第226話 正体不明のロスト・フライト

「でも、サキュバスは魔力が暴走しない体質で助かったね」


「ああ、サキュバスがいなかったら、魔力暴走の問題が解決しなかったからな」


 そうでなければ、古竜たちもみんな殴り倒すことになっていたのだろうか。

 大地の話では、トルムさんは魔力を消費して脱皮するように肉体を再生できていたそうだし、案外それで解決できたかもしれないが。


「いや、そっちじゃなくて。紫杏が暴走していたら、常に生かさず殺さずで搾り取られていたんじゃない?」


「……怖いこと言うなよ」


「さすがに、サキュバスは獣人のような発情期みたいにはならないわ。魔力や精気が足りなくて倒れることはあっても、正気を失って誰かの精気を吸うなんてことにもならないから安心して」


 サキュバスのお姉さんがそう補足してくれた。

 そうか、そういえば紫杏も最初は空腹で倒れそうになっていたけれど、俺から無理やり精気を吸おうとしなかったもんな。

 ……あれ、そういえば獣人たちと戦う前になにか考えて。


「あ」


「な、なにかしら?」


「サキュバスって、かなり離れた場所にいる相手の精気って吸えますか?」


「それは無理ね。そんなことができるのなら、古竜たちを安全な場所から鎮静化できたもの」


「それじゃあ、精気が足りないからって、無意識に誰かの精気を吸ったりは?」


「さっき言ったとおりよ。精気が足りなくて体調を崩すことはあっても、正気を失うなんてことはないわ」


 ……おかしくないか?

 いや、おかしいというか。これまでの心配がすべて杞憂だったんじゃないか?


「なあ、紫杏」


「ん? どうしたの?」


「お前、本当に魔力消失事件と無関係なんじゃないか?」


「え……?」


「だって、今聞いたとおり、自分が怪しいと思った理由は全部関係なかったみたいだぞ」


 不足した精気を補うために、無意識で誰かを襲うことはない。

 離れていた相手の精気を吸う手段だってない。

 なら、やっぱり魔力消失事件って、紫杏とは関係ない誰かのせいではないだろうか?


「……あ、あれ? で、でもスキルとか経験値が勝手に増えていたし」


「あ~……」


 それがあったか。そもそもそれが原因で自分が怪しいと疑っていたもんな。

 でも、なんか引っかかるというか……いや、紫杏は無実だと思い込みたいだけか?


「スキルって、現世界の技術を補助する概念だっけ? なんか変な法則よね」


「当然、こっちにはスキルはないから、サキュバスがスキルを奪うってことはないんですよね」


「まあ、ないものは奪えないからねえ……」


 なんとなく、俺は紫杏が魔力消失事件の犯人ではないと思い始めていた。

 そういえば、俺たちへの噂とか、魔力消失事件の亜種と思われている神隠し事件ってどうなったんだ?

 氷室くんの手引書で……ああ、そうだ。こっちも後で確かめようと思っていたんじゃないか。


「みんなに言い忘れていたんだけど、氷室くんの手引書がなんかおかしいかもしれない」


「どういうこと?」


 急に話題を変えてしまって悪いが、大地たちと一緒に手引書を確認することにした。

 ページをめくっていくと、やはり主にダンジョンや魔獣についてが記されている。

 だけど、時折世間の俺たちへの話題や、その他の噂話のようなものまでが記されていた。


「ここで手引書が白紙になっている。数日前からまったく記録されなくなっているんだ」


「たしかに……なに一つ更新されないっていうのはおかしいね」


 氷室くんは、手引書に記載する内容を選んでいると言っていた。

 であれば、たまたまなにも更新する日がなかったというだけかもしれない。

 だけど、それが数日間続くというのは、彼の性格からしても考えにくい気がする。


「更新できなくなったとか……」


 自分で書いているというのなら、まだ理解できる。

 だけど、あくまでもスキルで自動で記入されるのに、更新できなくなる状況ってなんだ?


