旅人書房と名無しの本(古書編)

Kurosawa Satsuki

短編集

旅人書房と名無しの本(古書編)





目次:

1、道しるべ

2、真夜中の幸福論

3、またいつか

4、魚の時間

5、僕らの喧嘩

6、ただいま

7、忘れもの

8、それから

9、通信簿

10、夕焼け

11、片道切符

12、答え合わせ




あらすじ:

旅人書房に、星空出版社の職員がやって来た。

「貴方にお届け物です」

出版社の職員を名乗る小柄な男から渡されたのは、しわくちゃの茶封筒だった。

何が目的なのか?

なぜ俺なのか?

聞きたいことは山ほどあるが、

それよりも、中身が気になるので、

彼の前で封筒を開ける。

その中身は、予想通り図鑑位の大きさの本だった。

古びた錆色の表紙には何も書かれていない。

勿論、作者も不明。

そして、所々に爪痕や切り傷がある。

「やれやれ、これの送り主は何がしたいんだ…」

顔を上げると、そこにはもう男の姿はなかった。

恐らく、この本のテーマは“別れ”だ。

開いた瞬間に目に入った目次を見れば分かる。

もしかして、この本を書いたのはあの男なのか?

そんなどうでもいい事を考えながら、

俺はページを捲り、

この本を最後まで読むことにした。




1:道しるべ

世の中には、目を背けたくなる実情が沢山ある。

その人によって、

また、時代によって痛みの種類や程度は違う。

酒がなくても酔うことはできる。

周りを見てみなよ。

老若男女、色んな酔い方をしている。

俺が最後に見る景色は、

どんなものなのだろうか?

暗闇なのだろうか?

光に包まれているだろうか?

俺が最後に見せる表情は、

どんなものなのだろうか?

笑っているのだろうか?

泣いているのだろうか?

それとも、笑いながら泣いているのだろうか?

ふと、一から過去を振り返る。

二十歳のある晩に、俺は答え合わせをした。

失敗だったか、成功したのか。

その時の俺は、前者であると結論付けた。

後悔ばかりの人生だった。

やった後悔よりも、やらなかった後悔が、

俺の心を容赦なく抉った。

真夏の夜風が、これでよかったのか?

と、語りかけてくる。

言いわけないだろ、と俺は答える。

この悔し涙が、何よりもの証拠だ。

人には向き不向きがある。

限界もある。

仕切りが高くて、乗り越えられないこともある。

転んで、泣いて、それでも駄目で、

善し悪しは結果を見るまで語れなくて、

闇雲に走り続けた結果、何も見えなくなった。

嘗ての俺も、君と同じ立場だった。

このような言葉を嘗ての俺が聞いたら、

お前に何がわかるんだ!

