〈王国記7〉 入団初日 午後3
11番と28番。11番は東の出の、見知った顔だった。また番号が呼ばれ、二名の騎士が囲いの中に入る。剣を構え、にらみ合う。開始の合図がなされ、11番が手をあげ、魔法の詠唱を始めた。
今から約百年前の594年。ニコライフラメルによって編み出された無属性魔法は、市民の生活に大きな変化をもたらした。
人は寒い冬に、凍える手で洗濯をしなくてもよくなり、暗い夜、ろうそくの芯の長さを気にしなくてよくなった。
複雑な術式を組み、長時間の調整をかけてようやく発動する従来の「魔術」に比べ、知識がなくとも、ただ単語を唱えるだけ。魔導具を作動させるだけで扱うことができる「魔法」は、市民の救いとなった。
小さい効果しかもたらさない無属性魔法だが、人の生活を支えるのには十分な効力を持っていた。
そして、軍隊の戦闘スタイルも、594年を境にずいぶんと変わった。かつては戦闘に魔術が用いられることは、ほとんどなかった。
国家間の大規模戦争などに限り、魔術師たちが一年かけて術式を組み上げ、敵地に放ち、戦果をあげたことはあった。しかし魔術は、失敗の危険を大きく孕んでいて、コストが莫大にかかる。それよりは、通常の兵器、騎士の充溢に資金を回したほうが効率がよいというのは、火を見るよりも明らかだった。魔術は、本当に特殊な環境下での、大規模戦闘に限って使われていた。
けれど今は違う。かつて、発動に莫大な時間、複雑な計算術式が必要だった魔術は、間に無元素魔法の術式を挟み込むことで、おどろくほど単純化された。それは何十行もある難しい数式が、たった一つの記号で代用できてしまったかのような奇跡だった。
以後、カルディアは、無元素を組み込み単純化に成功した四元素魔術を、魔法と呼称することになる。無属性魔法では得ることのできなかった、ある程度規模の大きい効果が得られる四元素魔法。
とはいえ、由来は魔術。ただの無属性魔法とは、扱い方が根本的に異なる。使用にはある程度の知識と修行が必要だ。教育機関は限られている。また、規模の大きい魔法は、使うだけで周囲に危険が及ぶ。国王は、魔法の使用に資格の取得を義務づけた。騎士団の入団資格に、魔法使用資格が加えられるのに、そう時間はかからなかった。
28番が早口で何かを言い、右手を横になぐ。ちょうど指先が相手を向いたタイミングで、手からこぶし大の水球が飛んだ。しかし、11番の詠唱が間に合う。構えていた右手から炎の柱があがり、水球を飲み込み、そのまま28番に向かう。すんでのところでよけた28番は、一度距離を取り直してから、地面に手をついた。
三秒ほどの間の後、彼の掌を中心として、それまで白かった砂が、黒くそまっていく。土属性魔法に見えるが、属性を二つ扱える人間は滅多にいない。水属性魔法で、何かしら地面に干渉したのだ。
構わず一歩踏み出そうとした11番が、ぬかるみに足をとられた。すかさず28番が右手を構え、唱えた。
「
三角錐状の水の塊が、高速で射出され、11番の胸を打つ。乾いた音がなり、試合が終了した。
「今回のは、派手だったね」
そう話しかけると、エナは小さくうなずいた。
「両者とも、魔法の技術をアピールする方向に試合が動いてたね」
なんだか、言葉の使い方ひとつに、地頭の良さって出るものだね……。
「11番、私たちと同じ東の子だよね。負けちゃって残念」
「そうね……。でも、よく頑張ってたと思うけど」
また、番号がよばれ、二名がフィールドに入っていく。
あれ、とカルムが声を漏らした。
「場が均されてないね」
前に目を戻すと、確かに先ほどの戦闘で発生したぬかるみが残ったままだった。仕切りの内側の一部分、土の色が重たく染まっている。端っこが仕切りに触れているが、仕切りを境に線でも引いたかのように砂の色が分かたれていて、魔術的な結界が張られている可能性を考える。ある程度規模の大きい魔法を使用しても平気ということだろうか。その場合は、相手の防護膜のほうが心配だけれど。
「どんな戦場にも対応して見せろっていうことなのかな」
先ほど試合を終えた二名が、まだ仕切りのすぐそばにいて、肩で息をしている。教育隊員たちは、こまめにペンを動かしていた。上官たちは真剣な顔で互いに言葉を交わしていて、やぐらの上の王女様は、朝とは別人のように涼しい顔で二名の戦いを見下ろしている。静かな訓練場に、剣戟の音が響き渡る。
「な、なんか緊張してきた」
「私も……おなかいたい」
「え、大丈夫?」
エナは緊張しやすいところがある。試験のときだけ本来の実力を出せなくて、赤点をとったことも一度や二度ではなかった。そもそも、仲良くなったのも、同じ部屋だったというほかに、補修の常連同士だったからというのもある。ただ、緊張しなければ優秀なエナは、私を置いてすぐに再試験を合格していたが。
片手をエナの額にかざして、そよ風を送る。これくらいの空気魔法なら、私だって詠唱なしでも使える。エナは心地よさそうな顔をして、こわばっていた表情をやわらげた。
「ありがと」
「うん。今週無事に乗り越えたら、休日にケーキ食べに行こう」
「いいね。この前とは違うお店にも行ってみたい」
「この訓練でいい成績残せたほうが、おごるっていうのはどう?」
「のった。でも、両方とも勝利したら、どうやって判断するの?」
「考えてなかった。というかもしかしたら、お互いで戦うことになったりして」
「どんな確率よ」
エナがあきれたように笑った。緊張が少しはまぎれたようなので、手を下す。持ち上がっていた彼女の前髪が、ふわりと降りて、綺麗な眉毛を隠した。
縄の内側では戦闘が終わっている。目を離しているうちに、場の右側、左側の地面が人ひとりぶんくらい盛り上がっていた。土属性の魔法が使われたのだろうと推測する。地面ももうぬかるんでおらず、むしろ乾いてひび割れている。
「これで遮蔽物ができたね」
と隣のカルムがこぼした。
戦いを終えた二人が、縄の外側へと退場する。
そわそわしてきた私はポケットに入れておいた紙を取り出して、番号を確認した。
8番。
教育隊員が前に出て、次の二名が呼ばれる。
21番。68番。
「「はい!」」
両隣の二人が背筋を伸ばして一歩踏み出し、それから互いに顔を見合わせた。
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