月のない夜は子猫と踊れ Dance with kitten in the dark night

jima-san

第1話 世界の始まりとスコティッシュ・フォールド(1)

 あのね、もしあなたが猫とファンタジーを愛する人だったら、私の過ごした不思議な日々の話を聞いて欲しいんだ。

 それはどこか奇妙で少しだけ悲しくて、泣きたくなるほど愛おしいモノたちの物語だ。






 私は猫である。名前はまだない…ことはないな。私の名前は『フール』。


 気がついたら生後4ヶ月の野良メス猫『フール』だった。ある日ある時、ある町工場まちこうばの資材置き場でニャアニャアとか細い声を出し、瀕死ひんしの状態だったところを別の野良猫に助けられ、命を拾った。


 拾ってくれたのは今親代わりに私の面倒を見てくれている野良猫の『ガンツ』なんだけど、この荒くれ猫が親切に私の世話をしてるってことは、この街の猫界ねこかいでも最大のミステリーなんだって。




 …だけどね、誰にも言っていないんだけど、そんなことよりもっと不思議なことがあるんだ。


 私は1ヶ月前までは確かに人間で、17歳の女子高生『山田蕗やまだふき』だった。




…あ、私の事情をのんびり話してる場合じゃなかった。


 どういう場合かっていうと、今私は公園の砂場でチンピラ猫2匹に因縁いんねんをつけられているところだ。

 自分の倍以上の大きさがある大人猫が子猫である私を睨んでる、ヤバイ状況だ。

 一匹はグレーにブラックじまのアメリカンショートヘア、もう一匹はレッドと黒のキジトラ柄、二匹とも飼い猫っぽい毛並みだ。


「おい、ここは家猫の縄張なわばりだ。お前のような野良が入っていい場所じゃねえ」とアメショ。


「そうだ。痛い眼にあわせるぞ、こら」とキジトラ。


 何、この2匹。飼い猫のくせに野良の私よりずっとお下品だ。でも相手は成人猫2匹、どう考えても子猫の私に勝ち目はないよね。


 ……だから、ちょっと猫なで声作戦を試みた。

「ごめんね、ごめんねー。ニャニャニャン・ニャン♡」


 茨城弁っぽく猫声で鳴く私。(茨城弁の猫語…笑)


「な、な…」


 おや、ちょっと効き目があったのかな。2匹が顔を赤らめている。

 エヘン、前世で女子高生だった私のあざとさを甘く見んなよ。


「お、お前のような野良の雑種のチビにクラッとくるわけねえだろう!」


 ありゃ、効かなかったか。

 赤くなったのは単に怒りだしただけだったのかも。


「そうだそうだ。このチビ猫、底辺猫!」


 大人げないなあ。ちょいと砂場に迷い込んだ子猫に目くじら立てなくてもいいだろう。

「ふん。大人げないの」


 そのまま思ったことを口に出したらアメショが逆上する。

「シャーッ、生意気だぞ。このチビ」


 どうやら子分らしいキジトラも続く。

「バーカ、バーカ。折れ耳不細工猫」


 むうん(怒)。ほんのちょっと、ほーーーんのちょっとだけ気にかかってる私の耳形態みみのかたちを馬鹿にされて、私も頭にきた。

「折れ耳とは何よ(折れ耳だけどね)。そっちこそ、マダラネコじゃん!縞柄がいびつで汚いわ。フフン」


 アメショとキジトラがそろって背中の毛を逆立てた。

「キシャーッ!何だとお!」「ただじゃおかねえ!」


「シャアアアアア!」


 しまった。言わなくてもいいこと言って、事態を悪化させるのは人間だったときの私の得意技だった。

 2匹の目つきが鋭くなって、毛が逆立った。ヤバイかもしんない。そして私の逃げ足は遅い。大ピンチだ。

 まだ猫になって日が浅く、危機管理感覚がずれている私もようやく恐怖心を感じ始めた。

 こわっ。逃げなきゃ…



 そこに何故か、野球のボールがコロコロ。

 私とチンピラ猫の間に転がってきた。


「む?」「おおお♪」

 本能的にチンピラ猫がその後を追いかけてトコトコ、右に走る。


 そして突然、逆側から子供猫が走り込んできた。

 子猫は私に声をかける。

「おい、逃げるぞ!」


「えっ!えっ?」


 それが私とチビドラ猫ポンタとの出会いだった。



 で、私がすぐ逃げられたかっていうと、そうはいかなかった。何故なら私も球の動きに釣られていたから


 チビドラが私の天然ぶりに呆れて怒鳴る。

「ば、馬鹿!お前までつられてどうすんだ!」


「う、あああ。…自覚してるから言わないで」


 ハッとした表情のアメショとキジトラがまたこちらを振り返る。

「しまった。ついうっかり」


「ボールの動きには勝てないッス、ルノーさん」


 『ルノー』と呼ばれたアメショがチビドラに怒鳴る。

「邪魔すんじゃんねえぞ!このチビ!」


 チビドラにだまされかけて、2匹はさっきよりもさらに凶悪な表情になっている。

 その悪い顔のまま口角こうかくをあげて、アメショが言う。

「なあんだ。ポンタか。また怪我しにきたのか、このガキ野良猫」


「弱いものいじめばっかりしてんなよ。ルノー、ダビ」

 チビドラも言い返す。なかなかの根性チビ猫だ。


 チビドラは『ポンタ』という名前らしい。この近所の野良猫に違いない。日本猫のミックス種でレッドと白の綺麗な虎柄だ。血統書付きじゃ無いだろうけど、ルノーというアメショよりずっと可愛いシマシマだと思う。

