〈王国記3〉 入団初日 朝
そんなわけで、心意気は十分なはずだったのに、寝坊した。
「何でならなかったのよ! 目覚まし時計!」
こんなことなら、アナログじゃなくて
城へ向かう広い道を走りながら、そう愚痴る。まだ朝早いので、通りは人が少ない。空いているお店もパン屋くらいだ。なので、人を気にせず走ることができた。新調した制服に汗が染みていくのを感じ、とても嫌な気分になる。日が出たばかりのため、気温は低いけれど、全力疾走中の私には関係ない。
越してきたばかりで、土地勘がないことも遅刻しそうな原因の一つだった。城は、クリーム色の綺麗な住宅や果物屋などの低い建物を威圧するように街の中心部に聳え立っている。それが見えてはいるのだ。けれどどうやってもそこまでたどり着く道が見つからない。
生まれ育った田舎や学園内の整然とした道と違い、この街の道は複雑に絡み合っていてまるで迷路のようだった。
ようやく城の正門にたどり着く。さすが大国カルディアの城門、朝日に照らされ、開かれた銀の格子がまぶしくきらめいている。とてもきれいだけれど、今はじっくり見ている場合ではない。
焦ってそのまま踏み込もうとしたら、門の脇にいた二人の守兵の槍が目の前で交差した。慌てて制服の襟を見せ、階級を名乗る。通れ、と言われ足を踏み入れると、広大な風景が目に飛び込んできた。
まず正面に、この国の象徴とも言えるカルディア国本城が圧倒的な迫力をもって聳えている。一般的な家屋の数十倍もあるそのスケールを視界に収めようと上を見上げると、空に突き刺さるかのようなその楼閣の天辺にはカルディア家の家紋が描かれた旗がはためいていた。
少しの汚れも許さないその白に身が引き締まる。と同時に他でもない遅刻中の自分がこの王国の汚れなのではないかとはっとし、周りを見渡した。今日の入団式は東訓練場で行うと知らされていたが、果たして東訓練場とはどこなのか。
周りにはもう自分と同じ立場の人間は見当たらないが、まだどうにか間に合う時間だ。とりあえず探し回ってみるか。
しかし一歩踏み出したところで私の足は止まる。ずどん、と腹部に重い一撃。げほっと息がもれた。
下を見ると、しりもちをついた女の子があっけにとられた様子でこっちを見ている。推測するに下を向いて走っていたら私に気づかず、みぞおちに頭突きしてしまったってとこだろうか。
この場所にふさわしくない街娘らしいシンプルな服装だが、色合いや組み合わせがちぐはぐで、端的に言ってセンスがなかった。ぽかんとしている私の前で、女の子は私の顔、肩、腰、靴と順番に目を走らせている。
「あ、ごめんなさい、大丈夫?」
そう問いかけて手を差し出す。女の子は少し驚いた後、手を取って立ち上がった。栗色の髪を一つに束ねた少女は、よく見ると整った顔立ちをしていた。空色の瞳を不安気に揺らしてこっちを見ている。
「どうして民間人がここにいるの?」
しかし私がそう尋ねると彼女はきょとんとした顔になった。あごに手をあてて数秒黙った後、満面の笑みで「おつかいです」と言う。
街娘がお城におつかい?
怪しさ満点だけれど、今はしのごの言っている場合ではない。
「ちょうどよかった。あの、東訓練場の場所って分かる?」
「訓練場ですか? もちろん分かりますよ」
「やった! よければ、連れて行ってもらえない? 私、今日入団したばかりで、ここのことがよく分からないの」
お願いしたが、彼女は突っ立ったままだ。怪訝に思い、「ねえ」と声をかけるとようやく言葉の意味に気づいたように「あ、私がですか!?」と心底驚かれた。
「う、うん。もし時間があるなら、連れて行ってほしいんだけど」
「わかりました! 騎士様のお頼みをどうして断れましょうか!」
によによした顔で敬礼している。なんだか変わった子だなあと思いながらもお礼を言い、弾んだ足取りで前を行く女の子についていく。
話に聞いていたとおり、門内の敷地は広大だった。少し目を道の脇にずらせば、そこには必ず何かしらの建物がある。特に目を引いたのは宮廷魔術師の数だけあるといわれる工房や、広大な武器庫。どの建物も壁の色は白で統一されていた。
「今日が入団式なんですよね。ええっと……」
私を見て言いよどんだ少女に自分の名前を告げると、彼女は小さくうなずいた。
「アンナさんは、どうして騎士になろうと思ったんですか?」
同じような質問を昨日もされたなあ、と思いながら、答える。
「この国を私の手で守りたいって思ったからだよ!」
気合を入れて答える。これからこの子の街を守っていく一騎士として頼もしいところを見せようと意気込んだのだが、前を歩く少女は意外にも冷めた反応を見せた。
