第四十八話: 西の空にて待たん

 一四〇メートルに達する鵬翼ほうよくもって雨雲を散らして回る巨鳥ジャンボではあるが、実のところ、それは極端に水気みずけを嫌う奴自身の性質に基づいた習性であるらしい。


 空が厚い雲に覆われている雨季の盛り、奴は決して姿を現さず、乾期が近付き、雲が薄まった青空を飛び始めてからも積乱雲せきらんうんなどが発達してくればそばけると言う。


「だったら、どうにかして大きな雨雲を村の上に留めておけば鳥避とりよけになるってことじゃない?」


『まぁ、そう簡単な話ではないんだろうけどな』


 既に、この大草原サバナの空は、日中には大きな雲ができにくいほど渇き始めていた。


 前世地球においても、人工的に雨雲を作る技術はまだ実用化されていなかったと記憶している。

 水の精霊に忖度そんたくしてもらえるわけではない僕では、遙か上空に浮かんでいる雲を操作するなど、土台どだい、無理な相談であり、科学的にも非科学的にも実現不可能な案だと言わざるを得ない。


 しかし、鳥のジャンボが飛ぶ雲の世界にまで、もしも昇っていくことが可能なら?


 風の精霊術の効果を飛躍的に高める赤マント――【ブラッドアノマルルスの皮翼ひよく】と巡り会い、折良く、僕は高空への上昇手段を手にしている。


 先述した通り、空の上を流れ行く雲を集めて発達させようなど、僕の手に余る奇跡の範疇はんちゅうだ。

 だが、周り中にまとまって存在している雲をしばらく留めるくらいであればどうだろう?


 大草原サバナの夜、空は一面、激しい雷雨スコールをもたらす分厚い雲によって覆われているのだ。


 ならば、その夜中の雨雲を朝方まで村の上空にめ置けないものか、試さずにはいられまい。



 数日間にわたって実験と特訓を繰り返した僕は、今日、遂に作戦を決行する。


 久方ぶりとなる真夜中の強い雨足あまあしが途切れた瞬間、領主屋敷ログハウスを抜け出し、西を目指して飛ぶ。


 爆撃の際、鳥のジャンボは常に西――大枯木おおかれきのダンジョン・コユセアラの方角から飛んでくる。

 鳥避けの設置地点は、必然的に村の西側上空ということになる。


 広い領主直轄地の畑を見下ろしつつ飛べば、すぐに村の中央広場が見えてきた……が。


「あ、白ぼっちゃんだ!」

「え? 誰!? ええ! こんな真っ暗な中で何し……って、今、何時だと思ってんのさ!?」


 予期せず唐突に掛けられた声、闇に浮かぶ顔、小心者のさがゆえに少しばかり取り乱す。

 精霊術【暗視ダークビジョン】が掛かっている僕でも見逃してしまうところだった小柄な女児じょじ――ファルは、彼女の一家が住む小屋の屋上でひとり、ぼーっと膝を抱えながら空を見上げていた。


 大きなひさしの付いた煙突の陰にいるため、スコールの中でもさして身体からだが濡れた様子は見られず、強風に飛ばされる心配もなさそうだが、なにせ時間が時間だ。子どもが外に居て良いわけがない。


「んー、だって、キラキラいっぱいだよ」

「キラキラって……星やホタルも多少は見えなくもないだろうけど。いや、そんなことよりも! ファル、危ないから夜中は外に出ちゃダメだ! 村の中だってたまにはモンスターが出るんだから。夜は大人しく家の中で寝ること! いいね?」

「ええ、じゃあ、白坊ちゃんは? 白坊ちゃんはいいの?」

「僕は良いの!」

「ずるい! なんで!? 光ってるから!?」

「なんでも! ともかく、今日この後は特に危なくなるから、すぐ家に入るんだ。ほら、ほら!」

「むー」


 不満そうに駄々をこねるファルを家の窓へ押し込んでいく。

 まったく、真夜中に窓からこっそり外へ出るなんて、とんでもない悪ガキもいたものである。


「それじゃ、おやすみ、ファル。ちゃんと寝るんだよ」

「……ぅん」


『少しばかり足止めされてしまったな。先を急ぐとしよう』


 と言っても、さして広くはない開拓村である。

 文字通り、ひとっ飛びで西の外れに到着し、そこから垂直上昇して雨雲の中へ飛び込んだ。


     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 数時間後、とりたてて苦労するでもなく、僕は村の上空に雨雲を留めることができていた。

 夜はうに明けており、外には朝日がしているものの、叢雲むらくもかれたこの場は相当暗い。


 火と風の精霊術【寒冷竜巻チルトーネード】を繰り返し請願せいがんしながら、元からあった膨大な雨雲を集め続け、気付けば小型の積乱雲せきらんうんと呼べるほどの規模にまで発達してきている。

 内側からではハッキリと分からないが、おそらく鳥のジャンボであっても数羽まとめて余裕で包み込めるくらいの大きさになっているのではなかろうか。


 改めて、身に着けている赤マントの恩恵に感じ入る。

 【風浪の帆ホバーセイル】による飛行能力に顕著な効果を現すこの素材だが、風の精霊術を全体的に強化し、効果範囲や持続時間を大幅に拡大してくれるところがとりわけ素晴らしいと僕は思う。

 普段ならば、うに風の精霊がぐずっている頃合いにもかかわらず、まだ余裕があるのだから。


「うん、こんなに大きな雲ならあいつも近付くのを躊躇ためらうんじゃないかな?」


『そう願いたいね。遠間から大岩を放ってきたり、時間をずらして飛ぶようになったりしたら、ちょっとお手上げだが、そんな小賢こざかしい生き物じゃないと思う……思いたい』


「いくらなんでも、そこまで執拗しつように怒りを向けられることはしてないって、僕ら」


 この点に関しては、【草刈りの大鎌おおがま】や領主夫妻、村の薬師くすしら、有識者の見解が一致していた。

 鳥のジャンボはこちらに対して本気で怒りをぶつけているわけではなく、卵に近付いた者たち……あるいはその仲間と見なした者たちへの示威じい行動のつもりでやっているのはないか、と。


「僕らや村を攻撃するつもりなら、降りてきて踏み潰した方がよほど手っ取り早いんだからさ。その気になれば、一発で村を潰せるくらいの大岩だって運んでこれるだろうし」


『だな……っと、見ろ。おいでなすった』


「思ったより早かったね。どうやらパパたちにバレないうちに帰れそうだ」


 遠くの空、目をらしてようやく分かる程度にポツンと出現した影が見る見るうちに見た目のサイズを倍加させ、翼を広げた猛禽類もうきんるいの姿を取り始める。


 見紛いようもなく、それは鳥のジャンボだ。


 事前に調べてみたところ、奴の飛行速度は、通常の滑空時で秒速五十メートルほどであった。

 時速にして一八〇キロ。マッハ〇・一五といったところか。

 こうして数字にしてみると、存外、遅いように思えるかも知れないが、彼方かなたの地平線に現れた物体がわずか一分足らずで視界一杯に広がる様子を目にすれば、そんな感想はとてもいだけやすまい。


 ふと、そこで違和感があった。


「おかしくない? ずっと真正面でコースを変える気配が――」


『おい! こいつはなんだかまずそうだ! 全速力でけ――』


 察知した瞬間、目に映る鳥のジャンボが一度だけ大きく両翼を羽ばたかせた。


 超加速する巨鳥!


 気付けば、僕の身体からだは周囲の雨雲諸共もろとも、強烈な勢いで吹き飛ばされていた。

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