第三章 包囲

一 いえのなか

 翌日の午後、私はホゥロと共に外の道を歩いていた。

 田んぼが広がる古鳥には、今日も眩しい程の太陽光が降り注いでいる。おかげで、私の横を歩くホゥロは重装備だ。両手には軍手をつけ、うなじと口元をガードする布がついた農業用の帽子を被り、黒のサングラスをかけている。顔面をほとんど隠し、汚れてしまった昨日のものとは別の浴衣を着ているホゥロは、体格の良さもあってかなり目立つ。

 ただ幸いなことに、近くには人影がなかった。ここ数日よりもいっそう気温が高く、もはや災害級の暑さになっているので、多くの人は家の中に引きこもっているのだと思われる。私も日除のために目深にキャップを被っているが、こめかみからはひっきりなしに汗が滴り落ちてくる。

「ホゥロ、大丈夫そうか?」

「はい。問題ありません」

 重装備のおかげでまったく表情が見えない彼に問いかけると、弱々しい声で返事があった。口では問題ないと言っているが、かなり辛そうだ。地下空間に日差しがないことは当然として、気温の変化もあまりないはずである。

 無理を押してでもこうして日中にホゥロを連れて出ることになったきっかけは、乗っ取られていた柏さんの行動に対して、私が抱いた疑問だ。ホゥロは光に弱いのに、柏さんには光りを避けるようなそぶりはなかった。その理由を問うと、ホゥロは、

「人の皮を被っているということは、中にいる者にとっては暗闇にいる状態と同じですから。人の皮を被った状態の陰の民は、日中でも出歩くことができるようになります」

 と教えてくれた。その話を聞いて真澄が提案したのが、ホゥロの現在の格好だ。

「人の皮を被って日差しが避けられるんならさ、光が直接当たらねぇような格好をすれば、ホゥロも日中に出歩けるんじゃねぇの」

 ということである。

 実際に一定の効果はあったようだが、今日の異常なほどの暑さは、特に日差しが苦手というわけではない私でも辛いものがある。

 視線を前へ向けると、目的の家が見えてきた。瓦屋根を持つその立派な日本家屋は、昨日柏商店に来ていた雄大さんの住む加藤家だ。四方を田んぼに囲まれ、敷地内には三つの建物が並んでいる。母屋と離れ、それと農耕具を収納する倉庫である。

 周囲を見渡し人目がないことを確認すると、私はホゥロと共に裏手から敷地内に入り込んだ。そのまま建物の影に沿うようにして進み、玄関が確認できる場所に陣取ると、壁に隠れるようにしゃがみ込む。ホゥロもまた建物の陰に隠れるように身を縮こませている。

 しばらく待っていると、田んぼの中を通り抜ける道路につながっている正面から、車がやってきた。真澄が運転する軽トラックだ。母屋の正面に車を止めて降りてくると、真澄は玄関に近づき、呼び鈴を鳴らした。少しの間を置いて、家の中から物音がする。

「おやすみ中のところすみません、真澄です」

 真澄が声をかけると、引き戸を開けて雄大さんが姿を現す。隠れてその様子を見ていた私は、彼が昨日とまったく同じ服装をしていることに気がついた。

「こんにちは、真澄くん。どうかしたんですか?」

「実はうちの耕耘機が壊れてしまったんですよ。どうしても今日中に終わらせたい作業がありまして、もしよければ、雄大さんにお借りできたら有難いなと思いまして」

 真澄の様子は実に自然だ。雄大さんも疑う様子なく家の外に出てきた。

「そういうことでしたら、かまいませんよ。どうぞ、こちらに。しかし、この暑い中でも畑仕事とは、大変ですね。俺なんか、今日はもう家の中に引きこもってようって決めてしまいましたよ」

「いやー、今日は本当に暑いですよね」

 和やかな会話をしながら、真澄と雄大さんが母屋の隣にある倉庫へ向かう。

 その姿を見送り、彼らの話し声が遠ざかったところで、私はホゥロを促して共に立ち上がると、玄関から母屋の中へと体を滑り込ませる。

 冷房が強くかかっているのか、外との温度差に鳥肌が立つほど家の中が冷えている。私は生理的な反応としてブルリと体を震わせると、玄関で靴を脱ぎ、その靴を持って家の中へ上がる。

 と、奇妙な感覚がした。

 足音を立てないように廊下を歩いていくが、家中のどこもかしこも暗い。節電のため、日中は外から差し込む光だけで過ごすということは考えられなくもないが、それにしても暗すぎる。振り向くと、ホゥロはサングラスと帽子を外していた。