「騎士のみなさんは必ずそう言われますよね」
「そうね。みんながみんな平和のために戦っている。それって素晴らしいことだわ!」
私の言葉に、少女は唖然としたようだった。足を緩めて私の横につき、むきになった様子で話し出す。
「そういうわけではないと思います。騎士のみなさんは、そりゃあ口では国のためと言いますけれど、実際にはいい暮らしができるから、国の恩恵を多く受けられるから、騎士という職を選んだに決まっています。国のためじゃなくて、自分のためですよ」
あなたもそうなんじゃないですか? と問われた気がして、思わず足を止めてしまった。確かに私には、人を探すという別の目的がある。ともすればそれは、自分の目的のために騎士という職を利用しているということになるのだろうか。でも……。
「街娘さん。水中順応訓練って知ってる?」
私の横で足を止めた少女は、首をかしげた。
「両手両足を縛られた状態で冬のプールに入って、二十分間水面に浮いてそれから底まで潜って、帰ってくるっていう訓練よ。他にも、十キロの装備を着けたままニ十キロ走ったり、同じ姿勢のまま五時間立たされたり。生きたカエルを捌いて食べる、なんて訓練もあったわ。一日の間にそういう訓練をいくつもして、それでも睡眠はたった六時間。食事だって贅沢なものは食べれないし、おしゃれだってできない。娯楽だって限られてる」
今この子に話したのは、まだ柔らかいほうだ。兵学科の訓練の中には、ただの女の子に聞かせるには過酷すぎるものがいくつもある。
「それが、九年つづくの」
私がそう告げると、女の子の眉がゆがみ、泣きそうな顔になった。素直でいい子だと私は思う。無表情を崩して、そっと笑いかけた。
「だから、この国を守りたいっていう強い気持ちがどこかにないと、耐えられないと私は思うの。もちろん、他に目的がある人だっているかもしれない。いい暮らしがしたいのかもしれない。私だって実を言えば、他に目的があってここにきた。でも、ここにいる騎士の中に、この国を守りたいと思っていない人なんて、一人もいないんだよ」
そう考えると、騎士になれて本当に良かったって思うんだ。と私は言う。少女は少し悲痛な面持ちを残したまま、歩き出した。
「あなた方のことを誤解していたかもしれません」という呟きが聴こえる。
しばらく砂が鳴る音だけが響く。うぅ、年端もいかない女の子につい熱くなって自論をぶつけてしまった。何か別のことを話そう。
「そう! そんな厳しい兵学校生活だったから、今すっごく楽しいの。昨日、ケーキを食べたんだけど九年ぶりのこれがほんとにおいしくて! これからは休みの度にケーキ屋さんを探しにいこうって思ってるんだけど、あなた、どこかおいしいケーキ屋さん知らないかな?」
「それなら、セカンドロップってお店がおすすめですよ」
変わった名前のお店だ。脳にしっかりとメモをする。女の子の説明によると、そこのフルーツケーキが絶品なんだそうだ。
「ケーキ大好きなんですね」
私が説明を聞きながら笑顔になっていたからだろうか、そう聴かれた。勢いよくうなずく。
「大好き。あなた……ええっと、名前は?」
「レイアです」
「レイアは、何が好きなの?」
私が質問すると、彼女は少し考えるそぶりを見せた。
「敬語を使わない人、ですかね。というよりも、敬語が嫌いです」
なんだかつくづく変わった子だ。
「そのわりに、自分はさっきから敬語だけれど」
「…………確かに! 言われてみればそうですね」
ちょっと間の抜けた子なんだろうか。綺麗な子だけれど、服装とかも変わってるし、もしかしたら人とは感性がずれてるのかもしれない。
「敬語、解いていいよ。私、気にしないし」
「えっ! いやでもそれは、だめですよ」
一瞬目を輝かせたレイアだったが、すぐに自制してしまったようだ。何が彼女をそこまでさせるのだろう。ここまで結構お話してきたし、ある程度打ち解けたと思ったんだけれど。……というか
「ねぇ、まだつかないの? 王城の敷地は広いとはいえ、さすがにそろそろついてもよさそうじゃない?」
私が問いかけると、レイアの肩がぴょんと跳ねた。
「……もしかして、道知らなかったとか言わないでよね」
「いやいや、そんなこと言わないですよ! あ、ほ、ほら! 見えてきました!」