と怒って聞かないだろう。

だが、今になって思う。

自由とは、それだけ責任を伴うものだ。

昔はそれでもよかった。

無条件に守られ、許され、与えられたからだ。

最後に、これだけは言わせて欲しい。

少年少女よ、手を伸ばせ。



2:真夜中の幸福論

男が二人、夜中の河川敷にて。


「ちょっと、意地悪な質問をしていいか?」


「なんだ?」


「もし、生まれ変われるなら何になりたい?」


「何にもなりたくない」


「どうして?」


「どんなものに生まれ変わろうが、

苦しい事には変わりない。

今がどんなに辛く、死ぬほど痛くても、

次こそ幸せになれるという保証はない。

それに、命はこの一回で十分だ」


「じゃ、もう一つ質問」


「なんだ?」


「君は、なんの為に生きる?」


「それは多分、死んでも分からんよ。

知らなくていい事なのかもしれないが」


「そうか」


「俺からも質問いいか?」


「いいよ」


「お前にとって、幸福とはなんだ?」


「この世には、ありとあらゆる幸福がある。

僕はまだ、確信できるものを見つけられていない。そういう君は、どう思っているんだ?」


「今ある当たり前を失った時に気づくものだと、

俺は勝手に思ってる」


「ソースは?」


「俺だ」



3:またいつか

私たちの日常も、今日で最後になるらしい。

私たちの頭上には、

星よりも明るい光が幾つも見える。

それらは、私たちの方へと近づいているようだ。

どの報道番組も、その光の事しか話さない。

あれはきっと隕石だ。

光の正体が隕石群であると、

誰もが信じて疑わない。

「上空からアンノウン反応、

緊急警報発令、緊急警報発令」

世界中で避難勧告が出され、

あちらこちらでサイレンと、

端末に搭載された緊急アラート音が鳴り響く。

窓から外の様子を見る限り、

外出は控えた方が良さそうだ。

殺し合いをする者、泣きじゃくりながら祈る者、

訳も分からず逃げ惑う者、気絶する者、喜ぶ者、

みんな、自我を失っている。

「あぁ、これが世界の終わりか」

上空からは、徐々に光が近づいて来ている。

あれが私たちの所に来るまで、残り三時間。

それじゃ、これからどうしようか?