 真澄から事前に聞いた話によると、加藤家は四人家族だ。

 先ほど玄関から出てきた雄大さんと、その妻である美紗みささん。二人の息子である浩大こうだいくんはまだ未就学児童だ。雄大さんの父である吾朗ごろうさんは、数年前よりアルツハイマーになり、外出することがめっきり減ったらしい。

 先ほど出て行った雄大さんを含め、今日は四人とも在宅中のはずだ。しかし、エアコンや冷蔵庫などの家電がたてる小さな音はするが、家の中にそれ以外の物音はなく静まり返っていた。

 玄関横の開かれている襖から中を開くと、そこは和室だった。変わったところは特にもないが、部屋には窓がなく、廊下よりもいっそう暗い。さらに、強い冷房は主にこの部屋に設置されたエアコンから発せられているようだ。

 確認を終えて廊下をまっすぐに進み、ダイニングキッチンに突き当たる。ドアを開けて中を確認したが、そこにも誰もいない。時刻的には昼食後の食器などが残っていてもおかしくないが、まるで数日前から時が止まっているかのように生活感がない。

 一度引き返し、階段を上がって二階へ向かう。

「美紗さん、いらっしゃいますか。助けに来ました。返事をしてください」

 小声ながらも、私はそう声をかけていた。

 こうして私とホゥロが加藤家に忍び込んだ理由は、すでに陰の民に成り代わられていることが確定している雄大さん以外の家族を心配してのことだった。

 雄大さんは商店での柏さんとの会話で、家族用の新たな人員を送り込まれることを断っていた。つまり、雄大さんの家族は、まだ陰の民になっていない可能性が高い。

 陰の民が、雄大さんに成り変わった状態で家族を騙し、共に生活をしているのならば、それはそれで良い。しかし、もし家族が監禁状態になっているのだとしたら、彼らを救出する必要があると思ったのだ。

 私は一階の様子を見て、彼らが正常な生活をしていることはないだろうと、すでに感じ取っていた。目に見える明かな異変はないが、家の中の雰囲気はどう考えてもおかしい。

 微かな物音も聞き逃さないようにと耳をそばだて二階の廊下を進んでいた私は、一つの扉の前で足を止める。ドアノブに、僅かながら血痕のような赤黒いものがついているのを発見したのだ。

 緊張に心臓が大きく鼓動する音を聞きながら、ドアノブに手をかける。付着した汚れは乾燥してこべりつき、触れても手につくことはない。

 ドアを開け放ち、息を飲む。

 そこは、夫婦の寝室だった。

 この部屋のクーラーも、非常に低い温度設定で稼働している。キンキンに冷えた洋室の中央に置かれたダブルベッドに、女性と老人、小さな子供の死体が無造作に投げ出されていた。私は彼らと面識はないが、美紗さん、吾朗さん、浩大くんの死体で間違いないだろう。首筋から溢れ出した血により汚れて解りにくくなっているが、彼らは皆、それぞれに寝巻き姿である。おそらく、夜寝ているところを襲われたのだ。

 首が奇妙な方向に折れ曲がり、美紗さんの顔がこちらを向いている。驚愕に見開かれた目はそのままで、濁った眼球がまるで私に何かを訴えかけているようであった。

 膝がガクガクと震え出し、まともに立っていることができなくなった。思わず後退りよろめくと、後ろに立っていたホゥロの体にぶつかった。そのまま彼の腕に体を支えられる。

「お気をたしかに」

 小声で囁かれ、私は反射的に頷いたが、冷静さを取り戻したわけではない。口をついて出てきたのは、疑問だ。

「どうして陰の民は、彼らのことを乗っ取らずに、ただ殺したのだ」

「古鳥の人口と比べれば、陰の民の人数は少ない。すべての者に成り代われるほどの人員がいません。ですので、権力を持っていたり、居住地や人脈的に主要な者のみを抑えるつもりなのです。家に篭もりきりだった老人に、専業主婦と、幼児。彼らは社会との接点が薄い。殺してしまっても、数日は気づかれることがありませんから」

