第五十三話: 拳と抱擁、そして雨

 大きな土産みやげたずさえ、僕たちは意気揚々いきようようと帰路にく。


 鳥のジャンボとの間に結ばれた相互不可侵条約は、間違いなく我が領の助けになるだろう。

 贈答品は、長さ五メートルの尾羽一枚、三メートルの枯れ枝一本、直径五十センチの果実一個。

 僕の手では一つも運べない大きさのそれらは、ドンキーが作ってくれた雲で運ばれている。


『こんな大荷物をせて浮かぶ雲とは……僕の想像力なんて異世界には遠く及ばないようだ』


「何はともあれ一件落着。一時はどうなるかと思ったけど、最後は上手い具合にまとまったかな」

「あの樹、でっかかったねー。ファルね、はじめ、踏まれちゃうかと思ったよぉ」

「僕も初めて見たとき踏み潰されるんじゃないかと――」

「ひゃあ、イボイノシシ! おいしそう!」


 パッカリ、パッカリとひづめの音が……鳴りはしない空中を駆け、ほどなく僕たちは村へ到着する。


――ざわわわっ!


「おう、ありゃあなんだ!? こっちに来るぞ!」

「ロバ!? ……が、と、飛んでる! モンス……っ!?」

「ちょっと待って! あの上に乗ってんのは、もしかして白坊ちゃんじゃないかね?」

「取り替え子のファルーラもおるぞい。あの小僧こぞうどん、今度は何しでかしてくれやがった」


 ジャンボとの戦闘で少なからぬ被害が出た村の西側には多くの領民が集まり、既に復旧作業も始められているようで何とも賑やかだ。

 そこへ、空の上から僕とファルを背に乗せたドンキーが現れれば、辺りは一挙に騒然とする。


 村を取り囲むさくのすぐ外側、草を刈り取ってある緩衝かんしょう地帯へ降り立ったところで、冒険者一行パーティー【草刈りの大鎌おおがま】が慌てて駆けつけ、やや遅れて領主夫妻とノブさんが姿を見せた。


 皆一様に目を白黒させながら、僕とファル、かみなりドンキー、それぞれに視線を行き来させている。

 思わず吹き出しそうになるのをどうにかこらえ、僕はそちらへ足を踏み出していく。


「パパ! ママ! ただいまー、ジャンボの奴をやっつけてきたよー」


『は? お、おい、楽天家……その態度は――』


 という僕の言葉よりも早く、マティオロ氏が人垣を置きざりにして飛び出してくる!


――バキイィィ!


 耳のすぐそばに感じた、そんな衝撃と共に僕の身体からだは大きく横へ吹っ飛ばされてしまう。

 背中から地面へ倒れ、頭はガンガンワンワン、奥の方の歯が数本まとめてポロリ……。

 しばし、痛みはおろか、おのが身に何が起こったのか理解すら追いついてこない。


『あいたた……いや、予感はあったが、幼児の頬を思いきり拳で殴るかねえ……』


「……ふぁ、ファパパパ?」


 身を起こし、尻餅を突いた恰好で前を見上げれば――。


――バギイ!!


 更に鈍く大きく響き渡る打撃音! しかし、今度はマティオロ氏が自分の頬を殴った音である。

 ぐらりと大きくよろけた後、頭を振って体勢を立て直すと、彼はギロッとこちらを睨みつけた。


「くっ……ぐぅ、シェガロ! 歯を食いしばれ!」

「……ひょれそれなぐりゅ前にうものじゃあ?」


 反射的にツッコミを入れる……も。


「あらあらまあまあ、ショーゴちゃん。そんなことよりも先に何か言うことがありませんか?」


 ゆっくり静々しずしずと歩み寄ってきた母トゥーニヤに言葉をとがめられてしまう。

 彼女は手早く神聖術を祈念きねんし、暖かな光をもって僕とマティオロ氏の外傷を癒やす。

 だが、薄いベールに覆われたかおに、いつもの温かな微笑みはまったく浮かんでいなかった。


――ぞくり……。


 そこで鈍い僕も自らの置かれた状況に気付く。同時に過ちを犯したことにも。


『あー、子どもが危ない真似をすれば大人は心配するものだろう。……今回は、無茶が過ぎた。と言うか、いささか調子に乗りすぎていたかな』


 少し離れた場所では、ファルが気の強そうなおばさん――彼女の母親に捕まっている。

 小さな尻をバシバシ強く叩かれ、真っ赤にし、さしものマイペース女児じょじも大声で泣いていた。


「なんで! なんで! マーマ! なんでぶつの!?」

「この子は! どこ行ったかと思えば、いっつもいっつも危ないことして! 悪い子だよっ!」

「びゃあああああん!」


「そっか……子ども。子どもか。うん、親子なんだよね……それはそうか」小さく呟き。


「シェガロ!」

「ショーゴちゃん……」

「うん、パパ、ママ、勝手に危ないことをしちゃった。ごめんなさい」


 そう謝れば、二人は揃って僕を抱き締めてくれた。


「分かってくれたのなら良いのです。本当に、よく無事に戻ってきてくれましたね」


 ぎゅーっと包み込まれた母トゥーニヤの両腕と胸の中はいつも通りの温かさだ。


「ここしばらく、お前に期待を押し付けてきた俺たちの責任もある……だが、いくらなんでも、これはやりすぎだぞ。馬鹿者め」


 マティオロ氏の声がかすかに震えているのは気付かなかったことにしておこうか。


「「ねえ、しょーご、どこいってたのぉ?」」

「どうせまた一人ですごいことしてたんですわ。弟のくせにナマイキなんだから」


 いつの間にか姉妹らもやって来て、エルキル一家が勢揃い、団子状態となっていた。


「ふひひひひぃーん!」


 顛末てんまつを見届けたと判断したか、ここでかみなりドンキーが高らかないななきを上げる。

 なんとなく固唾かたずを呑むようにしていた群集が、ビクリ!と身をふるわせ、一斉に注目すると――。


 瞬間、地上から天空へ向けて逆さまの落雷がはしり、そのまばゆい光が収まった後には、もうロバの姿は影も形も見当たらず、ただ運んできた大荷物だけが地面の上に残されていた。


 そして。


――ぽつっ……ぽつっ……。


 未だ上空に止まっていた雨雲より、雨粒がこぼれてきたかと思えば、あっという間にザーザーと滝のような俄雨にわかあめが降り始めた。


「ハッ! 言いたいこたァ山ほどあるけどね! これで乾期が遠のいたのも間違いなさそうだよ! ホントに大したガキんちょさあ! あのルフを実質一人で追い払っちまうなんてねえ!」


 たちまち激しさを増すスコールの中、ジェルザさんの称賛や村人たちの大歓声が遠く聞こえる。


 しかし、それより何より、いささか強すぎる家族の抱擁ほうように僕はなんとなし身を委ねていたのだった。

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