第56話黄金の精霊

アスランの後から、靴音が続いた。

一つはよろけるように、頼りなく。

一つは気高く、傲慢に。

前に進むようにとアスランが顎先で示すと、それぞれの足音の持ち主は、大公閣下の前に進み出る。


「ソル…っ」


頼りない靴音の主を見た瞬間、悲痛な声が響き渡った。

全員の視線が、そちらに集中する。

目線の先ではヘリオスは両手で口元を抑え、罪の証拠をつきつけられたように、恐れ戦いて身を固くしていた。

項垂れて今にも倒れそうになっていたソルが、肩を震わせ、顔を上げる。

ソルの目がヘリオスを見た瞬間、曇天の間から太陽のきざはしを見つけたかのように目を輝かせ、彼は救いを求めて両腕を突き出した。


「殿下、殿下っ、でんかっ、どうか、お救い下さいっ」


ソルが差し伸ばした腕は、手首から先が失われていた。

巻かれた白い包帯の清潔さが、どこまでも痛々しい。

見開かれた瞳は、異様な程に炯々とした光沢を帯びて、ヘリオスに一心に追いすがる。


「止まれ、ソル」


ヘリオスの方へと、よろめきながら歩き出そうとするソルを、アスランは片腕で抱え込むように止めた。

ソルが近づいた分だけ、怯えたように後ずさったヘリオスは、もう一つの靴音の主に縋り付くように、視線を向ける。

彼の視線の先に佇むベアトリーチェは、柘榴色の鮮やかな瞳を細めて、ヘリオスとソルが繰り広げる愁嘆場を他人事のように、ただ眺めているだけだった。


「静粛に。昨夜、アスランを通じてわしに訴えが上がった。我が息子ヘリオスが、婚約者であるローゼリンド・フォン・カンディータを謀殺しようとしたとな」


大公閣下の厳粛な声が、重く、ゆっくりと響き渡る。

一瞬静まり返った空気を最初に震わせたのは、細い悲鳴に似た引き攣った呼吸音だった。


「誰がそんなでまかせをっ…!」


裏返った声が、ヘリオスの口から震えながら溢れ落ちる。

僕が彼に目を向けると、いつも澄み切っていた白目は血走った血管で濁り、蒼天の虹彩は黒々とした瞳孔に塗りつぶされていた。

これが、太陽と評されていた男の姿なのだろうか。

憐れみとも、憎しみともつかぬ感情を抑えながら、僕は静かに口を開いた。


「発言失礼いたします、大公閣下」

「良い、申してみよ」


鷹揚に頷く大公閣下に頭を下げると、僕は真実だけが伝わるように、淡々と語りかける。


「私たちはローゼリンデがソルに襲撃されるのを目撃いたしました。彼に命令できるのは、ヘリオス大公子だけかと」

「私は知らない、父上!!こんな戯言を信じるのですか!?」


ヘリオスが怒りが声となって爆発した。憎しみに満ちた目で僕を捉える彼の顔は、怯えと恐れに歪に捩れて見える。


「ヘリオス…貴様、醜いぞ。それでも兄上の息子か?ソルは罪を認めている、お前も諦めろ」

「煩い!!私は知らないっ!!!!」


全てを拒絶するように、絶叫が響き渡った。

謁見の間の高い天井に、残響が虚しくこだまする。

逃れられない罪から目を背けるように、ヘリオスは頭を抱えて震えていた。

父親である大公閣下は、物憂げな影を皺の刻まれた目元に落として、厳かに告げた。


「被告人と証拠、原告が揃っておるなら…あとは、調停者たる黄金の精霊に判断を託そう」


言葉の終わりと共に、大公閣下の頭上から降り注ぐ陽光が、俄に輝きを増した。

注がれていた光の階梯は、金色の粒子となって渦を巻くよう絡み合い、縺れ合い、波のように全員の頭上に打ち広がる。

畝りはやがて爪となり、神威を宿す指となり、威厳を示す手となった。

常に揺れ動く黄金の霧によって、朧げに作り上げらた巨大な手には、一つの天秤が掲げられている。

それがアウレウス黄金の精霊の御業であることは、誰の目にも明らかだった。

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