 あ、猫の毛の場合『レッド』っていうのは真っ赤じゃなくてブラウンくらいの色ね。…こんな時にのんきな解説だけど。


 それにしても、どうやらポンタはつい最近もこのチンピラ猫に怪我をさせられたということだ。何かムカムカしてきて、私は2匹をキッと睨んでやった。…ポンタの後ろでね。

 ポンタが私をチラリと振り向いてから小声で言う。

「おい、俺がルノーに飛びかかったら、すぐに向こうの茂みまで走れ」


 私は慌てて首を振る。何か判らないけど笑っちゃう。

「無理無理無理。ぜったい逃げ切れないもん。ニャハハハ」


 ポンタは前を向いたままだが、ハアとため息をつく音が聞こえる。

「…何で笑えるんだ。いいから茂みで大声で助けを呼べ。あの辺なら誰か来てくれる」

 そう言うとポンタは2匹に向かって唸り、威嚇する体勢をとった。


 公園の北側の茂みは川べりで、いつも何匹かの野良猫がたむろしているらしい。


「ポンタ、お前懲りねえなあ。また傷が増えるぜ」

 『ダビ』というキジトラの言葉にポンタが2匹をにらみ返す。


 フンとグレーのアメショ『ルノー』が鼻を鳴らし、ダッと地面を蹴って私に飛びかかってきた。

 ポンタが立ち塞がって先制の猫パンチを浴びせたが、ルノーが急ブレーキで立ち止まる。そのフェイントに空振りしたポンタの態勢が崩れる。


「ポンタ、気をつけて!」

 私は同時に茂みに向かって走り出すが、まあ遅いの遅くないのって、自分でもビックリの遅さだ。


「ギャハハハ、お前それで走ってるつもりか?」

 ポンタとルノーのにらみ合いの横をすり抜けて、キジトラ『ダビ』が私を追いかけてきた。


 勝負にならないスピードの差ですぐに追いつかれる。ダビが私のシッポを捕まえようとした。


「ギャン!あっち行って!」

 私は恐怖に泣き声を出しながらシッポを振り回した。何か後ろで光ったような気がした。


「ナンニャ?……」


「…?」


 なぜかダビの様子がおかしくなった。コースを横にそれ、フラついている。

「ナンニャアア、身体がフラつく。どういうことニャ」


 どういうことか、こっちが聞きたい。

 私はとにかく茂みに飛び込むと、「ニャアアアア!助けて!」と大声で助けを呼び、ポンタを見る。

 チビでパワーはないけど、ポンタは素早い。悪党アメショ・ルノーの攻撃をスイスイ避け、時々手を出して反撃までしている。

 こうして見ていると結構いい勝負なのに、普段はルノーに散々やられているらしい。なぜ?


 私はもう一度、大声で助けを呼んだ。

「ニャアアアアアア!助けて!ガンツ!助けて!ニャアアアアア!」


 ルノーがスッと立ち止まり、怒りの眼でポンタを睨んだ。その時、悪党猫のグリーンの眼がユラリと光り、ポンタがその光に捕らえられたかのように動きを止めた。

「うっ、しまった」


 途端にポンタの動きがガクリと遅くなる。息づかいも苦しそうだ。どうした、ポンタ。

「ハアハア、くそう」


「フン、カッコつけるからだ。食らえ!」

 ルノーが猫パンチをポンタに打ち込む。「ンニャア」とポンタがうめいて、倒れ込んだ。


「ニャハハハハ。毎度の結末だな、ポンタ」


「ポンタ!ポンタ!」

 私は泣き声で叫ぶが、ポンタはうめき声をあげるだけで立つことが出来ない。


 するとようやく子分のダビがフラフラしながらも体勢を立て直して、私の方に向かってきた。まだ足下はおぼつかない。

「…お前、何した。このチビ猫。シャヤアアア」


(ヒッ)

 怖くて声が出なくなったとき、茂みの中からガサガサと音がした。


「呼んだか。フール」


「ガンツ!」


 私の保護者猫ガンツが巨体をのそりと現した。

 泣きながら後ろに隠れる私をかばって、もう一匹。

 真っ黒い野良猫のセージも出てきた。


「もう大丈夫ですよ。フーちゃん」


 ガンツは私の親代わり、ガッチリした体型と四角っぽい顔。白地にチョコレート色とブラックの縞柄が入ったドラネコだ。右耳と右目の周りが真っ黒の毛で覆われ、左の耳と左目の上に大きな傷跡がある。

