第五話 研修スタート

 そして週が明けて月曜日。今日からいよいよ天童てんどうさんの研修がスタートだ。


「いきなり土日にしないところが、中津山なかつやま部長の優しさだよね~~」


 お客さんが多いのは、当然のことながら連休や土日祝日。月曜日から研修をスタートさせれば、あまりお客さんがいない状態で、天童さんの慣らし運転ができると踏んだのだろう。


「おはようございます」


 スタッフの通用口で待っていると天童さんが出勤してきた。前回は面接だったこともあってスーツ姿だったけど、今日は比較的ラフな服装だ。ここで着替えることになるから、着替えやすい服装にしてきたのだろう。


「おはようございます! ではまずここでタイムカードを押してくださいね」


 玄関に並んでいるカードラックを指でさす。そこにはここで働いている人達全員のカードがずらりと並んでいた。あらためてこうやって見ると、なかなか壮観そうかんだ。


「警備部のカードラックはここです。ラックの上に警備部ってあるので迷う心配はないですね」


 そう言って『警備部』と書かれたプレートの下に並んでいるラックの前に立った。


「かなりの人数ですね」

「そりゃまあ規模もそこそこ大きいテーマパークですからね。ローテーションを組んでいるので、全員が一気に集まることはほとんどないですけど」

「ほとんど……ということは、全員が集まることもあるんですか?」

「いいところに気がつきましたね、天童さん!」


 どこかのテレビに出ているおじさんと同じセリフを口にする。


「半年に1回程度なんですが、休園して防災訓練と保安訓練をするんですよ。その時は全員が集まります。もちろん警備部だけじゃなくて、他の部署のスタッフもですよ」

「なるほど。でも最近のご時世じせいからすると、半年に1回では心もとないのでは?」


 自分の名前が書かれたタイムカードを押しながら、天童さんは私に質問をした。


「月に一度はやったほうが良いって中津山部長も言ってるんですけど、経営サイドからすると、売り上げがゼロになる休園日をこれ以上は増やしたくないみたいで」

「なるほど」


 さっきと同じ言葉を繰り返す。その表情を見ながら、あることを言わなければと思った。


「あの、天童さん?」

「なんでしょうか」

「こういうことを年下の私から言われると、面白くないかもしれませんが」

「いえ、遠慮なくおっしゃってください。ここでは一関いちのせきさんのほうが先輩ですから」


 あらたまって言われると、こちらも言いづらいものがある。だけど、なにごとも最初が肝心。きちんと伝えておかなくてはならない。なにせ私は、天童さんの指導係なのだから。


「お仕事なので真剣に取り組むのは当然で、そこは大前提なんですけど、うちにはもう一つ重要なポイントがあるんですよ」

「大前提より重要なポイント、ですか」

「そうです」


 そう言ってうなづくと、自分の口の両端を両手の人差し指でクイっとあげてみせた。


「?」


 天童さんには理解できなかったらしく、私の顔を見て首をかしげている。


「つまり」

「つまり?」

「笑顔です」

「笑顔」


 天童さんは首をかしげたままだ。


「ここは非日常感が味わえるテーマパークです。いわば夢の国みたいなものなんですね。ですから、あまりしかめっつらをしてウロウロするのはよろしくないわけです」

「しかめっつら、ですか」

「まさに今、天童さんがしている顔ですね」


 そう指摘する。


「ですが……」

「もちろん、警備部の私達はパーク内の安全を担っているわけですから、職務としてパトロールは真剣にしますけど、あまり殺気立った状態でパーク内をうろつくのはNGなんです」

「殺気立った状態。そんなつもりはなかったのですが」


 それはわかっている。たぶん本人も無意識でそんな状態になっているのだろう。そこはここに来た当初の久保田くぼたさんや矢島やじまさんも同じだった。


「なので非常事態以外のパトロールでは、可能な限りマイルドな空気をかもし出してください」

「かもし出す……なにやら難しい注文な気がします」

「たしかに。でも大丈夫ですよ。そのための一助いちじょとして、この色の警備部のスーツがあるわけですし」


 そこで天童さんは初めて私が着ているスーツに目を向けた。もちろんいつものピーコックグリーンのスーツ。下のズボンと靴は薄いベージュ色。


「あの、本当にそれを着るんですか?」

「当たり前です。勤務中の警備部の人間は、男女関係なく全員がこの色のスーツですよ。ほら、少しは雰囲気が柔らかくなる気がしませんか?」

「そういう一助いちじょなんですか」

「それを狙って色を決めたわけじゃないらしいですけどね」


 少なくともこの色のスーツを着れば、着た人間の周りの空気がやわらいで見えるのは本当だ。それに気づいた中津山部長が、警備部のスーツをパステルピンクにしては?と一度提案したことがあったらしい。却下されて今に至っているわけだけど、さすがにパステルピンクのスーツは想像するだけでも恐ろしい光景だ。