ここで静かに終わりを待つのも悪くない。

専門家が公言している通り、

何処へ向かってもアレからは逃れられない。

政府の人間が自分たちの為に用意していた地下シェルターも、マトモに機能してないそうだ。

家の中で出来ること。

私にとって、最後に相応しいこと。

思い出諸共消えるなら、

最後くらいは笑顔で過ごそう。

私は、携帯とテレビを消して、

外部からの情報を完全に遮断する。

これ以上知ったところで意味は無い。

それから、コーヒーミルを食器棚から取り出す。

食卓には、先ほど焼いたばかりのトーストと、

愛読している一番お気に入りの本が置いてある。

ワイヤレスイヤホンから聴こえる緩やかな音楽。

ピアノの音が、憂鬱な今の私を癒してくれる。

後片付けも欠かさない。

いつも通りでいい。

私の最後は、これでいいんだ。

これが、私の生き方なのだから。

「それじゃ、またいつか」

私は、出来立てのコーヒーを一口飲んで、

そのまま眠りに落ちた。



4:魚の時間

誰もいない、静寂に包まれたとある住宅。

一匹の魚の影が、

少し濁った浴槽から飛び出てきた。

魚は、青色の壁を伝って床に降りた。

風呂場を出て、モダンな洗面所を通り過ぎ、

廊下から黄色の寝室へ入った。

魚が出てきた風呂場がある二階には、

紅葉色の書斎やピンク色の部屋があった。

魚は、一部屋ずつ回りながら、

部屋の中を優雅に泳いだ。

魚は次に、一旦廊下に出て階段から一階へ降りる。

白や緑を基調とした台所、大きな窓から、

庭で色とりどりの花が揺らめいているのが見えた。

リビングで隠れていた仲間を見つける。

食器棚、蛇口、タンスの裏、花瓶の中など、

色んなところから仲間が出てきた。

魚は、嬉しくなって壁や天井を泳ぎ回る。

その様子を目で追う黒猫。

やがて、魚にも夜が来る。

猫もリビングでぐっすり眠っている。

寝室の窓からは、とても綺麗な星空が見える。

魚は、仲間を連れて寝室を出た。

それから、廊下を泳いで風呂場へ戻った。

ポチャン。

魚は、浴槽の中へと姿を消した。



5:僕らの喧嘩

一昔前、世界中を巻き込んだ大きな戦争が起こりました。

原因は、資源が足りなくなった等色々ありますが、その全ては、たった一人の過ちから始まりました。

国民から得た資金だけでは足りなくなった強い国は、周りの国を侵略する事にしました。

みんなのお金で様々な兵器が開発されました。

銃、戦艦、空母、戦闘機、核ミサイル…

開発者や研究者達は、

人を殺める為の道具を沢山生み出しました。

街や村では多くの血が流れました。

大人も子供も関係ありません。

偉い人たちは、

戦争を続ける口実を探していました。

世界中で人種差別が横行しました。

みんなで寄ってたかって弱い者虐めをする様になりました。

無抵抗の人々が次々に殺されました。

少年の親や友達は、

みんな味方に連れていかれました。

その光景を見て育った少年は、

ある時軍から招集を受けて戦地に向かいました。

戦地でも、多くの血が流れました。

そこには、言葉も出ないくらい悲惨な光景が広がっていました。

もはや、誰が敵で味方なのか分かりませんでした。

少年も必死に戦いました。

大人が決めた正義を信じて、

戦火の中を懸命に駆け抜けました。

少年は、敵国の兵士に脇腹や両手足を何発も撃たれてしまいました。

少年は、仰向けに倒れました。

意識が朦朧とする中、

家族の事を思い浮かべました。

気づけば、夜になっていました。

いつの間にか、争いは収まっていました。

少年は、自力で起き上がる事ができません。

少年の目には、満月が映っていました。

少年は、体の痛みなど忘れて涙を流しました。

故郷を思い浮かべながら、沢山泣きました。

「決めたのは誰ですか?」

「賛同したのは誰ですか?」



6、ただいま

八月十五日のお盆休みに、

五つ下の妹を連れて先祖の墓参りに行った。

電車を乗り継ぎながら、

一時間程で目的地の先祖達が眠る霊園についた。

「兄ちゃ〜ん、暑いよ〜」

「じゃ、後でカフェに寄ろうか」

「うん!」

今日の最高気温は三十五度。

八月の初旬から酷暑が続いていて、

体育会系の俺でも、流石にこの暑さは耐え難い。

「涼香、掃除を手伝ってくれ」

「はーい」

墓石の上にある枯葉を払い、

たまに水をかけながら、

雑巾で墓石を丁寧に磨く。

毎年やっている事だが、

隅々まで徹底して綺麗にする。

「よし、そろそろだ」

「兄ちゃん、手桶に新しい水を汲んできたよ」

「ありがとう、涼香」

次に、柄杓を使って墓石に打ち水をして清める。

それから、花と線香をお供えして合掌する。

「ただいま」

俺は、心の中でそう唱えながら、

先祖に感謝と無事を捧げた。

今日来た墓には、俺が五歳の頃に亡くなった爺ちゃんも眠っている。

線香が燃え切るのを待つ間、

俺は、爺ちゃんの事を考えた。

生前の爺ちゃんは、とても優しい人だった。

俺がイタズラしても怒らなかったし、

爺ちゃんが大事に育てていた盆栽を誤って壊してしまった時も、盆栽より俺の怪我を心配してくれた。

本当に温かく、そして優しい人だった。

爺ちゃんにもらった折り紙の鶴は、

今でも思い出の箱に閉まってある。

「そろそろか」

右腕につけた腕時計を確認する。

線香は、四十分弱で全て燃え切ったようだ。

俺は、お供え物を片付けてから妹の手を引いた。

「涼香、帰るぞ」

「やっと終わった〜」

「カフェに寄る約束だったな」

「私、ティラミスも食べたい」

「俺はメロンスムージーにしよう。

涼香、飲み物はどうする?」

「キャラメルマキアートがいい!」

「そうか」

また来る。

俺は、爺ちゃんや先祖達にそう言い残し、

霊園を後にした。





7、忘れもの

「これで良かったのだろうか?」

不安に駆られて目が覚める。

掛け時計を見ると、夜中の二時を回っている。

ここは、夜景がよく見える最上階の病室。

私の手は、僅かに震えていた。

一人だからではない。

このまま終わるのが怖いのだ。

やり残した事は山ほどある。

取り戻したい思い出は道中で失くしてしまった。

何もかもが手遅れだ。

大粒の涙が頬を伝う。

横を見ると、真っ黒な女の影が扉の前にあった。

得体の知れない不気味さを感じさせるその女は、足音も立てずにゆっくりと私に近づいてくる。

「お迎えかい?」

そう、女に声をかけた途端、

私は信じられない光景に驚いた。

女の正体は、若い頃の私だった。

女は一言も話さないまま、ずっと悲しそうな目で私を見下ろしている。

「ごめんね…」

私は、独り言のように謝罪の言葉を呟く。

何に対してかは、目の前にいる彼女の方が一番よく知っていると思う。

お前のせいだと呪いをかけられても仕方がないくらい、私は自分自身を虐げてきた。

今日は、それの復讐をしに来たのか?