レイアが指を差す。道の左手側に、確かに広く開けた場所が見えた。ふと気になって太陽の位置を確認すると、それは私から見て左側の空に鎮座していた。間違いなくあそこは東訓練場だ。だが、そうなるとおかしなことに、私は敷地内を西側から大きく一周したことになる。眉を寄せてレイアのほうを振り返ったが、彼女は懐中時計をこちらに向け、ほら、時間すぎちゃってますよと私を急かした。ってほんとに時間をオーバーしている。これは、やばい。
「いろいろ聴きたいことはあるけど、ここまでありがと! それじゃあね!」
私は走りだす。「あっ……待って……って走るの速いですね!」という声が後ろから追いかけてきた気がするが、止まっている暇などない。黄土色の砂埃をあげながら訓練場の入り口をくぐる。
広い訓練場の中央に、豪奢な台座が設置されていて、そこに一人明らかに上官らしき人が立っていた。その横にも何人かの人がいて、おそらく今日から入団だと思われる大勢の人たちはそちらに向かって休めの姿勢をとっていた。
「すみません! アンナ、ただいま到着いたしました!」
敬礼をし、訓練場の隅にまで聞こえるような大声でそう言うと、その場にいる上官全員が私のほうを見た。入団生はさすがというべきか、不動の姿勢をくずさない。それでも何人かは少しだけ首をずらしてこちらを伺おうとしているのが見える。エナの姿も見えたが、声で私だと分かったのか、軽くうなだれていた。ため息をついている様子が目に浮かぶ。
「初日から遅刻とは、大した度胸だな従騎士あがり」
台座に上がった人物が、こちらを見て言った。その声には明らかに苛立ちが滲んでおり、私の背筋をいやな汗が伝う。上官の苛立った声というのは、それだけで恐怖を与える。事実、目の前のほかの訓練生の背中にも緊張が走ったのが感じられた。
「そこな騎士、戦場で一番不要な者はどういった者だか分かるか」
集団の一人にそう問いかけが投げられる。そちらに目をやると、よりにもよって指名されたのはエナだった。突然指を刺され、動揺している。この場合、答えるべきは正しい答えではなくこの状況に即した答えだ。兵学科で似たようなことは何度かあったから、頭が真っ白になって答えられないということはないはず。けれどエナは答えないでいる。上官に質問をされて答えないというのは大変な不敬にあたる。しかしエナは口を開かない。
「おい、聞こえなかったのか。戦場に不要なものはなんだ」
上官からの最後通告。ここからでもエナがつばを飲み込む音が聴こえた。
「隊の規律を乱す者、であります」
大きく震える声が私の耳に届く。
「そうだ。アンナといったか、お前は我らの団には必要ない」
上官が私から目を外す動きがスローモーションのようにゆっくりと感じられる。
「去れ」
まるで死の宣告のようにその言葉が響いた。瞬間、兵学校でのいろいろなことが頭の中で走馬灯のように流れていった。初めて門をくぐった時の誇らしい気持ち。夏の焼けるような日差しの中での歩行訓練。教官の怒号。訓練後の衣服の酸っぱい匂い。全然上達しなかった魔法の実践訓練に、寄宿舎でエナと夢を語り合った夜。なんとか裏ルートで手に入れて食べた芋のフライの味。それが見つかって一晩中走らされた次の日の筋肉痛。初めて装甲魔法が成功した時の感覚。エナに組み手で勝って茶葉をひとりじめした日の布団の暖かさ。そしてなんとか卒業を勝ち取れた時の喜び。
それらが、今の一言で無意味になったなんて、信じたくなかった。
「待ちなさい!」
私を飛び越えて、声が投げかけられた。振り返ると、肩で息をしたレイアが、膝に手をあてて立っている。
「レ、レイア!?」
ただの街娘が王国騎士に命令だなんて、気でも狂ったの!?
しかし、前に控えた上官たちが私の言葉を聞いてざわめきだすのを見て、嫌な予感が胸を満たす。
「前言を撤回してください。この方は私のお話相手をしてくださっていたのです」
そうっと台座のほうを伺うと、上官は遠目からでも分かるほど渋い顔をしていた。
「将校、これは命令です」
レイアの声の調子が厳しくなる。おそるおそる彼女のほうに首を戻す。
上官が自分より下の兵に対しての指示を撤回するというのはなかなかあることではない。下手をするとそれはそのまま不名誉につながるからだ。しかしレイアはそれをやれと言っている。王国騎士、それも将校相手にそんな指示ができる彼女の立場って……。
「……分かりました。レイア王女」
将校が頭を下げる。ふう、とレイアは息をつき、それから絶句した私を見て朗らかに笑う。
「騙したようになってしまい、すみません。改めまして。レイア・カルディアス・フライネルです」
王女です。とついでのように彼女は付け加えた。
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