第22話「竜の怒り」
オデルside
賊が侵入した。
そう報告され、すぐさまシルディアを休憩室へ誘導した。
一人夜会会場に残ったオデルは、シルディアがいない間に閉会させるため指示を出していた。
(シルディアには悪いが、さっさと終わらせてしまおう)
夜会の終わりを告げれば、開け放たれた扉へと参加者は足を向ける。
社交界の非現実的な空間が好きだとシルディアは言っていた。
だが、オデルにとって社交界は日常的な公務のため、彼女の気持ちが理解できない。
(まぁそこが可愛いんだが……。早く終わらせてシルディアを迎えに行こう)
扉へと流れる参加者の波が少しずつ引いていく様を眺めていれば、慌てた様子の騎士がオデルの前に跪いた。
「陛下」
青い顔をした騎士が頭を垂れる。
彼は休憩室付近を警備していた騎士だろう。彼の衣服には交戦した形跡があった。
その様子から、何があったか容易に想像できた。
(賊の目的は俺ではなかった、と。……シルディアにはあの侍女が付いている。生半可な賊であればアレには勝てない。戦闘民族だからな)
シルディアのいる休憩室が襲撃されたのだろうと予想建て、努めて冷静に問いかける。
「なんだ」
「つがい様が賊に連れ去られました」
その言葉に殺気が溢れたのは仕方のないことだろう。
騎士の小さな悲鳴にオデルは我に返った。
ふぅっと息をつき口を開く。
「……なんだと。侍女が付いていたはずだろう? 侍女はどうした。やられたのか?」
「それが……部屋にはいませんでした」
「そうか」
シルディアを守るために遠ざけたというのに、それが裏目に出ると誰が予想できるだろうか。
煮えたぎるような怒りと今すぐに飛び出したい気持ちを抱えながら頭を回す。
(この状況であれば侍女が手引きしたと考えるのが妥当だな)
奥歯を噛みしめ、自身の甘さを痛感する。
その弱さに漬け込んで、初代皇王ニエルドが顔を出す。
『だから言ったんだよ。鎖で繋いでしまえって。侍女と共に逃げ出したんじゃない?』
胸の中で囁く悪魔のような言葉を無視するも楽しげに笑う。
『つがいに逃げられたなんて、君は哀れだね』
そう決まったわけではないと心の中で反論しながら、騎士に問う。
「侍女が連れ去ったと騎士団は見立てているのか?」
「はい。交戦した跡がありませんでした」
「何か残っていたものは?」
「手を付けられていないタルトと中身の入っていない化粧箱がワゴンに乗っていました」
「そうか」
騎士の答えに疑問が募る。
(なぜ中身がない? 化粧直しをするための化粧箱じゃないのか? ……中身をぶちまけた可能性があるな)
考え得る可能性にオデルは騎士へと質問を投げかける。
「床に何か落ちていなかったか?」
「窓のサッシにヘアピンが一本落ちていましたが、つがい様が落とした物だろうと結論が……」
「ほぉ?」
思い込みとは厄介なものだ。
ヘアピン一本だけを見ればシルディアのものだと勘違いしてもおかしくはない。
しかし、オデルは知っていた。
シルディアのヘアアレンジにヘアピンが一切使われていないことを。
(となると、誤って化粧箱を落としたという線はなしだ。侵入した賊と対峙した侍女が隙を作るために投げた、が正解だろうな。ぶちまけた中身を回収し、表面上は取り繕おうとした様だが……爪が甘いな)
シルディアに着けている魔具の位置を探れば、まだ城の敷地からは出ていないことが分かった。
ふっと笑みを零し、オデルは告げる。
「そうか。俺はシルディアを迎えに行く」
「恐れながら陛下。我々にお任せください。我々騎士が全身全霊で捜索しております」
「聞くが、お前達はシルディアの居場所を特定できたのか?」
「申し訳ありません。まだ調査中でして……。足跡すらなく……。ですが安心してください。騎士団長の采配で、城下を中心に捜索を広げております。ひとまず城下に検問を設けました」
そのぐらいは賊の予想の範疇だろう。
検問が成されると見越して敷地内にいるとしたら、相手は騎士団の動きを看破していると見るべきだ。
警戒網が解かれるまで城の敷地内に潜伏すれば、賊の勝利なのだから。
灯台下暗しとはよく言ったものだ。
外へと連れ出せば、徐々に広がる包囲網では確実に間に合わなかったというのに、なぜ敷地内に潜伏しているのか。
(騎士団を掻い潜る度量を持っていながら、なぜまだ敷地内にいる? 誘っているのか……? それ以前に侍女を連れて行く意味はないはずだ。どうしても侍女を連れて行きたかった理由はなんだ?)
『侍女も共犯なんじゃない?』
(うるさいな。今考えているんだ。少し黙ってろ)
『つがいが拐われたのは君の失態じゃないか。八つ当たりはよくないと思うな』
(ちっ。俺を殺そうとする奴は多いが、侍女を捨て置かないような慈悲深い奴なんているわけが……いや、いるじゃないか。侍女の父であり、十二年前ニエルドの怒りを買った男が……!!)
