第23話「つがい」
縄を解こうとしたオデルの手が止まり、不意打ちのように甘い言葉を垂れ流す。
「本当、可愛いな。ぼくのつがいは」
「……今それ言うの?」
「ずっと閉じ込めてしまえばよかった。失敗したね」
その言葉にシルディアが顔を上げれば、冷め切った赤い瞳と目が合った。
ぞわりと背中を寒気が這う。
「オデル……?」
「あぁ、やっぱり君には赤が似合うね」
首筋に伝う血に唇を寄せたオデルが軽く笑った。
生暖かなぬるりとした感触がオデルの舌なのか、自身の血なのかシルディアには判断がつかなかった。
(いつもとなんか雰囲気が……?)
疑問に思いつつもシルディアはオデルを押し返す。
「こんなことしてる場合じゃ……」
「あぁ。君を傷付けた不躾な輩だからね。きっちりお礼はしないと」
オデルは前へと突き出した手を炎が包んだかと思うと、瞬く間もなく意識のない男へと向けて炎を飛ばした。
「っ!?」
男が丸焼きにされてしまうとシルディアは体を強張らせる。
しかし、何故か炎はすんでのところで消滅した。
シルディアはほっと肩の力を抜く。
「ちっ。無駄な足掻きをするね。つがいを傷付けたんだ。万死に値する。ここで殺してやるのが優しさと言うものだろう? 違うかい?」
オデルが誰に喋りかけているのか分からずシルディアは困惑を隠せない。
意識のない男にシルディアは目を向ける。
(あの男は『無駄な足掻き』って言われるようなことしてないわ。なのにどうして攻撃をしたの? もしかして『無駄な足掻き』って、賊に対する言葉じゃなかったり……?)
誰かに語りかけるような言葉。それは賊に対するものではなく。
その上、オデルはいきなり雰囲気がガラリと変わった。
冷え切った赤い瞳は、普段シルディアを見つめる優しい瞳ではない。
例えるなら蛇のようにとぐろを巻いた重く、どす黒い執着だ。
(そうよ、この目。わたしは知ってる)
謁見の間で首筋を噛まれた時に一度だけ見た――
「オデルじゃない。……あなたは誰?」
「ふっ。あはは。君は思っていた以上に聡いね。今気が付くんだ」
「初代竜の王」
ピクリとオデルの顔が引き攣った。
シルディアは予想が当たったと口角を上げた。
「あら。意外とあなたは顔に出やすいのね?」
「こういう状況に陥ったら、普通驚いたりしない?」
「お生憎様。わたしはそんな――」
「ほら、言ったじゃないですか! 竜の王は例外なく初代に乗っ取られると……!!」
シルディアの言葉を遮り、意識を取り戻した男が叫んだ。
余計なことをするなとシルディアが睨めば、ヴィーニャが男を取り押さえる。
しかし面倒臭そうに一瞥した初代竜の王は、容赦なく魔法を使おうと片手を上げる。
(あぁもう! 黙っていればよかったのに! 口は禍の門だわ!)
オデルの救った命を無駄に散らせるわけにはいかないと、シルディアは初代竜の王が無視できないであろう問いを投げかけた。
「オデルはどうしたの?」
ピタリと動きの止まった初代竜の王に安堵しつつ、シルディアは答えを待つ。
「君を守れなかったと弱みを見せてくれたからね。体の主導権を握らせてもらった」
「そう。ならよかった。オデル自身が消滅したわけじゃないのね」
「――は?」
シルディアは解けかかった縄を解き、彼の顔へ手を添える。
驚いた顔をする初代竜の王へシルディアは挑戦的な笑みを向けた。
「まだオデルは生きてる」
溢れんばかりに見開かれた赤い瞳にシルディアは語りかける。
「寝起きが悪いのは知っているもの。二度寝ぐらい日常茶飯事よ。ねぇ、オデル?」
「なにを勘違いしているのか分からないけど、この体はもうぼくのものだよ」
「あらそう? じゃあ、わたしの気が済むまでオデルに喋りかけてもいいでしょう? 何を焦る必要があるの?」
眉をひそめる初代竜の王をシルディアは構わない。
シルディアは眠るオデルへと語り続ける。
胸の中の熱い思いを全てぶつけるように。
「オデルが大切にしてくれてるって分かったの。やっとゆっくり喋れると思ったのに、オデルはわたしと話したくない?」
「本当、今回のつがいはうるさいね」
「わたしが話しかけているのはオデルよ。ねぇ、早く声を聞かせて?」
頬を包んだ手で、頬の輪郭をなぞるように親指を動かす。
くすぐったそうに身をよじった初代の口から苦しげな声が漏れる。
「ぐっ、しぶといね。君も。それじゃあぼくも君を消すために動くね」
「! オデル!?」
何かを訴えかけるような瞳に見つめられ、ゆっくりと口が動いた。
(に、げ、ろ……? 逃げろ!?)