なんでもいい。

私はもう、これ以上生きたくない。

生きる必要もない。

この世界に産み落とされてから七十六年。

よくここまで来れたなと、自分でも感心する。

そういえば、最近は毬栗さんを見ていない。

水谷さんは、蝶々を見れたのだろうか?

私も笑って行けるだろうか?

「楽しかった?」

彼女のその質問に、“楽しかったよ”と私は返す。

「私らしいね」

「ありがとう」

「それじゃ、また」

「おやすみ」

気づけば、すっかり夜も明けていた。

掛け時計を確認すると、短針が六時を指していた。

そろそろ、朝日が昇る頃合いだ。

私は突然睡魔に襲われ、

消えゆく彼女を見ながらゆっくりと目を閉じた。

「いつかまた何処かで。

さよなら、世界。さよなら、私」




8、それから

【遠藤愛華がログアウトしました。】

【アンインストールを開始します。】

【しばらくお待ちください。】

……………………………………

愚か者。

親不孝者。

情けない。

勿体ない。

悲劇ぶってて気持ち悪い。

もっと死ぬ気で頑張れよ。

そう、私を非難するそこのアナタ。

おめでとうございます。

アナタは世界から選ばれた人間です。

その寿命が尽きるまで、

思う存分人生を謳歌しましょう。

隣で泣いてるあの子に綺麗事を吐きながら、

甘い汁をたっぷり吸いながら、

人は皆自分と同じであると信じながら、

人の苦悩を知らないまま、

これからもアナタを楽しんでください。

自分が死ねば周りは幸せになるとか、

世界が救われるとか、

そんな大それた事は微塵も思ってないよ。

ただ人生に飽きただけ。

これ以上生きても仕方がないと思っただけ。

結局、何一つ叶わなかったけど、

まぁ、それでもいいか。

今回は失敗だったという事で。

私は、遠藤愛華は、

本日をもちまして、卒業します。

香織先生、貴女だけが私の味方でした。

それじゃ、いつかまた何処かで。

さようなら。

…………………………

【アンインストール完了。】

【記録を終了します。】

【お疲れ様でした。】

………………………………………

救えなかった命がある。

この世界は、優しい奴から居なくなる。

創造の神はいても、救済の神は何処にもいない。

彼女が遺したこの手紙が、

そのことを残された私たちに訴えている。

知ろうともしない、

笑ってばかりの彼らにそっと語りかけている。

例えそれが、届かないと分かっていても。

「お疲れ様。今はただ、安らかに眠りなさい」

蜩が弔いの言葉を奏でる夕刻。

私は、彼女が眠る墓石の前で手を合わせた。

今の私が彼女にしてあげられるのは、

線香を焚いて、花を彼女の前に添えて、

彼女の幸せをこうして祈るだけ。

彼女の父親は、葬儀に来なかった。

学校での虐めはなかった。

苦しみの原因が父親である事は明白だった。

それなのに私は、最後まで彼女を守れなかった。

彼女が父親に虐待を受けていた事実を知っても尚、私はただ励ますことしかできなかった。

彼女に必要だったのは、

気休め程度の言葉ではなかったはずなのに…

ごめんね、愛華ちゃん。




9、通信簿

私は、会社のビルから飛び降りた。

理由を探せばいくらでも出てくるが、

それすらも疲れてしまった。

私が最後に願ったのは、

“あの頃に戻ってやり直したい”だった。

真っ暗闇の空間には私しかいない。

とても温かく、眠気がやってくる。

そして、徐々に意識が遠のいていく。

あぁ、これが終わりというやつか。

………

聞き慣れないアラームの音で目を覚ます。

「ここは…」

普段より体が軽い気がする。

そう思いながら、自分の両手を見下ろす。

「小さい」

辺りを見回すと、懐かしい風景が広がっている。

私はここを知っている。

私が小学生の頃まで住んでいた家だ。

そして、今いる場所が私の部屋。

私は、過去に戻ってきた。

どうやってタイムスリップしたのかは不明だが、

このまま何もしない訳にはいかないので、