 ホゥロの説明は理性的だ。陰の民が合理的な判断を重ねながら、確実に古鳥殲滅を遂行していることを実感する。

「陰の民は、本当に、人を殺すのだな」

 昨日も柏さんの死体を見たが、その実感がいまになってようやくやってきた。柏さんは殺されて皮を活用されていたが、成り代わられるという非現実な行為によって、いまいち現実のものとして受け止められていなかった。しかし、私の目の前にあるのは、誰がどう見ても人の死体だ。しかも、幼い子供を含む、家族三人の衝撃的な惨殺現場である。

 いま、私の腕にはホゥロの手が触れている。よろめいた体を支えるために回された優しいものだが、生理的な反応として、彼の手を振り払いたい衝動に駆られた。

「陰の民が怖いですか? しかし、彼らは命令に従っているだけです。古鳥の人間を敵と判断しているが故の行動に過ぎません」

 私の感情を察知したように、ホゥロが囁く。

 と、そのとき一階から物音がした。カラカラと、玄関の引き戸が開く。続いて、人が家の中へあがり、廊下を進む足音。当然、入ってきたのは真澄によって家の外に連れ出されていた雄大さんだろう。足音は止まることなく、徐々に近づいてくる。

「主様、こちらへ」

 ホゥロが私の腕を引いて部屋の中へ入った。ドアを閉めて様子を伺うと、階段を上ってくる足音が続く。そのままホゥロに促され、私は彼と共に死体が乗ったベッドの下に体を滑り込ませた。そこ以外に身を隠せる場所はなかったのだ。

 埃っぽさに包まれた直後、部屋のドアが開いた。限られた視界に、部屋の中へと入ってきた雄大さんの足元が見える。彼は部屋の中へと入ってくると、しばらくベッドの横に佇んでいた。

 私は体を硬直させた。いままでにないほどに鼓動が高まり、その音が外にも聞こえているのではないかと不安になる。微かに息を吸うと、血の匂いに混ざり人の死体が発する据えた匂いが漂っていることに気がつく。

 間も無く、真澄の運転する軽トラックのエンジンがかかり、敷地内から出ていく音も聞こえてきた。続いて、私たちの真上を覆っているベッドがミシリと軋んだ音を立てる。視界からは雄大さんの足が消えていた。つまり、彼は死体が転がるベッドに乗ったのだ。

 再度ベッドの軋む音がして、その後にクチャクチャと、粘性の高い音がする。状況を考えれば、それは人の死体からしている音に他ならない。死体になにをしているのかはわからないが、なんとなく予想はついてしまう。胸の奥からなにかが迫り上がってくるような不快感が体を支配する。

 人の咀嚼音のようにも聞こえる音はしばらく続き、それから、またベッドのスプリング音がした。雄大さんの足がベッドから降りてきて、立ち上がる。足が遠ざかり、ドアを開けて、部屋から出ていく。

 再度ドアが閉められる音がしても、私はしばらくその場から動けなかった。先にホゥロがベッドの下から這い出ると、閉ざされたドアに耳を当てて、外の様子を探っている。

「加藤雄大は一階に降りたようです」

 ホゥロはそう言って振り向くと、私の様子を見て眉間に皺を寄せた。こちらに戻ってくると私の腕を掴み、ベッドの下から私を引き出す。しかし外に出してもらっても、私の体には力が入らなかった。ベッド横のその場にペタリとしゃがみ込んだまま、心が拒絶しているように、なにも考えられない。

 不意に、ホゥロが伸ばした指先が私の頬に触れた。そのまま優しく目元まで辿られる。私は気が付かないうちに、涙を流していたのだ。それを、ホゥロが拭ってくれた。

「主様は、正しいことをなさっています。どうか、お心を痛めませんように」

 向けられるのは、少しだけ意味のわからない、しかし私を労る言葉。頷きで応えると、ホゥロは微笑んだ。

「この部屋は潜伏に向きません。隣の部屋へ移動し、様子を見ましょう」

 促され、ホゥロに腕を引かれるまま私は部屋を出た。ベッドの上へは意図して視線を向けなかった。死体の変化を確認するのは、あまりにも怖かったのだ。


 ホゥロと共に移動した隣の部屋は、雄大さんのものと思しき書斎になっていた。床は微かに埃っぽく、この部屋はしばらく使われていないのではないかという予測はできた。

「人の皮を被った後の陰の民は、どういった生活をするものなのだろうか」

「その者のふりをして他者を騙す必要がなければ、基本的にはひとところにじっとして、ただ命令を待っているのだと思います。家の様子を見た限り、一階の畳の部屋にこもっているのでしょう。あそこは日中でも日の光が届かず快適に過ごせますから。今日の食事は済ませたようですし、しばらくは二階に上がってくることもないでしょう」