「ちなみにこの色はピーコックグリーンといいます。草餅くさもち色でもミント色でもないです。ピーコックグリーンですから」

「ピーコックグリーン……」


 今にも魂が抜けそうな顔をしている。


「とりあえず覚悟を決めて着替えてください。天童さんのロッカーに一式入っているはずです。私はここで待ってます。サイズが合わないようならすぐに交換の手配をするので、その時は遠慮なくいってくださいね」


 天童さんをロッカールーム前に引っ張っていくと、廊下にある長椅子に座りニッコリ笑顔で見送った。


 そしてしばらくして天童さんがロッカールームから出てきた。相変わらず魂が抜けそうな顔をしている。


「サイズは問題なしですか?」

「おかげさまでピッタリです」


 腕を上げ下げしてみせた。うん、大丈夫そうだ。


「靴も大丈夫ですか?」

「問題なしです。ああ、靴擦れ用のクッションを貼りましたよ」

「OKです。勤務中はほぼ立ちっぱなしの歩きっぱなしなので、靴を新しくすると靴擦れを起こす人が多いんですよ」

「たしかに」

「じゃあ控室に案内しますね。そこが勤務時間中の私達が使う部屋です。パトロールする時に携帯する備品も置いてありますから。あ、そうそう、忘れてました」


 ポンと手をたたいて立ち止まる。


「?」

「天童さん、スーツ姿、なかなかお似合いです」

「ありがとうございます?」


 天童さんは何とも言えない表情を浮かべた。


「二人とも、おはよう」


 中津山部長の声に振り返る。


「おはようございます」

「おはようございまっす!」


 部長は立ち止まると、天童さんの頭の上から下までをチェックする。


「うん。なかなか似合ってるね」

「そうですか?」

「間違いなく似合っているよ。なあ、一関さん」

「私もそう言ったんですけどね。天童さん、いまいちみたいで」

「そうなのかい? 僕よりもずっと似合っていると思うけどな」


 そう言われても天童さんは微妙な顔のままだ。


「さて、じゃあ行こうか。控室にいる面々にだけは先に紹介しておくよ」


 部長はそんな天童さんの表情に気づかないふりをして歩き出す。


「ここ最近うちに来た人の中では、天童さんがダントツ似合ってますから心配ないですよ」

「それを聞いて安心しました」


 しかし天童さんは首をかしげたままだった。


「みんな、おはよう」


 部長が部屋にいる面々に声をかける。パトロールに出る前のコーヒータイムを楽しんでいた全員が顔をあげた。


「全員がそろうのは当分先なので、ここにいる人間にだけ紹介しておく。今日から警備部に入った天童君だ」

「天童です。よろしくお願いします」


 天童さんが頭をさげる。その場にいた全員が「夢の国警備部にようこそ」的な言葉を天童さんにかけた。


「一関さんが指導係として天童君とペアを組むことになったので、皆それぞれサポートをよろしく頼むね。ああ、それと注意事項が一つ」


 部長は人差し指を立てると、全員の注意を自分に向けさせる。


「研修は一週間、試用期間は一ヶ月と考えている。新しいスタッフとの親睦をはかりたい気持ちは理解するけど、その期間が終わるまでは自重じちょうしてほしい」


 そして久保田さんと矢島さんに目を向けた。二人はどうして俺達を見るんだ?という顔をする。


「特に久保田君と矢島君。君達は天童君との接触を固く禁じる。天童君、あの二人とは試用期間が終わるまで接触禁止だから。絶対に近づかないように」


 妙な部長の命令に、三人とも理解できないという顔をした。


「部長命令にはちゃんとした理由があるんですよ」

「一体どんな理由が」

「三人が固まると変な化学反応が起きるからです」

「変な化学反応て」

「俺達が有害物質みたいじゃないか、かおるちゃん」


  私の説明に久保田さんと矢島さんが不満げな声をあげる。


「前に言ったじゃないですか。久保田さんが警察官に、矢島さんが自衛官に戻ったら困るって」

「三人もそんな人間が増えたらパーク内の空気が乱れて大変なことになる。だから天童君の試用期間が終わって、うちのパークに馴染んでからでないとダメ。あ、これ、業務命令だからね」


 部長がうんうんとうなづいた。

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