布団から起き上がり、リビングの方へ向かう。

ここは夢の中なのかとも思ったが、

ちゃんと自分の体をコントロール出来るし、

五感全てが正常に働いている為、

普段見る夢とは少し違うのだろうと考えた。

両親は共働きの為、既に家を出ている。

カレンダーを確認すると、今の私が小学六年生だということが直ぐに分かった。

とりあえず、身支度を済ませて学校に行こう。

あまり気乗りしないけど、時計を見る限り、

走らなくてもなんとか間に合いそうだ。

「起立、礼」

「おはようございます」

朝の会が終わり、早速一時限目が始まる。

一時限目は、道徳の授業だ。

道徳の授業と言っても、心のノートを朗読したり、先生の話を聞いたりするくらいで、

私にとっては退屈な時間だった。

昼休みになっても、クラスメイト達が校庭や図書室へ向かう中、私は教室で一人遊びをしていた。

私が学校で孤立したのは完全に自業自得だった。

だから、碌に人間関係も築けないし、

困った時に助けを求めることができなかった。

やり直したい…か。

これじゃ、前と変わらないな。

「もう放課後か」

時間はあっという間に過ぎ、

気づけば、教室にいるのは私一人だけだった。

さて、これからどうしようか?

「雲雀(ひばり)さん?」

名前を呼ばれて、慌てて顔を上げる。

そこには、不思議そうに私を見る担任の先生がいた。

「何書いてたの?」

先生はそう言いながら、

私の手の下にあるノートを指さす。

何でもないと私は言うが、

どうしても見せて欲しいと懇願されてしまった。

私は渋々ノートを開く。

ノートには、短編の物語が汚い字で載っている。

朝からずっと書いていたものだ。

まだ書き途中だが、そろそろ創作に飽きてきた。

出来の悪い話だ。

自分でこれを読んでも、

つまらない以外の感想は出てこない。

「凄い!これ、雲雀さんが書いたの!?」

先生は、予想外のリアクションを見せる。

多分、お世辞だ。

私が小説を書き始めたのは、中学二年生の頃からだ。

自信満々に家族や知人に見せたら、

散々笑われ、馬鹿にされた。

それからというもの、書いてはみるが、

それを誰かに見せたりしなくなった。

他人からの評価を貰うのが久しぶりすぎて、

逆に私の方が驚いてしまった。

それから私は、先生と他愛もない話をした。

事実を知られたくなかった為、

私の事は殆ど話さなかったが、

先生のプライベートについてあれこれ話した。

先生は、四十手間の既婚女性だ。

私と同い年くらいの娘さんが二人いて、

二人ともヤンチャで手が付けられないという。

子育ての大変さは、経験したことが無い私でも分かる。

生涯独身のまま人生を投げ出してしまった私だが、同僚の話を散々聞かされていたので、

養育の知識だけは豊富にある。

ガラガラ…

先生としばらく談笑していると、

教室の後ろ側の扉がゆっくりと開いた。

そこには、私が立っている。

おそらく同じ事を思ったのだろう。

向こうも、驚いた表情で私を見つめている。

なんでもう一人の私が居るんだと、

異星人にでも遭遇したかのような顔だ。

あちらが、この時代の私なのだろう。

じゃ、今まで向こうの私は何をしていた?

それを聞こうとしたが、この時代の私は、

私が喋ろうとするタイミングで、

何処かへ走って逃げてしまった。

「これは、どういう事?」

先生が、困惑した表情で私に言う。

ずっと黙っていようかと思っていたが、

バレてしまったので、先生に事の顛末を一から話した。

先生は、隠していた事を怒る訳でもなく、

かと言って、私に対して恐怖を抱く訳でもなく、

ただ黙って私の話に耳を傾けていた。

全て話し終わると、自然と涙が流れてきた。

ようやく呪縛から解放されたからなのか、

小さな子供のように声を出して泣いてしまった。

お気に入りのカーディガンも、

塩っぱい涙でびしょ濡れだ。

これからどうしようか?

先生にちゃんと謝って、

ここを出て、この夢が終わるまで待とうか?