 そう答えながらも、ホゥロはドアの横に座り、雄大さんが近づいてくる足音がしないかを確認している。

 私はようやく落ち着きを取り戻し、窓際に移動すると、腰高窓の桟に腰掛けた。この書斎は、ちょうど玄関が見下ろせる位置関係にある。来訪者の有無を確認するにはうってつけの場所だ。『今日の食事』というホゥロの言葉は気にかかったが、あまり深く考えないようにする。

 死体が積まれているベッドの下に隠れることになるとは思っていなかったが、これは、予定どおりの行動だった。昨日の夜に真澄、ホゥロと三人で立てた作戦内容はこうだ。

 まず真澄が加藤家を訪ね、農具を貸してくれという理由で雄大さんを家から引き離す。その隙に別行動で家に向かった私とホゥロが家の中に入り、家族の様子を確認する。無事であればそのまま見つからないように戻ってくる。監禁されているようであれば救助する。しかし、もし彼らがすでに殺されていたら、その場に残って雄大さんの動向を監視する。理由は、古鳥殲滅の命令を下している者を割り出すためだ。

 ホゥロは柏さんの遺体を食べたことで、彼女と、彼女の中に入っていた陰の民の記憶を得ることができたが、古鳥殲滅の命令を下していることについて、柏さんはその存在以上の情報を持っていなかったらしい。

 ホゥロによると、陰の民は体系的な伝達網や指示系統を持っていないそうだ。『古鳥殲滅』という一つの大目標と、潜暗夜という大まかな作戦を共有した状態で、各々がそれぞれに動いている。情報は個から個へと横に広がっていくので、陰の民ごとに持っている情報が異なっている。中には、長であるホゥロの姿すら知らない者もいるとのことだ。

 私たちは、雄大さん以外に陰の民に乗っ取られている者を確定できていない。手がかりはここにしかないのだ。雄大さんの様子を監視していれば、何か情報を得られるはずだ。

「ホゥロは、どうやって陰の民の長に選ばれたのだ?」

 玄関前の監視を続けながら、気になっていたことを尋ねる。

「長は選ばれるものではなく、血筋です。我が他の陰の民とは違う見た目をしているのも、何世代にもわたって異なる生活をしているからこそ。なので、我の場合は父が亡くなったときに、自動的に長になりました。長といっても、あくまで、いつか主様にお会いできたとき、そのお言葉を皆に伝えるための役目でしかありませんが。陰の民は、主様の下において皆が平等なのです」

 夜の森で見かけた奇妙な影と、柏さんの体から染み出してきた黒いものを思い浮かべて私は頷いた。たしかに、元人間があれほどまでの異形に変貌するには、相当に長い年月が必要だろうと思われた。

「地の底での生活は、どのようなものなのだろう」

「実のところ、我も一般的な陰の民の暮らしについてはよくわかりません。地の底にいながらこの姿を維持するためには、長は他の者との接触を避けることが必要とされ、隔離されているも同然でしたから。伝承を聞き、勉学と健康の維持に励み、ただ交接をして、後継者を産ませることが使命でした」

 交接という、非常に無機質な言い方が気になった。

「後継者って、ホゥロには子供がいるのか?」

「会ったことはありませんが、おそらくいるはずです。たとえ我を見かけても、陰の民から我に声をかけることは禁じられておりますし、我からも基本的には話しかけませんので、孤独な生活を送ってまいりました……こうして主様と普通にお話ができるまでは、地の底でのあの生活が孤独だとも思っていなかったのですが」

 ホゥロは一度そこで言葉を区切ると、私の方を見て微笑んだ。

「我は幸せ者です」

「どうしてそのような生活で、幸せだと言える」

 私には『地の底』がどのような場所なのか具体的なイメージもできていないが、他者との関わりが絶たれた生活は、息が詰まりそうだ。

「陰の民の長とは、主様と対面することだけが存在意義。であるにも関わらず、父も、祖父も、脈々とこの血を継いできた先祖のほとんどが、主様とたった一度のお目通りさえも叶わぬまま死んでいった。しかし、我はこうして主様に巡り合い、言葉を交わし、あまつさえ生活を共にしている。これ以上の幸福はありません」

 それは、あまりにも重い言葉だった。偽物の主人である私にはその純粋無垢な眼差しを受け止めることができず、ふと視線を逸らす。

 窓の外に、この家へと近づいてくる一台の軽自動車が見えた。

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