第5話
「やだぁ!めっちゃ可愛い!お化けっていうからもっと怖いの想像してたのに、こんな可愛いなら最初から言ってよ!」
そう言いながら凪は僕の背中をバシバシと何度も叩いた。
「・・・おい、こやつは本当に貴様の友人なのか?」
凪のテンションの高さに明らかにドン引きしている彼女が僕の耳元で呟いた。
「友人というか、幼馴染ですね」
「マジか、貴様と真逆の人間じゃな。これが俗に言うパリピというやつか?」
「ちょっとテンションが高いだけで、パリピってわけじゃ無いとは思うんですけど。でも、もしかしたら僕の知らない間に東京に染まってパリピになったのかもしれません」
「やはり東京は恐ろしい場所じゃな。こやつには申し訳ないが、儂、こやつの事ちょっと苦手かもしれん」
「大丈夫です、僕も時々苦手なんで」
僕たちがコソコソと話をしている間も、凪は笑顔でずっとこちらを見ていた。
「ちょっと、二人だけで何話してるの?そういえば自己紹介がまだだったね。私は凪っていって、宗谷(そうや)とは幼稚園の頃から一緒の幼馴染なの。よろしくね!」
凪は幽霊の彼女の手を何の躊躇も無く半ば強引に握りしめながら言った。
「ねぇ、名前聞いてもいい?」
「儂に名など無い」
「え、そうなの?でも、名前が無いと何て呼んだらいいか分からないし不便じゃない?宗谷はこの子のこと何て呼んでるの?」
「そういえば名前で呼んだこと無かったな。いつも二人だけだから、『ねぇ』とか『あの』とかだけで通じたし」
「それじゃあ君は宗谷のこと何て呼んでるの?」
「『貴様』じゃ」
それを聞いた凪は呆れた顔をしながら、「あんた達、そんなんで今までよく一緒にいられたわね」と溜息をついて言った。
「それじゃあ、ユリちゃんでどうかな?それ、百合の花でしょ?」
凪は幽霊の彼女がずっと着ている着物に描かれている花を指さしながら言った。
「何でも構わん、好きに呼べ」
「はい、決定!よろしくねユリちゃん」
少女が来ている着物に描かれた花が何の花かなんて、今まで一度も気にしたことが無かった。
同じ女子だからこそ、そういうところにも目が届くのか。
それとも僕が無頓着すぎるのか?
どちらにせよ凪にユリのことを紹介して良かったと改めて思った。
「ねぇユリさん、メイクしてみませんか?」
僕は彼女にそう尋ねた。
「貴様も儂のことをそう呼ぶのか」
「ダメですか?」
「べつに構わん。それで、何をするって?」
「メイクですよ。興味ありません?」
今までスムーズに進んでいた会話が、そこで一気に途絶えた。
ユリが明らかに動揺し困惑しているということは、彼女の顔を見ずともひしひしと伝わってきた。
それは彼女がメイクの意味を知らないからという訳では決してなく、なぜ自分がメイクをするのかという疑問から生じた沈黙であった。
「ユリさんの気が進まなければ無理にとは言いません。でも、もし少しでも興味があれば、どうかなと思いまして。凪はプロとしてメイクの仕事をしているので、せっかくならどうかなと」
「・・・儂なんかにメイクが出来るのか?目も鼻も口も無いんじゃぞ」
不安そうなユリを見て、「もちろん!私に任せて!」と凪はユリの頭を優しく撫でながら言った。
「・・・分かった。よろしく頼む」
彼女にメイクをしたいと言い出したのは凪の方からだった。
数日前に凪にユリの事を電話で話すと、彼女は何の疑いも抱くことなく僕の話を信じた。
そしてこれはあくまで凪の仮説だが、ユリに顔が無いのはユリ自身が自分の顔を忘れてしまったせいではないのかと彼女は言った。
何年も幽霊でいることによって誰からも認識されることなく、ずっと独りぼっちだった彼女はいつしか自分がどんな顔をしていたのかも思い出せなくなってしまった。
だからユリには顔が無いのではないかと。
もし彼女が自分の顔を思い出すことが出来たら、もしかしたら彼女が成仏するきっかけの一つになるかもしれない。
その話を聞いて、僕は彼女の提案に乗ることにした。
彼女がこの世をどのくらい楽しんでいるかは分からないが、いつまでも幽霊のままこの世に居続けることは彼女にとっても良いことでは無いはずだと思っていた。
「それじゃあ宗谷は別の部屋で待ってて」
「え?僕も一緒にいたらダメなの?」
「ダメってわけじゃないけど、二人だけの方がやりやすいし」
するとユリも僕の方を見ながら、「凪の言う通りにするのじゃ。貴様は儂のメイクが終わるまで他の部屋で待っておれ」と手で僕を追い払うようにしながら言った。
