外で遠いので。そのオネイテマス王子様にお礼を言っておいてください。あと、今度お礼に美味しいお店を紹介しますとも、お伝えください」


 お、一歩進展じゃない。


「分かりました。お気をつけて」


 ユーディースさんは私に丁寧に頭を下げてから、その派手な馬車に乗り込んだ。


 走り去っていく馬車を見送りながら私は考えた。


 この人は、もうこの世界で生きていくことに腹をくくっているんだ。私と特別な仲間としてコミュニケーションを取ろうとはしなかった。あくまで、この世界の住人の一人としての接し方だ。それくらいの腹の座り方があればこそ、ここまで成功できたのだろう。よし、私も彼を見習って、今いるこの場で精一杯に生きてみよう。新しい人生をこの手で切り開いてみよう。


 強く決心した私は、道の先に小さく見える馬車に向かって軽く一礼してから振り返り、自分が管理する銭湯の看板を見上げた。その時だった。私の背後で爆音が響いた。思わず身をすぼめた私は、震える両肩を自分で支えながら、ゆっくりと振り返った。


 道の先で黒煙が立ち昇っている。足元にはピンク色のネオン電飾の破片が転がっていた。



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