「今ならまだ間に合う。ちゃんと話してきな」

先生のその言葉に、私は直ぐに立ち上がって、

荷物も持たずに教室を飛び出した。

「見つけた!」

三丁目の団地の五階。

家の真ん前に、この時代の私はいた。

「逃げないで。君に話したい事があるの」

「貴女は…」

私は、もう一人の私に未来から来た事を話した。

どうやら、自分を襲いに来たドッペルゲンガーだと勘違いしたらしく、誤解は直ぐに解けた。

「それで、貴女はこの後どうするの?」

「分からない。けど、君と会うのはこれで最後」

「そっか」

私は、これから旅をしようと思う。

宛もなく、所持金すら足りないから、

どこまで行けるか分からないけど、

今までの私としてではなく、

今の私として生きよう。

私は彼女に、小さい鈴のキーホルダーが付いた黒のUSBメモリを差し出した。

このUSBには、今まで書いた作品や、

私の生きた証が全て詰まっている。

それを過去の自分に、

大切に持っておいて欲しいと思った。

「ありがとう、私」

「それじゃ、またね」

その瞬間、急に視界が暗転する。

激しい耳鳴りと共にまた意識が遠のいていく。

嗚呼、やっぱり夢だったか。

結局、戻っても駄目なのか。

悔しいな。



10、夕焼け

大雨が降る休日に、

私は駅前の文具屋に立ち寄った。

お店の名前は、“ヒダマリ”。

店長の飛田真理さんが経営する店だ。

モダンな雰囲気の店内には、

木漏れ日を感じさせる音楽が流れていて、

私にとってとても居心地がいい空間だ。

カウンターの前には、ガラスケースに入れられた様々な木軸のペンが置いてあり、どれも手が付けられない程高価なものばかりだ。

私が今一番欲しい木軸の万年筆も、

三十万円以上する。

「今日は何をお探しですか?」

カゴを手に取り、店内を散策していると、

レターコーナーの片隅で品物を出し入れしていた店長に声をかけられた。

今週は、丁度新しいレターセットが発売される日で、今さっきその品が入荷したそうだ。

宝石柄のものや、可愛いキャラクターの絵が描かれたものなど色々あった。

私は、その中から黒猫の後ろ姿が描かれたアンティーク風のレターセットを手に取った。

「それ、可愛いですよね」

「しっぽが丸まってる所が愛らしいですね」

「ブラウン以外にも、パープルやミント色の色違いがありますが、一緒にどうですか?」

「良いですね。お願いします」

「ありがとうございます」

よく見ると、二つの色違いで黒猫が変わったポーズをしている。

パープルは、横向きで毛繕いをしている様子。

ミントは、寝ている様子。

どちらも可愛くて、つい頬が緩む。

他には、同じ柄の万年筆やガラスペンが売っている。

ついでにこれらも買ってしまおう。

会計中に気になるインクを見つけたけど、インクは家にあるものを使い切ってからにしよう。

「ありがとうございました。

またのお越しをお待ちしております」

合計金額は、五千六百円。

今日は、いい買い物をした。

また来よう。

ふと、空を見上げる。

雨はすっかり止んでいて、

綺麗な夕焼けが、空一帯に広がっていた。




11、片道切符

片道切符を購入し、

誰もいないホームで列車の到着を待っていた。

行先はこの路線の終点まで。

あえて目的を決めず、気の向くままに旅をする。

思えば、ここまで来るのに色々あった。

喜怒哀楽を経験して得たものは、

歪な形をした石ころ一つだけだった。

私は、その石ころを大事に握りしめながら、

初めから用意されていた一本道を歩き続けた。

最初の頃はそれでも良かった。

世界を知らずとも進んでこれた。

大人になるに連れて道も険しくなり、

ある地点で突然道が途絶えてしまった。

とはいえ、草木が生い茂っているくらいで、

暗くなる前に迂回して他の道を探せばいい話だが、当時の私は、その考えすらもできないくらい恐怖と苦痛に苛まれていた。

私は、必死で草木を掻き分け、

整備されていない道を涙ながらに突き進んだ。

訳も分からないまま進んでいるうちに夜が来た。

私は、明かり一つない場所で動けなくなってしまった。

その場でうずくまりながら朝を待つが、

いくら待っても夜が明けない。

これまでかと覚悟したその時、

遠くの方で光が見えた。

