第5話 大切なのは中身

「ふむ……その男が君の愛する者かね? 犬の耳に尻尾も生えているが……」


 ダ・ヴィンチは、なぎのことを観察し始めた。触ったりはしなかったが、足元から顔までじっくりと見上げていった。

 徐々にダ・ヴィンチの目つきは変わり、私は思わず緊張でお腹に力が入ってしまう。


「凪といいます。見た目通り、人間ではありません」

「キミ……天才かね? ここに来て数日だろう。どんな技術を習得してこの世界に招かれたのだ?」


 あのダ・ヴィンチに賞賛される日が来ようだなんて思いもしなかった。

 だが、数日で凪を形にできたことはダ・ヴィンチからすると異例なことのようだ。


「私は、あなたの生きた時代の五百年ほど先の未来で生まれた人間です。そこでは文明も発達して、創作に関する道具も大いに進歩しています。凪に使われている技術は3DCGといいます。物体をポリゴンという四角の集合体で表現する技術です」


 そう言って私は凪を構成しているポリゴンの四角いラインが見えるように表示モードをワイヤーフレームに変更した。

 もはや、ハイポリゴンモデルなんて言葉が生ぬるいほどの膨大なポリゴン数になった凪は遠目から見ると、急に真っ白に変わったように見えただろう。


 ダ・ヴィンチは凪に近づいて細かなポリゴンの集合体であることを確認すると大きく唾を飲み込み、身体を力ませた。


「素晴らしいッ。五百年先にゆくと人類はこんな技術で創作を行うようになるのか! 実に興味深い……」

「でも、凪は声が出ないのです。ダ・ヴィンチさんは何か心当たりはありますか?」

「ふむ、五百年先の技術であろうとワタシと同じ課題にぶちあたったか……」

「ダ・ヴィンチさんもそうだったのですか?」


 ダ・ヴィンチは「あぁ」と頷く私に家の奥についてくるように促した。

 厳重に施錠された鉄製の重々しい扉を開くとあまりの光景に唖然としてしまった。


 そこには、あらゆる角度から描かれたモナリザの絵が真四角な部屋の壁、天井、床を覆いつくしていたのだ。

 床はガラス張りになっていて、その下にはモナリザを上からみたような構図の絵画が敷き詰められていた。

 逆に天井を見れば、モナリザを下から見た構図の絵画が並んでいる。

 正面、右横、左横、うしろ、上、下……それらの角度を少しづつ角度を変えた構図でモナリザが全方位から補完されて描かれていた。


「ワタシが最初にモナリザをこの世界に来て描いたものがこれだ」


 ダ・ヴィンチが指さしていたのは正面中央にあるモナリザで、私がよく知る絵画モナリザだった。数々のモナリザの中では正面からのモナリザというべきだろうか。


「これを描いただけでは、モナリザは正面からしか見えなかった。横から見るにしたがって、次第に薄くなり、真横で完全に見えなくなった。そこでワタシはあらゆる角度からモナリザを描くことによって、どこから見てもモナリザは見えるようになった。今でもまだ描いてない角度を描いている」


 私は黙って話を聞いていることしか出来なかった。

 狂気すら感じるこの部屋の様相とは裏腹に、私は尊敬の念が強まっていった。


(そっか……。絵画という技術で愛する者を表現しようとするとここまでの枚数が必要になってしまうのね)


 全角度から見えるためには、この枚数が必要だったのかと納得してしまった。


「ここまでの枚数を描いてようやくモナリザさんは喋るようになったのですか?」

「いいや……ここまで描いて喋らないという課題にぶちあたったのだ」


 そうして、ダ・ヴィンチはさらに歩を奥へと進めていき、さらに扉を開いた。

 そこは人間の臓器が描かれた額縁が部屋の壁中に並べられていた。

 私は、ここで凪の声が出ない理由を思い知り息をのんだ。

(凪にはがなかったから……そういうことね)


「気付いたかね? そうだ。モナリザには声帯を含めた内蔵がなかった。だから声が出なかったのだ。キミの愛する者もそうなのではないか?」

「その通りです。3DCGはハリボテの技術……見えるものを作っても、見えない中身を作ることは今までしたことがありませんでした」


 本当に今まで中身を作るなど考えたことはなかった。

 むしろ、専門学校の時代では見えないものに労力をかけるなと言われることすらあった。だが今はそれが愛する者を創るには必要なのだ。


「一つ取引をしよう。ワタシはキミに解剖学で得た知識を提供する。キミはワタシに骨格、筋肉、臓器を網羅した人体模型を立体化してくれないだろうか? ……それともあれかね? 五百年先の未来人ならワタシの知識など無くても人体の構造など把握しているかな?」

「ありがたい申し出です。むしろ、こちらからお願いしたかったところです。私が生きた時代でも、専門に学ばないと人体構造を正確に知る者はいません。例にもれず、私もその一人ですから」

「決まったな。……まぁ、気長に待つとするよ」


 私とダ・ヴィンチがリビングに戻ると、凪がモナリザに犬耳をモフられていた。


「あっ」

 モナリザは私に気付いてぱっと手を離した。

「わかります。触りたくなりますよね」

「すいません……あなたの愛するひとを勝手に……」

「凪は、いやだった?」

 すると凪は首を横に振り否定の意思を見せた。

「だそうです。定期的にこちらに顔を出すことになりそうなので、よろしくお願いします」

「そ、そうなのですね」

 と、モナリザは凪の犬耳をちらりと見た。

「また、耳を触ってあげてください」

 凪の方も頷いたものだから、私とモナリザは思わず笑いあってしまった。


「あ~、歓談中に失礼……これが資料だ。持って行ってくれたまえ」


 ダ・ヴィンチは山盛りの紙束をテーブルの上に乗せた。


「ありがとうございます。でも、持って行っていいのですか?」

「君も体験しているかもしれないが、この世界では生前自分が作ったものなどはすぐに呼び出せるようになっている。だから返しにきたりしなくて構わない」

「わかりました。次に会うときは臓器をいくつか持ってきますので、ぜひとも批評いただけたらと思います」


 生前の世界でこんな物騒な会話をしていたのなら、人格を疑われるだろうがモナリザは「あぁ」と納得して微笑んだ。


 それこそ、私の知る絵画モナリザのように。

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