第47話夜の訪問者

僕とフロレンスの間に、沈黙が落ちる。

そこに静かなノックの音が、響いた。


「ジークヴァルト様、ノヴァリス公爵様がお呼びです」


父の従者のカルロッソの声だった。

ここで声を上げてしまえば、フロレンスと僕の想いも、時間も、手の届かないところにいってしまう。

僕は返事ができず、思わず口ごもってしまった。


「承知した。私も同席させてもらうので、今すぐジークヴァルトと一緒に向かう」


僕の声の代わりに、フロレンスの返事が朗々と響く。

驚いてフロレンスを見下ろすと、彼女はほんの少し寂しげに、不器用に笑って見せると颯爽と歩き出した。

そこには既に、僕だけの少女だったフロレンスの姿は居なくなっていた。


隣り合って歩く僕とフロレンスの間に横たわる、わずかな距離。

そこには、今までなかった澱が蟠っているようだった。

後悔、恋慕、哀惜。

全てを煮詰めてできた感情を、乗り越えることは、生涯できないだろう。

決して触れあえない彼女の隣に並ぶ苦しさを抱え、それでも僕は、二人で歩くこの時間がどうか終わらないで欲しいと、願ってしまった。

だが、距離というものは有限で、いつもなら長く感じる廊下はすぐに終わりを告げてしまう。

無情にも公爵家当主の執務室の扉が開かれると、椅子に座す父の真剣な眼差しが僕たちを射ぬ抜いた。


「フロレンスも来たなら丁度良い。さて、説明してもらうよ、二人とも」

「申し訳ございません。今はまだ、説明できません」


僕は首を横に振って答えた。

途端に、父の穏やかな顔立ちが厳しくしかめられていく。


「どういうことだい。ローゼリンドがあんな目に遇ったんだ。それにソルを拘束してしまっている。今すぐ大公殿下に事実をお伝えして、調査をお願いする義務があるんだ。お前も分かるだろう?」

「勿論理解しています。ですが、あと少しお待ち下さい。今夜絶対に、アスラン殿下がお越しになります。その時に全て話いたしますから」


僕の確信に満ちた答えに、父は一瞬呆気に取られた後、難し気に眉を歪める。

公爵家当主として、どの道が最も正しいのか、模索しているようだった。

しばらくの逡巡の後、父の口から大きな溜息が吐き出された。


「…明日までだ。ソルをこちらで捕らえておくのも、限界がある。事情を大公閣下にすぐに伝えなかったと咎められれば、こちらに不利になるかもしれないからね」

「ありがとうございます。父上」


最大限の譲歩を見せてくれる父に僕は深く頭を下げると、父は大きく頷いてからフロレンスに視線向けた。


「ということだ。申し訳ないがフロレンス、今夜は我が邸宅に泊まっていっておくれ。君からも話を聞かなければならないし…ローゼも、そのほうが安心するだろうからね」

「承知いたしました。カンディータ公爵様」


ドレスだというのに、胸に拳を当てて折り目正しく頭を下げる軍隊式の礼で返すフロレンスに、父は可笑しそうに笑いながら、鷹揚に頷いた。


「二人とも、下がりなさい。あとは夕食まで自由に過ごすように。ジークとローゼのこともあるから、食事は最小限の人数で済ませよう」


父の言葉に見送られ僕とフロレンスが部屋を後にすると、僕は自室へ、フロレンスはローゼリンドの部屋へと向けて、それぞれ別の道を歩いていった。

その後は、僕の姿やローゼの短く切り詰められた髪が晒されないように、こじんまりとした食事を家族と共に楽しみ、まるで何ごともなかったかのように穏やかな時間が過ぎていった。

だが、それも真夜中に到着した訪問者によって、すぐに打ち砕かれたのだった。



「ジークヴァルト、出てこい!!説明しろ」


深夜に怒号が響いた。

眠らずに待っていた僕は、猛々しく響き渡る声の主をホールから見下ろしていた。


「お待ちしておりました。アスラン殿下」


僕の声に応じて、ホールに射し込む月に照らされた鬣のような黄金の髪を靡かせ、アスランは弾かれるように顔がこちらを向いた。

鋭い眼差しが僕を映した瞬間、彼の瞳は信じられないものを見たように、大きく見開かれていった。

僕はゆっくり階段を降りてアスランの目の前に立つと、以前は見上げていた彼の顔を正面に捉えた。


「お前、本当にジークヴァルトか?」

「はい。殿下」


僕を見詰めたまま唖然と呟くアスランの言葉に頷いてみせると、アスランは頭痛を耐えるように額を押さえて俯き、頭を振った。


「…ルベル紅の精霊の力を使ったってのは、本当なのか」

「それも含めて、全てご説明します。一先ず僕の執務室に。父とフロレンスを呼びますので」


僕は、アスランに背を向けると、二階を目指して歩き出した。


護衛も置かず、最小限の人員だけになった邸宅内は耳が痛くなるほどの静寂に包まれ、月明かりが照らすばかりの廊下の影は、いつもより昏く沈んでいた。

告解するのに似つかわしい、静けさだった。

アスランを執務室に招き入れ、ソファに腰を掛けるように促すと、僕はフロレンスと父を迎えに行った。

全員が僕の執務室のソファに座ると、アスランが開口一番問い掛けた。


「説明して貰おう。ルベルの加護を使ったってことは、デケェことが起きたってことだろ」


深刻な顔で押し黙るフロレンスと僕、そしてアスランを困惑した顔で交互に見ていた父が、そっと片手を持ち上げる。


「発言を失礼します、アスラン殿下。ルベルの加護は周囲の人間の力を引き出すものだと理解しているのですが…」


父の問い掛けに応じて口を開いたアスランの視線が、僕の隣に座るフロレンスに向けられる。


「ロザモンド公爵家には、秘匿された力がある。能力を知らされるのは、ロザモンド公爵家の跡継ぎと、大公家当主と成人した後継者にのみだ…俺は、兄上が成人した時に、一緒に教えられた。兄上が亡くなった時の、保険としてな」


フロレンスはアスランの言葉を引き取って、続けた。


「ロザモンド公爵家で伝えられている力は、罪を犯した者に、未来を変える機会を与えること…贖罪として犯した罪に見合う代償を払い、過去に戻るのです。全てをやり直すために」


驚きに目を見開いた父は、声が出ないのか一度、二度と唇を開閉させると、ようやく言葉を絞り出した。


「そんな事が…」


にわかに信じられないのだろう、乾いた声を漏らした父が、正面にいる僕を見た瞬間、否定の言葉を飲み込んだ。

父と同じように僕を見たアスランの太陽の眸が、鋭く尖る。

罪を問いただすような視線に、僕の体が強張った。


「まあ、良い。使ったってことは、兄貴も合意したって事だろうからよ」


アスランの視線から、ふ、と力を抜けたかと思うと、彼はどっかりと背中をソファの背凭れに投げ出して、天井を仰いだ。

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