第一章「召喚者と暗殺者」

第1話「はじまり」

 古代の召喚魔法が成功したらしい。


 城郭都市である帝都にそんな噂が広がったのは、つい最近の話だ。この帝都にしては珍しく、本当の噂が広がった。


 アーシャ・ティア・デューク・フォン・ウォフ=マナフは、皇帝の命により、市井に下った召喚者の監視を行っている。


 なぜなら召喚された彼は三日三晩高熱に苛まれ、あの皇帝デブに病弱な男はいらん。と捨てられたからだ。

 あの皇帝チビはどうやら異界の女性を召喚したかったようで、もう一度召喚の魔法陣を起動しようとして失敗していた。

 召喚しておいて、平民として市井しせいに送るというのは、些か無責任ではないだろうか。少し召喚者に同情してしまう。

 彼を市井に送り、数日経ったある日に少し冷静になったあの皇帝ハゲは、彼に特殊な力があってはいけないと意外にも思い立ったらしく、影であるアーシャに声をかけた、というわけだ。

 皇帝が直属部隊ではない彼女に声をかけたのは、自分の配慮のなさを隠そうとしたからだった。


 このアルビオン帝国は、皇帝崇拝の国だ。

 かく言うアーシャもその一人である。もちろん皇帝の命令は絶対だ。逆らうことは重罪で、神である皇帝を冒涜する行為である。と彼女は認識しているし、毎日祈りを捧げるほどには信仰心もあった。

 ただ皇帝は女に目がなく、影の一族であり、母は伯爵家の父に下賜された皇女で、その娘のアーシャ(ようするに近縁者である)を舐め回すように見る目を、誰が好意的に捉えられるだろうか。

 遠回しにねやへ誘われたこともあるが、未遂で終わっている。齢にして、彼女が十三、三年前の出来事だった。



 アーシャはまず初めに平民に扮してアルバート・ミトラの動向を探った。彼の居場所が分からなければ監視する事もままならないからだ。

 相手に気取られず慎重に調べると彼の動向は簡単に掴むことが出来た。変装もする必要がなかったぐらいには簡単だった。

 なにせ、市井に送られた時に情けで渡された、家というにはおこがましいほどにボロボロで、雨風も入ってきてしまうような小屋に今も住んでいたからだ。

 そして、召喚者ことアルバート・ミトラは、平民として帝都で暮らすために冒険者登録をしたようだった。

 彼は勘がいいのか、尾行中に周りを気にする素振りを見せる事がある。その度に息を潜めてやり過ごしてきたが、尾行を始めて一週間でそのような素振りもなくなった。




 ◇◆◇




 ある朝。アーシャは召喚者の監視を中断し、一時の休息を取っていた。


 ――久し振りに着るのだからと支度に二時間もかける意味はあったのかしら。すぐに召喚者の監視に戻るのだけれど……。


 食堂の扉が開き視線を部屋の奥へと向ける。

 するとそこには珍しく、大きなテーブルの向こうにアーシャの父であるアザミ・アイビー・デューク・フォン・ウォフ=マナフが優雅に座っていた。


 アザミは純粋に顔がいい。


 アーシャが幼い頃には大真面目に「お父様と同じかそれ以上に顔のいい人としか結婚しない!」と言って周りを困らせていたほどに。それだけアザミの顔の造形は規格外だ。

 アーシャと同じ銀色の髪はオールバックにしており、彼の造形美を際立たせる事に一役買っている。


 アーシャは珍しい参加者に思わず二度見してしまいそうになったが、なんとか耐え、笑みを浮かべて見せた。


 アザミの銀の瞳が満足げに細められる。


「おはよう。アーシャ」

「おはようございます。お父様」


 彼女は震えそうになる汗ばんだ両手を抑え、ペチコートで膨らんだドレスの両端を掴む。そしてスカートの中で左足を後ろに引き右足を軸に、膝を曲げた。

 美しく、それでいて優雅に見えるよう細心の注意を払い、アザミに淑女の礼をした。


「いい。座れ」

「はい」


 アーシャはアザミの斜め前に座り、ゆっくりと呼吸をして言葉を待った。


「アルバート・ミトラの様子はどうだ?」

「不審な動きはありません。……今のところは、ですが」


  不審な動きはない。それはもう、模範生のように。

 アザミはそうかと言って、朝食に手を付け始めた。それに倣い彼女も朝食に手を付けた。


 しばらくの間、会話のない時間が続いたが、突如テーブルに並んだ食器が小刻みに揺れ始めた。そして不躾にもテーブルの上でダンスを踊り始める。

 召喚者が現れてからというもの、帝国では小さな地震が多い。

 揺れが収まらない中、アザミが口を開いた。


「アーシャ。今後、私にもアルバート・ミトラの状況を報告すること。いいね?」

「わかりました。お父様」

「今後、反皇帝派の動きは私の部隊が追う。アーシャ、お前の部隊も借りることになるだろう。彼の監視は部隊なしでもできるね?」


 どこにでも反乱分子はいるもので、その集団を反皇帝派と呼んでいる。いまだにしっぽが掴めないどころか、本当にそのような組織がいるのかすら掴めていない。組織単位でなく、いち個人として反皇帝を謳う輩はいるが……。

 それゆえに、常に警戒態勢を敷いている状態だ。

 皇帝に仇なす者はごく稀にいる。影はその少数派を切り捨てるためにいる駒だ。

 見つけ次第、文字通り命を頂戴するわけだが、同じ国の民でありながら、そのような思想になる理由がアーシャには理解できなかった。


「はい、もちろんです。ただ、ルーナは置いておいて頂けますか? 彼女は私が使いたいのです」


 ふむ。と考えるように顎へ手を添えるアザミは一種の宗教画のようだ。

 アーシャがそんな光景に瞬きも出来ずにいれば、アザミからの許可が出た。


「ありがとうございます。では、そろそろ行ってまいります」


 いつのまにか収まっていた揺れに気付いたアーシャは立ち上がり、悟られないようそっと息を吐いた。


「ああ。行ってこい」


 影の一族は、“気を付けて”というような薄っぺらな言葉は使わない。

 それが一番の信頼であり、誇りだ。

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