第三十話: 小休憩と大枯木

 魔獣ヒーシーによって足止めを喰らった僕らは、広く高い丘陵地の頂上手前に留まっていた。

 とは言え、時間以外にさしたる損害が出たわけじゃなし、ここは休憩とでも思っておこうか。

 未だ目的地の入り口に当たる大枯木おおかれきにさえ到着しておらず、先は長いのだから。


「おまえたち! ダメージは!?」

「全員、あんま大したこたぁないですぜ。それよりも姐御あねごの方は?」

「【岩壁】と【落葉】と【浮風】、武技を三重に掛けてなきゃヤバかったかもねえ!」

「うへえ、無傷っすか? 姐御の方がよっぽど魔獣っぽいや」

「おう! 何か言ったかい!」

「へ、へへっ、なんでもねっす」


 倒れ伏したヒーシーにトドメを刺した後、各自で肉体や装備の損傷具合を確認したりしている冒険者たちのもとへ、モントリーに乗った僕らエルキル騎羽きば団が歩み寄っていく。


「ご苦労だった、大鎌おおがま

「ああ! 手出ししないでいてくれて助かったよ! ベオ・エルキル! 流石さすがは元同業だねえ!」

「はっはっは! こっちに来るようなら迎え撃ってやっても良かったんだがな!」


 マティオロ氏とジェルザさんが豪快な様子で言葉を交わす。


『割りと危ない場面もあったように思えたが、こういうのも冒険者の不文律ふぶんりつって奴なのかな』


「……ところでヘタレ。さっきの戦いだけど、最後は何が起こったのさ?」


『あの武技か? 地面のスレスレをぎ払うような下段回し蹴りだったな。ヒーシーはかわそうと小さく飛び跳ねたんだが、間髪かんはつれず大鎌おおがまが一回転……とんでもない速度の二段攻撃らしい』


「へえ、ぜんぜん見えなかった。戦闘用の技能スキル【武技】ねぇ。もう魔法と変わらなくない?」


 まぁ、あれは見えなくとも仕方ない。

 足払いが始まる直前まで、僕でもジェルザさんの気配はほとんど感じられなかった。


 【野伏のぶせり】は野外活動のエキスパートと言っても、本来、戦闘力に秀でた職能ジョブではないはずだ。

 それであんな戦い方ができる彼女の実力は、おそらく僕が考えているより遙かに上なんだろう。

 この先、得意分野ではどれほどの活躍をしてくれることか、まったく頼もしい限りである。


 そんな風に、僕らがあれこれ考えたり話したりしていると、冒険者たちの方も戦闘の後始末をし終えたらしく、ヒーシーをおっかなびっくり荷車に載せようと悪戦苦闘している村の若者たち三人を手伝い始めていた。

 彼らはノブさんの部下……つまり実質的に従士見習いの立場なんだが、まだまだ頼りない。

 戦闘中でも取り乱したりせず指示に従えるだけで今はおんの字としているけれど。


「にしても……近くで見てみりゃ、こいつァ、えれえ大物おおもんですぜ、マティオロの旦那」

「悔しいが、領の戦力では対処できなかっただろう。【草刈りの大鎌おおがま】には別に礼をせんとな」

「上級冒険者を雇わねえで済んだのはでっけえ……」

「いや、これほどの魔獣なら大枯木おおかれきから離れられんはずだ。仮に討伐が叶わなかったとしたら、領民たちが草原サバナへ出るのだけ禁じ、勝手にいなくなるのを待ったであろうがな」

「ヘっ、こいつもイナゴのせいで獲物には不自由してたでしょうしねえ」


 当然と言えば当然だが、異世界のモンスターと言えども何かを食べなければ生きられないため、エサのない場所に長々と居座ることなどほとんどない。

 わざわざ人間が多く暮らしている場所に近付くことも……まぁ、めったにあることではない。

 こうして逆に獲物とされる可能性を怖れていたりするわけではなかろうが――。


「あれ? そう言えば、血抜きや解体は後でやるの?」

「ああん? あー、いや、シェガロぼん。ありゃ、ちぃと食えそうにねえんだわ」

「そうなの? やっぱり、見るからに美味おいしくなさそうだと思ったんだ」

「見た目や味の問題ではないぞ。あそこまで魔素まそまみれていては食うのは無理だ」


 魔素? 魔素か……。

 まだ僕にはよく理解できないのだが、それは精霊や神と並ぶ、この世界の不思議要素である。

 何か物理的におかしいことが起こったら、これのせいだと思えば、あながち外れはしない。

 身近なところだと【武技】や【魔法術】に係わっているし、モンスターの不自然さもそうだな。


「んん!? ボンはまだ魔素を見れないのかい! ホントにちぐはぐなガキんちょだねえ!」

「僕、まだ七歳になったばかりなんですよ?」

「なぁに、クリスタは七つから魔法術を学び始めた。お前もそろそろ見えるようになるだろう」


 マティオロ氏が言うように、成長すると見える……いや、感じ取れるようになるものらしい。


「ま、ぼんのことはさておき、あんま魔素が強いもん食っちまうと、腹ァこわしてきっぱらよりもひでえ目にうのよ。んでなくったって、ヤツァ、何か言葉喋ってやがったしな。食うのは勘弁だわ」

「うむ、魔石ませきと素材だけ取り、残りは世界の魔素へと返す」


 なかなかの大物だったのに、食糧にならないとは残念なことである。



     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 その後、再出発した一行は、特にモンスターと出くわすこともなく丘の頂へと到着した。


「うわぁ……」


 視界が広がった瞬間、思わず僕は声を漏らしてしまう。


 丘の向こう側は、なだらかに下りゆき、全容が見渡せないほど広大な盆地を成していた。

 だが、見渡せないのは、単に広いからというだけが理由ではない。

 遠くの風景が、赤いセロハンか何かでうっすらと覆いを掛けられているようにぼやけており、蜃気楼しんきろうめいた奇妙なゆらめきヽヽヽヽさえ見せているのだ。

 あまりにも巨大な半透明のドーム、あるいは火口カルデラ湖……そんな風にも形容できるだろうか。


「いや、それより何より、あれだよ……」


 そう、そんな幻想的な景色の中にあってさえ、真っ先に目を奪われてしまうものがあった。


 半透明の蓋を被せられた盆地の最も手前にそびえ立つ一本の大樹。


 この大草原サバナでは……いや、前世の世界中を見渡したとしても他に類を見ない大樹ではあるが、幹は不格好にふくれ、不気味にねじくれた枝は葉の一枚も付けてはいない、寂しげに枯れちた様……にもかかわらず、どうしたことだろうか。

 それを目にすれば、胸の内から込み上がってくる畏敬の念を抑えることができない。


 四方八方へびっしり広がった赤黒い根が、太い幹を地面から数メートルも根上がりさせている。

 話に聞いていた通り、それはまるで巨大な門構えのようだ。


「あれが……」

「そうだ。あれこそが大枯木おおかれき!」

「奥に広がる屋外フィールド型ダンジョン! 紅霧の荒野コユセアラの入り口さ!」

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