シルディアが理解した瞬間。
最後の足掻きと言わんばかりに初代竜の王から突風が巻き起こる。
「きゃっ!? あ、ありがとう。ヴィーニャ」
「いえ」
抱き留められていたはずの手がいつの間にか離されており、シルディアはヴィーニャ達の元へと飛ばされてしまった。
吹き飛ばされたシルディアはヴィーニャに受け止められる。
オデルから預かったマントを羽織り直しながらシルディアは立ち上がった。
「いったい何が……」
「忘れもしません。これは竜の怒りです」
青い顔をした男がぽつりと呟く。
(これが竜の怒り……?)
初代竜の王の周りを視認できるほどの風がとぐろを巻いている。
轟々と凄まじい音を立てる突風は、遠い国で竜巻と呼ばれるものではないだろうか。
まるで竜の怒りを買ったようなその威力は、地下の壁をえぐるほどだ。
天井にまで届く竜巻に、シルディアは焦りを隠せない。
「ちょ、っちょっと待って! こんな場所で、暴れられたら――!!」
シルディア達が一瞬で突風という竜の息吹に丸呑みされた。
岩々が転がり落ちるような衝撃音に思わず目を閉じる。
そして、風が止んだとシルディアが目を開ければ、そこはもう地下ではなく、頭上で月がきらめいていた。
「一瞬で後宮が塵と化した」
呆然と呟いた男に、シルディアはやっとここが後宮だと知った。
竜巻に包まれたオデルの顔は全く見えず、感じるのは殺気だけだ。
「なんて威力……」
目の当たりにした圧倒的な力量差に、ヴィーニャが床へとへたり込む。
見事に崩れ落ちた後宮だった物の残骸を見れば戦意喪失してもおかしくはない。
「うぇぇぇぇええい!? なんだこりゃあ!?」
少し遠くの方で見張りの声がする。
ヴィーニャに昏倒させられていたのだろうが、今の大きな衝撃で目が覚めたのだろう。
(どうして見張りは生き埋めになっていないの……?)
なぜだと考える暇すら与えられず、段々と大きくなる竜巻にシルディアは背に薄い刃物を突き付けられたような感覚に囚われる。
へたり込んだヴィーニャを巻き込む寸前、一瞬だけ大きくなった竜巻が上階の瓦礫を吹き飛ばした。
ヴィーニャを巻き込むことなく上空へ大きく広がった竜巻に、シルディアは違和感を覚えた。
(もしかして、オデルはまだ抗ってる……?)
シルディアはヴィーニャを後ろへと下がらせて、自身が前へ出た。
「シルディア様。危険です!」
「大丈夫よ」
オデルのマントをはためかせながらシルディアは集中する。
竜巻の中から小さく笑い声が聞こえるのは気のせいではないだろう。
「オデルを連れ戻してくるから、そこで待ってて」
「無理です! 無駄死にですよ!? 竜の怒りの前では誰もが無力なんです……!」
「っ、シルディア様!!?」
走り出したシルディアの後ろからヴィーニャ達の叫ぶ声が聞こえる。
それを無視して、シルディアは竜巻へと突っ込んでいく。
勝算がないわけではない。
(オデルはわたしにも魔法が使えるって言ってた。妖法だってまともには使えなかったけど、もしわたしに魔法が使える力があるのなら……その力は、今使う時でしょう!?)
全身が沸騰するように熱い。
今まで抑え込まれていた力が解放されたような、シルディア自身にも訳の分からない烈しい力が、火山の爆発のように噴き上がってくる。
激情にも似たそれを抑える術を、シルディアは知らない。
シルディアを覆うマントが突風に攫われ、隠されていた白い肌が露わになった。
「あの紋様は……白百合ですか」
「つがいの、証……。竜の、翼」
シルディアの背には、白百合とそれを巻き上げるように竜の翼が大きく翼を広げていた。
二人はシルディアの背を食い入るように見つめる。
ついにつがいの証が顕現したのだ。
シルディアを包む光が竜巻からの攻撃を妨げる。
一思いに竜巻へと突っ込んだシルディアは、すぐに竜巻の中心へと辿り着いた。
そこは一切風が吹いておらず、シルディアと初代竜の王のみが佇んでいる。
シルディアを視界に入れた初代竜の王が目に見えて狼狽した。
「どうして、その力は……ぼくのつがいの……。まさか君が、数千年以上探し求めた……ぼくの……」
「わたしはあなたのつがいではないわ。わたしがのつがいはオデルだけよ」
つかつかと初代竜の王へと近づいて、シルディアは彼の胸倉を掴む。
「返してもらうわよ。わたしのつがい」
そう宣言して、シルディアは愛しい彼に口づけをした。
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