第九話: 生命を嘲弄される男

 僕が愛用するスコップは、元は現代日本で市販されていたアウトドアグッズである。

 だが、この異世界へやって来て以来、事あるごとに月子が地の精霊術による改良を施しており、今となっては素材レベルからほとんど別物、ちょっとした岩くらいならば叩き割れるし、岩盤も突き通せるほどの、ただの掘削道具に留まらない強力な武器と化している。

 先端も見るからに鋭く、ギラリと光るやりの穂先めいたそのスコップを喉元深く突きつけられた戦士ケオニAは、流石さすがに意図が通じたか手足の動きを止めて硬直する。


「これ以上、怪我けがをしたくなければ大人しくしてくれ!! こちらに争う気は――」


 戦いの決着と見て、僕が大声で発しようとした勧告は……しかし、いきなりさえぎられる!

 スコップを突きつけている戦士ケオニAと同様、右手を傷つけられて岩石棒を手放し、盾持つ左手も氷漬けとなり、戦意を失ったかと思えたBとCの予期せぬ行動によるものだ。


「「ゲハッハア!」」


 BとCは人質と呼ぶべきAの安全を無視し……いや、あろうことかその背を二人で蹴り飛ばし、真ん前に位置している僕に対してぶつけてきたのである。


 咄嗟とっさに大きく飛び退き、それをかわすことには成功したが……。


「いやいやいや、おいおいおい、仲間の生命いのちでもお構いなしか……」


 引き戻したスコップが間に合わず、鋭い刃がAの喉を斬り裂いてしまっていた。

 伝わってくる嫌な手応え、見て取れる傷の深さ、噴き上がる血の量……明らかに致命傷だ。

 こんな状況の中で起こった不慮の事故とは言え、殺人を犯してしまったことは倫理りんりにもとる。


 幸い、僕に追い打ちを加えようとしていたBとCは、どうやらヒヨスと月子が牽制けんせいしてくれたらしく、動揺した隙をかれる羽目にはおちいらなかった。

 ……いや、依然として手足はこわばり、倒れて動かないAに対して意識がより多くかれている。いまだ動揺めやらず。すぐに割りきるのは難しそうだ。どうする? 一旦下がるべきか。待て、援軍と合流される前に残り二人を叩いてしまった方が良い。バカ言え! こんな精神状態でか?

 なかなか思考がまとまってくれない。


 だが、結果として、このときAの方へ意識を向けていたことが僕の身には幸いした。


 首から大量の血を流して倒れているAの死体が、近くに転がっていた岩石棒を掴み、むくりと起き上がるやいなや! 横殴りにフルスイングしてきたのだ。


――バカな!?


 Aの死体が身を起こし始めた時点で異常に気付いた僕は、動揺極まれりといった精神状態にもかかわらず、反射的に退いて間合いを離すことができていた。

 とは言え、唸りを響かせながら目の前を通り過ぎていった岩塊に肝を冷やし、数歩、たたらを踏んでバランスまで崩してしまう。


「ゲッゲッゲッ……」


 体勢を立て直すため、一瞬だけ目がれたとき、その音は聞こえてきた。

 そう、音である。声だとは認識できなかった。

 もしも声だったのだとしたら、あまりにも場にそぐわない。


 ましてや、今まさに死にかけた者が、殺しかけた者に対して浴びせかけたとは思い難い。


 そんな風に頭の片隅でいぶかしく思いながら正面へ視線を戻せば、そこには胸元を赤く染めたまま仁王立ちし、顔を上げてなおもゲッゲッと……哄笑こうしょうしているAの姿があった。

 笑い声はどこまでもほがらかな調子で、それだけ聞くと宴会の席にでも迷い込んだかと錯覚してしまいそうである。繰り返すが、こいつは、今の今、首を切り裂かれて死んでいた奴だ。

 先ほど、自分の背を蹴りつけたB・Cに対しても特に怒りを覚えてはいないらしく、ちらりと顔を向けた後、共に高らかに笑い出し、次第に三人揃って爆笑し始めてしまう。


「「「ゲゲッ! ゲッゲッゲッゲッゲッ!!」」」


 僕は――おそらく月子たちもだろう――呆気にとられ、しばし、奴らの様子を眺めてしまった。


 そうして気付く。

 Aの首筋に付けたはずの致命傷が既にかさぶた一つ見当たらないことに。

 ヒヨスや月子が付けたはずの大小様々な傷が連中の肉体のどこにも残っていないことに。


 いや、いつの間にか、奴らの身体からは血が流れた跡さえも消え去っている。

 毛皮にまとわりついた、うっすらと赤い多数の氷片だけが、かろうじてその名残を留めるが。


 それは、まるで流れ出た血液が体内へ戻っていったとでも言うかのよう……。


「……再生能力、なのか?」


 記憶にまだ新しい、ベアきちを死の淵から連れ戻してくれた能力を連想するも、眼前のケオニが同様の力を身に備えているのだとしたら、数段も上回る効果であることは間違いない。


「なるほど、もう相手が人間だなんて思わない方が良さそうだな」


 僕は心の中で一つ覚悟を決めるのだった。

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