第五十話: 蝶々雲、幼女の目に映るもの

 背中に着けた赤マントのおかげで、【風浪の帆ホバーセイル】や【環境維持(個人用)ポータブルエアコン】といった精霊術は、僕とファル二人分であろうと特に問題なく十全な効果を発揮している。

 おそらく、それぞれ、まだ数時間は効果がってくれることだろう。

 ……どちらかと言えば、僕自身の体力が切れる方がよほど早そうで心配だ。


 さて、高度千メートル近い雲の世界に戻ってきたは良いが、ここからどうしたものかな。


「ただかわし続けるだけなら、問題なさそうなんだけど……っと。それだけじゃらちが明かないし」

「きゃー! はやーい! きゃー! また来たー! ほわぁ、むだにおっきいねえ」


 雲の中に突っ込んでくる茜色あかねいろの巨鳥――ジャンボを全速力で回避する。

 羽ばたきにより瞬間秒速二〇〇メートルほどに超加速する突進攻撃は脅威だが、知っていれば決してかわせないことはない。

 巨大な双翼が巻き起こす竜巻や突風も、奴が身を起こすモーションを見てから回避可能だ。


「ねっ、ねっ、白ぼっちゃん、ルフと遊んでるの? みんなも混ぜてあげたらいいのに」

「あいつが飽きるか疲れるかして帰ってくれるのが一番なんだけど……」


『まぁ、今のままでは望み薄だよな』


「この雲が消え去れば、ひとまず気が済むんじゃないかな? こっちでも散らしていこうか」

「えー? 雲、なくなったら、すっごく怒ると思う」


『できれば奴の翼にダメージを入れていきたいところだ。疲れさせるくらいは……』


「だったら! 火の精霊と風の精デザイアファイア霊に我は請うアンドエアー、落ちろ、稲妻いなづま! 霹靂へきれきがならせ穿うがて!」


 濃い雷雲を必要とするため、普段はおいそれヽヽヽヽと使えない【雷霆招来コールライトニング】も、今なら使い放題だ。

 鳥のジャンボが突風を起こそうとした隙を狙い、その翼の付け根に稲妻を叩き込んでみる、も。


『うーん、羽根を何枚か焦がしたが、ハチに刺された程度にすら感じてるかどうか』


「白ぼっちゃん、無視しないで」

「……ファル、ちょっと黙っててくれるかな?」


 真正面からファルに抱き着かれていようと、精霊術で飛び回る分にはなんら重荷おもににはならない。

 ……しかし、意味不明なことを耳元できゃーきゃー言われていれば気が散らされてしまう。


「うわったぁ! あっぶな!」


 脱力しかけ、高速で降下してきた巨大なかぎ爪への回避がギリギリとなった。

 続く尾羽が巻き起こしていく風に吹き飛ばされそうになりながら、かろうじて体勢を立て直す。


「ふゅう、みんな遊びたがってるのになぁ」

「こんなとこ、他に誰もいるはずないだろ。変なこと言わないでよ」

「いるもん! ほら、そこ」

「えっ……?」


 再確認するまでもなく、現在いまは空飛ぶ大怪獣との戦闘中である。

 のんびりお喋りをしている余裕などあるはずもないが、思わず彼女の視線を追ってしまった。


「ちょうちょ!」

「おい、コラ」


――グウルァァァアアアアアアア!


 と、僕の声に被せ、大空に響き渡った大音鳴だいおんみょう

 意外と空気を読む性質たちなのか、しばし、攻勢の手を緩めていたジャンボが一際高く叫びを上げた。


 同時に、その巨体がしゅーしゅーと激しい音を立てながら周囲に大量の蒸気を放ち始める。


 いや、違う!


 膨大な蒸気は、周りに立ちこめる雲――微細な水滴と氷粒が気化されていく副産物に過ぎない。

 見れば、奴の巨体を覆う羽根の一枚一枚が紅蓮ぐれんに染まり、めらめらと燃え盛っていた。


「ちょっと待った……それは、困る! 困るぞ! 水の精霊に我は請うデザイアウォーター……」


『全速回避!』


 焼き鳥……もとい火の鳥と化したジャンボは、赤熱して火炎に包まれた翼を大きく羽ばたかせ、下方より雨雲の中へと突っ込んできた。

 幸い、突進の速度自体は先ほどまでと変わらず、余裕を持って回避することができる、が。


『まずい! マントが!』


 装いを新たにした奴の羽根は、あたかも太陽から噴き上がるプロミネンスの如き火炎流をし、反射的に僕が請願せいがんした流水の守り【泡の壁バブルシェル】でさえ物ともせず、この背になびく長い赤マントを半分近くも焼き焦がしていった。


「うぅ、なんてことを。これじゃもうまともヽヽヽに飛べないぞ」


 その途端、覿面てきめんに効果を弱める風の精霊術……中でも【風浪の帆ホバーセイル】は、本来、これほどまでの高空となると飛ぶのはおろか、ただ浮いているだけで精一杯という滞空性能なのである。

 まだマントの効果がすべて失われたわけではないものの、高速飛行はもはや不可能となった。


『とにかく奴に的を絞らせないよう飛び回るんだ!』


「後はどうにかして雲に紛れるしかないかな」


 絶望的な状況に歯噛はがみしつつ、僕は打開策を探し続ける。

 一方、しばらく大人しくしていたファルは、まだ場違いなほど呑気な様子で話し掛けてくる。


「ねえ? ねえ? 白ぼっちゃん、みんな遊びたがってるんだよ? ねーえ!」

「もう、ファル! これは遊びじゃないから、今はそういう――」

「むー、なんで見えないの! ピカピカ! いつも一緒でしょ! でざいあ、ちょうちょ!」


「『……は?』」


 いい加減、我慢の限界だと声を荒げようとした僕は、次の瞬間、口を開いたまま言葉を失う。


 互いの頬を合わせた僕ら二人の眼前に出現したのは、小さなちょう


 それは、ほんの一瞬の出来事だった。

 周囲を取り囲む雲がごくごくわずかに濃さを増し、小さな小さな蝶をかたどったかと思えば、細かな水滴だけを鱗粉りんぷんのように残しつつ消え去っていった。

 他に何が起きたわけでもなく、後に残るものは何もない。


 しかし、それは紛れもなく……。


「精霊術? ファル、君は――」

「ねっ? でも一番はあの子、かみなり!」

「かみなり……ひょっとして、精霊が? ライトニング? え、違う? サンダー……」


――ぶるるり!


「わぁ、来た! 呼んであげて! かみなり! かみなりのロバ!」


『な!? それは……』


「まさか、こういうことかい?」



「「『雷鳴の驢馬に我は請うデザイアサンダーメア――』」」



 その請願せいがんはさながら序言の呼び掛けワンコール


 瞬間! 白い稲光いなびかりがあらゆるものを包み込み、物凄まじい雷鳴らいめいが空を引き裂かんばかりに轟く。


 身動みじろぐことさえ忘れてしばし、僕はファルと共に虚空をただよう。


 思わずつぶってしまっていたおのが目に気付き、恐る恐る目蓋まぶたを上げれば……。


 激しく感電しながら落ちていく巨鳥を背に、一頭の大きなロバが近付いてくる光景があった。

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