―― 第五章: グレイシュバーグの胎にて ――

第一話: 二人と二頭、山小屋生活

 ヌッペラウオとの決着から既に六日が経過していた。

 だが、僕たちはまだ奴と戦った岩山の尾根をつことができずにいる。


 やや離れた安全そうな丘の上に小屋ほどの大きさの岩室を設営し直し、精霊術の効果を高めるボウリングムシの粉を使ってエアコン対応の山小屋バンガローとしつつ、中破したカーゴビートルの修理、失ってしまった物資の補充……など、態勢の立て直しを図っているのだ。


 幸い、この岩山周辺は鉱物資源がなかなか豊富であり、どこからともなく小動物をってくるヒヨスの働きもあって、順調に再出発の準備が調ととのいつつある。

 カーゴについては既に完全な状態まで修理し終わっているし、物資の備蓄も余裕ができてきた。

 何なら、このままここでずっと暮らしていけそうなほどだ。


 食用にできそうな植物がほとんどえておらず、特に、いつの間にか植生しょくせいが変わっていたのか、すっかり氷樹ひょうじゅの姿を見なくなってしまったため、栄養の偏りが少しだけ心配なことと、火山灰にまみれた雪から綺麗な水を作るのに少なからず手間が掛かることを除けば……だが。


 ただ、出発できずにいる理由はもう一つ。


「ベア吉、食事を持ってきたぞ」

「……わぅ」


 奇跡的に死の淵からかえってきたベア吉だったが、かろうじて息を吹き返した後、現在に至るも、未だ快復したとは言い難い容態ようだいが続いていた。

 全身の火傷痕やけどあとはすっかりえ、呼吸と心臓の鼓動もほぼ正常に行われている。液状にして口へ流し込んでやれば食事もるし、正常に排泄はいせつもできていることから、内臓に問題は無さそうだ。

 しかし、ぐったりとうずくまったまま、まったく起き上がることができないらしい。

 俗に言う寝たきり状態に近いだろうか。


「それにしても、お前もなかなかにでたらめヽヽヽヽな生き物だったんだな。まるで不死身じゃないか。……もう驚かないから、そろそろ起き上がっても良いんだぞ?」

「……ぁぅふ」


 基本的に、僕はベアきちの看病と護衛のため、山小屋バンガローで留守番するのが役目となっている。

 食料や素材を加工して梱包こんぽうしていく合間を縫い、動けないベア吉の世話をし、休憩がてら話しかけてやったりしていれば、意外とすぐに時間が経ってしまう。



――ザシャ! ザシャ! ザシャン!


「ただいま戻りました、松悟しょうごさん、ベアきち

「ああ、おかえり、月子、それにヒヨスも」

「にゃあ」


 ヒヨスを供に連れ、カーゴを操縦して採集へ出掛けていた月子を山小屋バンガローの中で出迎える。


 ああ、現在の状況を説明するのに、これを忘れてはいけなかった。

 驚くなかれ、なんと、山小屋バンガローとカーゴとで【環境維持エアコン】が併用できるようになったのだ。

 どちらかだけに掛けた場合と比べれば持続時間は短くなってしまうものの、都度、掛け直せば良いだけのことで、さしたる問題にはならない。

 おそらく、標高が以前までと比べて千メートル以上も低くなったおかげではないかと思われる。


「ベア吉、月子とヒヨスが帰ってきたぞ」

「……わふ」

「ふふ、ベア吉はねぼすけさんですね」

「にゃっ」


 微笑みながらベア吉の頭を撫でる月子。

 ヒヨスはベア吉の脇を通る際、いつものようにその鼻面を長い尻尾で軽くはたいていく。


 それらに対してもベア吉は特に劇的な反応を返さないが、もう手触りの良い黒い毛皮まで生え揃った姿は健康そのものであり、誰もこの状況に悲観などしていない。

 僕を含め、収穫物を奥へ運んでいくみんなの表情には、まるで暗さが感じられなかった。


 別に、いつまでに下山しなければならないといった期限があるわけもなく、正直に言うならば、拠点だった洞穴ほらあなを発ってから一週間以上も車中生活を続けてきたストレスを発散でき、山小屋バンガローの暮らしは良い気分転換とすら呼べるものとなっているのだった。



「さて、ヒヨス。楽しいお風呂の時間ですよ」

「……にゃあ」

「だめです」

「みゃあ! みゃあ!」

「すまん……僕では止められない。いい加減、諦めてくれ」


 現在、狩猟・採集と周辺探索は月子とヒヨスが専任しており、毎日一緒に出掛けていくのだが、帰還後のこのやり取りは、すっかり見慣れたものとなっていた。


「みにゃ――」

「逃がしません! 地の精霊に我は請うデザイアアース――」


 平らにならされた地面から岩石で出来た二本の手が突き出し、山小屋バンガローの出入り口へ向かって飛び出そうとしたヒヨスを一瞬で捕らえてしまう。


 お、今日はこれが出てしまったか。

 拘束力においては他の追随ついずいを許さない地の精霊術【大地の楔アースウェッジ】だ。

 僕ではこれほど精密な動きはさせられないし、ほんの数十秒足らずで解けてしまうものだが、最近の月子はこの大きな二本の手を自分自身の手のように自在に扱ってみせる。


「みゃあ~! みゃあ~!」


 前脚の付け根辺りの胴体をガッチリと掴まれ、直立するように持ち上げられてしまうヒヨス。

 そして、月子の更なる精霊術により、さながら動く歩道ムービングウォークのように動き始めた地面に流されて、そのままの体勢で水平移動し始め、岩屋奥の一画にある石壁の間仕切まじきりの方へと運ばれていってしまった。


「みゃぁ……ぁぁ……ぁ……――」


 どこかからドナドナドーナー……と歌声が聞こえてくる気がした。


 あの仕切りの向こう側は、彼女たちが一緒に使えるほどの広さを誇る風呂場になっている。

 と言っても、天然の温泉などではなく、精霊術で整えた岩風呂にお湯を張るだけではあるが、風呂好きの月子はもちろん、毎回入る前には抵抗しているヒヨスでさえも、上がってくる頃にはご満悦となってしまう極上空間なのだ。


 いつも通り、今日もしばらくは出てこないだろう。


「ベアきち、僕らも後で一緒に入るか。背中を流してやろう」

「……わぅ」


 さて、とりあえず今のうちに夕飯の仕込みでもしておくとしようか。

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