第52話説得

課題を与えると、ローゼリンドはさっさと部屋から僕を追い出した。


「やることができたから、出ていって」


そう言って笑っていたが、何をするつもりなのだろうか。

溝が埋まったのは喜ばしいが、反面、勝ち気さを隠さなくなった妹に一抹の不安が過る。

僕は新たな悩みを抱え込みながら、フロレンスとの待ち合わせ場所に向かった。


「おはよう、ジークヴァルト」


邸宅の馬車回しの前で待っていたフロレンスは、昨日のことを忘れてしいまったかのように、いつもと変わらない態度で僕に笑いかけた。

肩透かしをくらった気分だったが、気まずく過ごすよりは良いのだろうと考え直す。


「アゼリアは聖堂の礼拝に毎日参加しているそうだ。その帰りに声を掛けようと思う」

「分かった。説得は、僕に任せて欲しい」


二人で質素な馬車に乗り込んで暫く、貴族街の整えられた石畳の道を抜けると、程なくして土埃が舞う市民街へと差し掛かる。

目的の場所は、聖堂に続く大通りだ。

しばらく走ってから目的の場所で馬車が停車すると、僕とフロレンスは窓から聖堂前の大通りに注意深く目を走らせた。

どのぐらいの時間が経っただろうか、活気づく街の中を行き交う人々の間に、麦色の髪を背に長し、素朴な生なりのワンピースに身を包んだアゼリアの姿が見えた。


「いた、あそこだ」


告げるが早いか、フロレンスは馬車の外に飛び出すと人波を器用にかき分けて、アゼリアに追いつく。

二人の会話はこちらまで聞こえなかったが、程なくしてフロレンスはアゼリアを伴って、引き返してきた。

馬車の扉がフロレンスによって、開かれる。恐る恐る中を覗き込んだアゼリアは、僕を見た瞬間、口をぽかん、と開けて固まってしまった。


「あなたは…、…精霊様ですか?」


ようやく、上擦った声がアゼリアの口から漏れだした。


「アゼリア嬢、この方は今からお話することに深く関わっている人物です。まず、彼から話しを聞いて下さい」


フロレンスの声に、夢現のままをアゼリアは馬車のタラップに足を掛けて、中へと乗り込んだ。

アゼリアとフロレンスが座ったのを確認すると、僕は壁を叩いて御者に合図を送った。

同時に、馬車が大きく揺れ、ゆっくりと走り出す。


「どこに向かっているんです?」


ようやく現実に戻ってきたアゼリアは、窓の外に視線を向けた。

大通りでは人々が行き交い、行商の売り込みの声や子供の笑い声が高らかに響き、なんの変哲もない日常が広がっていた。


「どこにも。強いて言えばここが目的地です」

「どういうことです?」


アゼリアの下がり眉が、更に下へと垂らされて困惑を滲ませた。


「単刀直入に言いましょう。あなたに助けて欲しいことがある」

「私に、ですか?」


フロレンスから引き継ぐ形で、僕は口を開いた。


「あなたの母親…シュルツ伯爵家のベアトリーチェには、国家反逆罪と殺人の容疑が掛けられています」


アゼリアの瞳が、ゆっくりと、見開かれていく。


「お母様が…っ、何かの間違いでは」


漏れ出した声はか細く、震えていた。

急に言われて信じられないのも、無理はないのだ。

誰しも家族が罪を犯したと告げられて、飲み込めるはずがない。


「僕たちも確証がなければ、このような話しはしません。彼女は間違いなく…二人の人間を、殺している」

「お母様が誰を殺したっていうんですか!!」


僕の言葉を拒絶するように、アゼリアの声が馬車の中に大きく響いた。

わんわんと反響する音が、彼女の怒りの強さを物語っている。

僕はアゼリアの瞳を真っ直ぐに見つめると、慎重に口を開いた。


「…カンディータ公爵夫人と、大公妃殿下のお二人です」


鈍色の青い瞳が、大きく揺れた。

アゼリアの動揺が、瞳の中にありありと浮かんでは、嵐の中に一人取り残されたかのように、瞳孔が心細く震えている。


「…っ、そんなはずありません!!そんな…、…」


心当たりがあるのか、徐々にアゼリアは勢いを失って俯いていき、声はか細く、消えているようだった。

僕は思わず、彼女の手を掴んできつく握った。


「アゼリア、どうか信じて下さい。このままでは、もっと多くの人が傷つく。あなたの協力が必要だ」


祈るような思いだった。

アゼリアの協力がなければ、打つ手がない。

もしもベアトリーチェを捕まえられなければ、妹の命はいつまでも危険に晒されるだろう。

そして妹に何かあれば、僕はまた、罪のない人々を傷つけるかもしれない。

恐ろしい予感に、僕の心臓は鈍い音を立てて軋んだ。


「…私は、信じられません。そんな恐ろしいことをお母様がしただなんて」


俯くアゼリアは、僕の願いを拒絶するように頭を左右に揺する。

重い沈黙が落ちた。

馬車の揺れる音だけが、空しく響く。

諦め掛けて離そうとした僕の手の中で、アゼリアの指が不意に強く握り込まれた。


「だけど、あなた方がこんな嘘を吐く理由も、見出だせません」


再び顔を上げたアゼリアは、迷いながらも僕を真っ直ぐに見つめていた。


「私があなた達から話を聞いて、母に伝えるんじゃないか、とは考えないのですか?」

「あなたは、誇り高い方です。そして、優しい人だ…僕はあなたを信じたい」


真意を探り合う僕とアゼリアであったが、互いの瞳の中に、嘘はなかった。

考える時間が欲しいのだろう、アゼリアの柔らかな唇は、硬く引き絞られる。


「…私は、家族を信じています。だから、あなた方が仰っている証拠はなかったと、胸を張って言うために協力いたします」


再び唇を開いたアゼリアの声に、迷いはなかった。

僕は思わず、深く頭を下げる。


「ありがとう。アゼリア」

「礼なんて必要ありません、私は、あなた方が間違っていると言っているのですよ!」


勢いよく手を振り払ったアゼリアは、力強く輝く瞳で僕を突き刺す。

敵意を向けられたとしても、それでも構わなかった。

怒りをぶつけても変わらない僕の態度に、アゼリアは気まずそうに顔を背ける。


「何を探してくれば良いのか、教えて下さい…」

「花を持ってきて欲しいのです。できれば根ごと。特徴は、赤い一重咲きの花弁を持っていること。ベアトリーチェ夫人が身に付けている香水と同じ匂いがするはずです」

「庭で見たことはありませんが、母が管理する温室があります。家族の誰も出入りできなくて、唯一出入りできるのは、…」


アゼリアは、片手を唇に隠して言葉を飲み込んだ。


「どうしました?」

「いいえ、何でもありません。その花があれば必ず、お持ちいたします」


勢いよく頭を振ったアゼリアの声は硬く、踏み入ることを頑なに拒んていた。

今の彼女に何を尋ねても、答えは返ってこないように思えてならなかった。


「明日の朝…太陽が昇る前にロザモンド公爵家に来てください。お待ちしております」

「分かりました」


訝る思いと案ずる気持ちを一緒に飲み込むと、僕たちとアゼリアは、約束を交わした分かれることになった。

街中を走る馬車が、大通りの馬車道の端に紛れるように停車する。

扉を開けて何事もなかったように外へと踏み出すアゼリアは、こちらを一度も振り返らずに、雑踏の中に消えていった。

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