「もしかして、新たなことが体験できなくなったとか……」


「事故に遭った可能性も考えられるな……なんにせよ心配だ。幸い俺たちがいなくなったことで、一部のやつらも悪評に飽きたみたいだし、一度現世界に戻ってみるか」


 もう異世界での目的は果たしたからな。

 現世界がなにやら怪しい状況だというのであれば、確認してから改めて異世界に行ってもいいし。


「なにやら、そちらの世界に憂い事ができたようだな。礼をしたかったところだが、急ぐのであれば止めることはできん」


「なんかすみません。ドタバタしちゃって」


「いや、謝罪される理由がない。お前たちには感謝しているのだからな。だが、問題が片付いたらいつでも来るがいい。歓迎しよう。なんなら、問題を解決するために手も貸すぞ?」


「いえ、竜王国が落ち着くまでは、アルドルさんもそちらに注力してください」


「引退したのだがなあ……」


 竜王国と獣王国はもう大丈夫だ。ここから先は俺たちの出る幕もないだろう。

 だから、俺たちは俺たちで、自分の世界の問題を探ろうじゃないか。


 などと意気込んだはいいものの、すでに日を跨ぐどころか明け方になっている。

 シェリルが大きな体でこくりこくりと眠そうにしているのを見ると、さすがに無理して動くのはやめたほうがよさそうだ。

 結局その日は、ルダルに宿泊させてもらうことでお開きとなった。


 今日はすでに紫杏に感情をたっぷりと吸われたのが、不幸中の幸いだったかもしれない。

 さすがの紫杏も、今は睡眠を優先してくれたようだ。


「え、吸ってほしいなら好きな方を吸うけど」


「客先でやめておこうな」


「えへへ~、自宅ならいいんだ~」


 それは、まあ……。言葉のあやというか、語るに落ちたというか……。

 にやにやと俺を見て笑う紫杏に、俺は何も言い返すことができずにふて寝するのだった。


    ◇


「なんか様子がおかしくない?」


 ルダルの転移魔方陣を使わせてもらい、改めてディメンショナルポートへ戻った。

 あとは世界を繋ぐゲートを通るだけだったのだが……夢子が言ったとおり、どうにも様子がおかしい。


「あの~」


「は、はい!」


 あわただしい様子の管理者のエルフに尋ねてみると、そこで初めて俺たちに気づいたようだ。

 どうやらよっぽど慌てているらしい。


「あなたたちは、現世界から来た……」


「はい。ちょっと現世界に用事ができまして、ゲートを使わせてもらいたいんですけど……」


「も、申し訳ありません! ゲートは現在使用不可でして……」


 使用不可。予約とか必要か、あるいはメンテナンス中とか?

 いや……この慌てた感じからすると、想定外のトラブルが発生しているように見える。


「なにかあったんですか?」


「それが……ゲートが起動できなくなっているんです」


「え……壊れたってことですか?」


「壊れてはいないはずなのですが……どうやら、現世界側のゲートが強力な魔力で封じられているようでして」


 なんだそれ。向こうのゲートの管理者になにかあったのか?


「もしかして、こっちからでは打つ手がないってことですか?」


「いえ……本来ならそんなことにはなりません。ですが、あまりにも強力かつ高度な魔力操作で、こちら側の操作がことごとく妨害されているようなんです」


 なんにせよ、今はどうにもならないってことか。

 なんか……おかしいな。

 もしかして、氷室くんの件と関係があるのか?

 氷室くんだけでなく、現世界側で大きな事件でもあったんじゃないかと不安になってくる。


「駄目そうだね……」


「ああ、ゲートってかなり厳重な管理をされていたよな」


「そうねえ。いくつもの検査の後にゲートがある部屋に通されたし」


「そもそも、関係者と渡航者以外は門前払いされるはずだからね」


 とにかく、ここにいても今は現世界に帰還できないみたいだ。

 俺たちは、一旦ディメンショナルポートを後にすることしかできなかった……。


    ◆


 神隠し……?

 とんでもない。あれは神なんかじゃない。あれこそは魔王。淫魔の女王に他ならない……。

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