第3話

「おはようございます」


朝ごはんを買いに近所のスーパーまで向かっていると、目の前をゆっくりと歩いている一人の女性を見つけて声をかけた。

すると彼女はこちらを振り向いて、笑顔でこれまたゆっくりと会釈をした。

背が小さく白髪で物腰のとても柔らかい彼女は、僕の住むアパートの管理人さんだ。


「あら、おはようございます。晴れてよかったわね」

「そうですね。今日も娘さんのところに行かれるんですか?」


彼女の娘は花が大好きで、このアパートから少し離れた場所にいると聞いたことがあった。

だから彼女が花束を持っているときは、大概は娘に会いに行く時だった。


「綺麗なお花でしょ」

「ええ、とても綺麗ですね」


今のアパートには3年前に東京に上京してきた時からずっと住んでいる。

美容師になる夢を叶えるために大学を卒業してすぐに上京したが、都会の空気感に圧倒されてしまい東京に来てからはヘアカット用のハサミすらろくに触っていなかった。

毎日を仕事に追われている地元の友人達ともいつしか連絡を取らなくなり、今となっては僕の家に住みついた彼女と管理人さん、そして同じく東京に上京してヘアメイクアーティストをしている幼馴染の3人だけが唯一の僕の話し相手だった。


『どう?美容師にはなれそう?』

「もうちょっと時間はかかりそうかな」

『そっか、まぁ無理だけはしないでね』


幼馴染の彼女は二十五歳になってもフリーターでいる僕を心配してか、忙しい合間を縫って週に何回かは必ず電話をくれた。


「凪(なぎ)の方こそ無理してないか?仕事忙しいんだろ?」

『私は、まぁボチボチかな。忙しい時は忙しいけど、ちゃんと休みも取れてるし』

「それなら良いんだけど。ところで凪ってさ、お化けとか信じるタイプだっけ?」


僕の家に住みついたあの子のことを凪に話すべきかずっと迷っていた。

他の人は信じてくれないだろうけど、凪ならきっと信じてくれると思っていた。


『急にどうしたの?信じるも信じないも、そもそも私ホラー系苦手だし』

「・・・そっか、そういえばそうだったね。ごめん、この話は忘れて」

『本当に大丈夫?何かあった?』

「ううん、全然大丈夫。何もないよ」


そう言って窓の外を見ると、外はすっかり暗くなっていた。


「ごめん、そろそろ切るね」

『分かった、また電話するね』

「うん、またね」


携帯を机に置いてからソファに腰かけると、背後に気配を感じた。


「今日も遊びに来てやったぞ」

「今日も遊びに来ちゃったんですね」

「なんじゃ、その不服そうな顔は。貴様のことだからどうせ暇を持て余しておったんじゃろ」

「それはお互い様でしょう。そうだ、今日はお酒無いですよ」

「なぜじゃ!?」

「最近カツカツなんで、節約です」

「嫌じゃ嫌じゃ!今日は酒を飲みながらテレビゲームの続きをやると決めてたんじゃ!」

「やりたい放題だな。何度も言ってますけど、一応ここ僕の家なんですけど」

「呪うぞ」

「あなたにそんな力はないでしょ」

「仕方がない、隣の家から盗んでくるか」

「それはダメです」

「それならコンビニから盗んでくる」

「それもダメです」

「なぜじゃ?」

「人としてダメでしょ」

「でも儂、人じゃないし。幽霊だし」

「じゃあ倫理的にダメです」

「それじゃあどうすれば酒が飲めるんじゃ!?」

「我慢してください」

「嫌じゃ!我慢できん!・・・そういえば貴様、前に儂の顔に落書きをしたことがあったな」


彼女が僕の家に住みついてから何日目かの夜、酔っぱらった僕は同じく酔っぱらって熟睡していた彼女の顔にペンで目や鼻や口を描いたことがあった。


「あれは人として正しい行いなのか?」

「・・・すいませんでした」

「しかも貴様、よりによって油性ペンで描いたじゃろ。あれ、消すのなかなか大変だったんだぞ」

「すいません」

「本当に反省しているのか?」

「はい、深く反省しています」

「それなら酒を買ってこい」

「一本でいいですか?」

「二本じゃ」

「一本で許してください」

「三本じゃ」

「本当に今月カツカツなんですよ」

「十本じゃ」

「分かりました、三本で許してください」


それからコンビニまで酒を買いに行った僕は、結局日の出まで彼女のゲームに付き合うことになった。

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