「はいはい、分かりましたよ」
僕は二人に言われた通り、別の部屋でユリのメイクが終わるのを待つことにした。
ユリがメイクをしている姿を見てみたかったが、彼女が思っていたよりも乗り気な事に少し安心していた。
それから三十分程が経ち、「出来たよ!」という凪の声が聞こえた。
二人が待つ部屋へ行くと、そこにいたのは幽霊でも妖怪でもない、一人の可愛らしい女の子だった。
「何をジロジロ見ておる。何か言ったらどうじゃ」
「・・・よく似合ってます」
「なんじゃそれは。もっと気の利いた言葉は言えんのか」
「・・・とても可愛いです」
「当たり障りのない感想じゃな。そんなんだから彼女ができんのじゃ」
「僕が口下手なのと彼女がいないことは今は関係ないでしょ」
僕とユリの会話を凪はずっと笑いながら聞いていた。
「それじゃあ、仕上げは宗谷に任せるね」
「仕上げ?これで完成じゃないの?」
「いやいや、せっかくならメイクに合うように髪もセットしてあげなよ。これでも一応は美容師志望でしょ?」
もう何年も他人の髪を切っていない。
学生の頃は友人や親に頼まれて髪を切ったこともあったが、上京してからはハサミすら握っていなかった。
「何をしておる。早くやらんか」
そう言うと、ユリは僕の足首をコツンと蹴った。
「本当に良いんですか?失敗する確率の方が高いですよ」
「もし失敗したら、その時は貴様のことを呪うから覚悟しておれ」
「・・・プレッシャーかけないでくださいよ」
二人にそそのかされ、僕は仕方なくユリの髪を切ることにした。
髪を切っている最中、ユリはずっと無言だった。
彼女のことだからカットしている最中も何かと難癖をつけてくるものだとばかり思っていたが、ユリは僕が髪を切る姿を鏡越しに黙ってじっと見つめていた。
「・・・そんなに見られると緊張するんですけど」
「儂のことは気にするな。貴様の好きなようにやればいい」
その後も彼女は黙ったまま、僕が髪を切る姿だけを見つめていた。
「出来ました。こんな感じでどうですか?」
「良いじゃん!ユリちゃんめっちゃ似合ってるよ」
僕が髪を切るのを横でずっと見ていた凪が言った。
「・・・」
ユリは黙ったまま鏡に映る自分の顔を見ていた。
「もしかして、お気に召さなかったですか?」
僕がそう尋ねても、彼女はただ黙って自分の顔を見ていた。
そして僕らに聞こえないくらいの小さな声で、「そうか、そうだったのう。久しく忘れておったわ」とボソッと呟いた。
「どうかしましたか?」
「何でもない、ただの独り言じゃ。うん、悪くない。儂は好きじゃ、よくやった」
「本当ですか?気に入ってもらえたのなら良かったです」
「髪型だけじゃない。貴様に髪を切られている最中、なぜだかとても心地よかった」
そんな事を言われたのは初めてだった。
それはお世辞なんかじゃなく、彼女の本心だった。
泣きたいくらい嬉しくて、叫び出したいほど照れ臭かった。
「だってさ!よかったね!」
僕が嬉しそうにしているのを見て、凪は僕の背中を思いっきり叩きながら言った。
「それで、貴様は美容師とやらになりたいのか?」
ユリにそう聞かれ、一気に現実に引き戻された。
「・・・分からないです」
「分からないとはなんじゃ。それなら今ここで決めるとしよう。貴様は美容師になるのか?ならないのか?」
いつになく真剣な彼女を見て、嘘はつけないと思った。
「なりたいです」
「違う。儂が聞いたのは、なるのか?ならないのか?じゃ」
「・・・なります」
彼女の気迫に押され、そう答える以外に選択肢はなかった。
「そうか、分かった。それじゃあ、貴様が立派な美容師になるのを儂が見届けてやろう」
彼女はなぜか満足そうに笑みを浮かべながら言った。
「・・・もうパワハラじゃないですか。言わされた感が凄いんですけど」
「パワハラ?そんなの知らん。儂は幽霊じゃからパワハラなんて関係ない。それに儂が生きていた頃にはパワハラなんて無かったからな」
「それを世間一般ではパワハラって言うんですよ。訴えますよ」
「好きにするがよい、負ける気がせんわ」
ユリは終始ご満悦の様子だった。
「よし、ちょっと出かけてくる」
「何処行くんですか?」
「儂の美しさを皆に見せびらかしに行くんじゃ」
そう言って家を飛び出したきり、彼女は帰ってこなかった。
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