茜色の小さな光だった。

私はその光を目指してまた歩き始めた。

これで駄目なら…

しかし、光は遠のくばかりで一向に追いつかない。

次第に、私の足取りが遅くなる。

また裏切られたのか…

そう思った矢先、列車の走行音が聞こえた。

顔を上げると、大きな駅が目の前にあった。

それが、私が今いる場所だ。

そうこうしてるうちに列車が到着する。

電光掲示板には、各駅停車と表示されている。

次こそは、自分の意思で自分の道を歩きたい。

私は、発車ベルが鳴ると同時に、

急いで列車に飛び乗った。



12、答え合わせ

俺は今日、人生の答え合わせをした。

楽しかった事や、苦しかった事、

未だに癒えない傷の事など、

自分の過去を振り返りながら、

安物のノートにひたすら書き連ねた。

内容は、以下の通りだ。

………

もう一度生まれ変われるなら何になりたい?

日本人女性。

(今の記憶を受け継いだまま)

過去に戻れるとしたら何時ぐらい?

四歳くらい。

(今の記憶を受け継いだまま)

過去に戻れるとしたら何をしたい?

過去の過ちを清算する、失敗を回避する。

無人島に一つ(一人)だけ持っていけるとしたら?

相思相愛の異性。

一つだけなんでも願いを叶えられるとしたら?

女として(転生)一から人生をやり直す。

過去の自分に言いたいことは?

ごめんな、

お前の望む人間にはなれなかったよ。

お前の嫌いな情けない人間になってしまった。

自分を動物に例えると?

野良猫。

今一番欲しいものは?

恋人や信頼できる仲間。

何かを得る(能力)代わりに何かを失うとしたら?

女体化を得る代わりに男に戻れなくなる。

人生に失敗した時、成功した時の行動は?

失敗したら、有り金を使って終活。

成功したら、自衛手段の確立し、

今まで通りの生き方をする。

ある日突然、世界が滅びて自分だけになったら?

やることやって人生を終わらせる。

これからの目標は?

倒れるまでやって、それ以上無理なら諦める。

もしも、未来にタイムスリップしたら?

帰る術を探しつつ、

未来の公的機関に相談しに行く。

ある日突然全て(自分の大切なもの)を失ったら?

人生を終わらせる。

自分の命か、他人の命どちらを優先する?

その他人がクズなら自分の命。

自分のものを遺産として残すとしたら?

今まで書いた物語。

人生で一番楽しかった事は?

小学校時代に友達と色々な遊びをした事。

人生で一番辛かった事は?

突然の環境の変化に適応できず、

自分の思いや価値を理解されず、

やりたくも無い事を強要された事。

利き手を失ったら?

もう一つの手で慣れる練習をし、

それでもダメなら諦める。

終活の方法、最後はどうやって死ぬ?

遺書を残して投身自殺。

または、ドナーを提供する。

……………

他にも色々書いたが、

俺が出した回答は大体こんな感じだ。

俺は結局、

周りのように大人になる事ができなかった。

歳を重ねるにつれて、周りとの格差に失望し、

今ある当たり前を失うかもしれないという恐怖に怯え、ないものねだりをするばかりで、

自分から変わろうとしなかった。

要するに、自分が見えていなかったんだ。

けど、それも今日で終わり。

書き終えた俺は、鞄の中にノートを仕舞い、

今借りているアパートを出た。

夜空を見上げると、三日月が雲の隙間からこちらを覗いているのが見えた。

俺の瞳から、大粒の涙が零れた。

向かった先は、人気のない山の中。

俺の左手には、リボルバーが握られている。

「ごめんな」

不思議と恐怖は感じない。

俺は、自分のこめかみにリボルバーの銃口を向ける。

涙はもう流れない。

俺はその場で膝をつき、狂ったように笑った。

否定されてきた日々を思い返しながら、

馬鹿にされてきた日々を懐かしみながら、

失敗して恥を晒し続けた日々を慈しみながら、

償えなかった罪を悔やみながら、

このまま嫌われ者として生きていく事を拒みながら、ただひたすらに大声で笑い続けた。

あぁ、結局救えなかったな。

そして、笑い疲れた俺は、

目を閉じながらゆっくりと引き金を引いた。



END

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