 要するにすんごい怖いヤクザ猫顔だ。


「おう。何だ、ルノー。うちの娘に何か用か」


 ダビが怯んで後ろを振り返ると、ルノーが凄い眼でこちらを睨みながら、ユラリとやって来るところだった。


「ガンツ。お前の娘は教育がなってないな。俺がしつけをしてやろうと思ってたところだ」


 セージがガンツに呟く。

「ガンツ、ルノーの目に気をつけてください」


 ガンツも頷いて、答える。

「わかってるって。眼を合わせなきゃいいんだ」


 私は向こうで倒れているポンタが気になって仕方がない。大丈夫かな。生きてる?


 ダビがガンツに向かって威嚇いかくのポーズを取りながら、すごむ。

「お前の娘が俺たちの縄張りに入ってきたんだ。わびを入れろよ、コラ」


「フン」

 黒猫セージが鼻で笑って、ダビを見る。

「昼間のうちは休戦が建前たてまえです。子供相手に何やってんですか。馬鹿なんだね、君は」


「な、な、何をお。シャシャシャアアア!」


「うっせえな」

 いきなり突っかかってこようとしたダビの縞々前足をガンツがうるさそうにはたいた。


「ニャン!」


 それだけでダビが真横にひっくり返った。すごい腕力というか前足力だ。

 子分を放り投げられたルノーがガンツを睨む。

「ガンツ、調子に乗るなよ」


「調子に乗ってるのはどっちだ。ルノー」


 二匹がグッと距離を縮める。至近距離だが、ガンツはルノーと眼を合わせないよう気をつけている。どうやらあの眼に何か秘密があるらしい。


 セージがルノーとダビの間くらいで両方に目配りしているのが判る。

 ダビは起き上がったが、脇腹でも痛めたのか顔をしかめてうめいた。

 セージは「公園野良の頭脳」と異名を取る策士さくしだとガンツが言っていた。体型はスリムだが大柄な黒豹くろひょうみたいで何だか「クール野良」だ。


 そのセージがルノーに向かって冷静に声をかける。

「ルノーさん、今日はここまでにしませんか。こっちはポンタ坊やが気になるし、君も私とガンツの2対1では怪我をしますよ?」


「俺は数に入ってないのかよ!」

 まるっきり戦力外の扱いになったダビは屈辱でわめいているが、ルノーはチッと舌打ちをする。


「フン。お前ら二匹くらい楽勝だが、今日は引いといてやる。そのガキ猫にはちゃんとしつけをしとけよ、ガンツ」

 ルノーが私をちらりと嫌な眼で見た。


「ルノーさあん」


「うるせえ。行くぞ、ダビ」


 チラチラこちらを振り返りながら、二匹が離れていく。




 二匹が立ち去ると、私はすぐポンタの近くに走り寄った。もちろん足は遅いけど。

「ポンタ!ポンタ!」


「何だ、フール。お前ポンタと知り合いか」


「さっき助けてもらったのが初対面!」

 ガンツに答えながら、ポンタの顔を覗き込む。


「痛ててて。顔と前足をやられた。痛え」


「ごめんねポンタ。私を助けようと…死なないで。ううう、ポンタ!」


「いや、死んだりしないから」

 ポンタがうめきながらも苦笑いして身体を起こそうとするが、立ち上がれない。


 私は申し訳なくて、またポンタの顔を覗き込んで傷をペロリとなめた。


 ガンツが顔色を変えて私に言う。

「おい、フール。な、なにしてんだ。舐めなくたっていいだろう」


 セージが笑いを堪こらえ、口を押さえながら私に言う。

「フーちゃん。大丈夫ですよ。このくらいの傷は野良猫の勲章ですぞ」


「でも」


 私がまた顔を舐めようとすると、ガンツが慌てて前足で後ろから引き留めたため、私は仰向けにひっくり返り、私の太くて大きいシッポがポンタの顔に当たった。


「あたた…。ごめんね。ポンタ」

 私がそう言って、ポンタの顔に当たった自分のシッポを何気なくフワフワと振る。ホワンと金色の光が出てきてポンタの全身を包み、すぐに消えた。


 うめいていたポンタがびっくりして、クルクル丸い目でまわりを見回す。

「何だ。今の光は?お前何したんだ?」


 一瞬の出来事だったが、ガンツもセージも呆気にとられて眼を見開く。

 もちろん私にだって意味不明だ。


 立ち上がったポンタが自分の前足と顔をなでながら、私を見た。

「治ってる!」


 大きな傷跡があった顔と、まだ血が滲んでいた前足がきれいに治っている。


「何だ。これは」

 ガンツが言う。


「これは…」

 セージも後の言葉が続かない。

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