「陛下? どうされました?」
『無能ばかりだね。誘拐の基本がなってない。平和というぬるま湯に浸かりすぎて対応がおざなりだね。それに比べて、あの新米騎士の娘! あの子はなかなか使えそうだよ。なんたって、賊が二人だって報告してくれたもんね』
「……わかった。騎士団は引き上げろ」
「!? ど、どうしてですか!?」
「俺が行く」
「で、ですが……」
「くどい。騎士団は捜索からは撤収。夜会参加者達が安心して帰れるよう尽力するように。わかったな」
「……承知しました。そのように伝えます」
「あぁ」
わざとらしくマントを翻し、オデルはただ眩しいだけの会場を後にした。
(誘いに乗ってやるとするか)
◇◆◇
オデルは乗ってきた馬から降り、申し訳程度に設けられた綱木に手綱を繋ぐ。
シルディア奪還のためにオデルは初めて後宮に立ち入ったのだが、目の前のそれに頭を抱えた。
蔦は伸び放題で外壁を覆っており、元の色すら分からない。
雑草もいつから手入れがされていないのか予想が出来ないほど生い茂っていた。
管理人から城門の鍵を奪ってきたが、その必要はなかったようで、重厚な扉はすでに扉の役目を放棄している。
ここまでくると最早寂れた後宮ではなく、荒廃したただの建造物だ。
『随分荒れているね。つがいしか愛せないくせに後宮なんて作るからだよ』
心の中で勝手に喋るニエルドの声を聞き流しながら、オデルはシルディアに着けた魔具の場所を探る。
大まかな場所は分かるものの、正確な居場所までは突き止めることができない。
(もう少し精度の高いやつにすればよかったな。だが、ここにいるのは間違いない)
『そんなに心配なら両足の骨を折って手元に抱え込んでいたら良かったのに。君の変わりに折ってあげるよ?』
「……お前の好きにはさせない。絶対に。今までのつがいのように、シルディアを殺させはしない」
竜の王として生まれ落ちた皇族の中に巣食う亡霊は、世継ぎを産んだつがいは用済みだと殺してしまうのだ。
殺し方は様々で、確実に自身が疑われないように始末する。
『なにがそんなに嫌なのか、ぼくには分からないよ。死んだつがいを食べることで、未来永劫一緒にいられるんだよ?』
「お前とは一生相容れないと言ってるだろうが。喋りかけんな」
『せっかく精神がぐらいついてるんだから止める理由がないね。君の精神力はすごい。だけどもうそろそろ擦り切れる頃だって気が付いてるでしょ? 早くぼくに主導権を渡して欲しいな』
「断る」
部屋を総当りするため、後宮の階段を上りながらオデルはキッパリと拒否をする。
『その威勢もいつまで続くか見物だね。……ふふっ。つがいが穢されても君は正気でいられるかな?』
「あ?」
オデルはそれっきり聞こえなくなったニエルドの声に舌打ちをする。
後宮内へと急ぐオデルは身を焦がす焦燥感を感じていた。
それは歩幅となって姿を現し、駆け出すほどにまで成長する。
(潜伏するなら地下が一番だ。使っていないはずの後宮で、明かりが灯るのは不自然すぎる)
一目散に地下を目指す。
後宮の地図は頭に入っている。
(当たりか)
古びた扉を開けば、人の手が入った空間が広がっていた。
掃除が行き届き、蜘蛛の巣や塵一つない階段だ。
さらには壁に備え付けられた蝋燭に火が灯っていた。
(こうも簡単に見つかっていいのか? 罠か……。やはり誘っているみたいだな)
罠だとしても、オデルには階段を降りない選択肢はない。
階段へと足を進めたその時、下から白煙が上ってきた。
(火事? ……違うな)
目の前すら見えなくなるほどの濃い白煙だ。
僅かにそれを吸い込んだ瞬間。
ぐらりと視界が回る。
(ちっ魔法か)
風魔法を使い、階段の下へと白煙を押し戻す。
ぐらぐらと視界が回転する感覚に、腹の底から何かが上ってくる。
しかし、賊にそれを悟られてはならない。
ゆったりと余裕があると見せかけるため、表情を引き締める。
わざとらしくコツコツと靴を鳴らし、自身の存在をアピールしながら降りていく。
白煙の薄れた廊下の先に、見慣れた白髪が見えた。
彼女は床に膝を突き下を向いている。
早く顔が見たくてシルディアを呼んだ。
「やっと見つけた。俺の白百合」
上げられた顔は青白く、体調不良だと見て取れた。
大きく見開かれた薄い水色の瞳と目が合う。
安心させるように微笑めば、あからさまに安堵した様子のシルディアが侍女の助けを借りて立ち上がった。
乱れた白髪の隙間から見えるのは、陶器のような白い肌だ。
きめ細かな肌には痛々しい打撲のような跡が散見された。
その上、自分の女だと知らしめるためのドレスを着ておらず、本来であれば夫である自分しか見られない下着姿だ。
目を疑うような彼女の姿に、オデルは目の前が真っ赤に染まったかと錯覚するような怒りを覚えた。
地を這うような声が地下に響く。
「シルディア。何をされた?」
「オデル。わたしは――」
「これはこれは皇王陛下。わざわざこんな所まで来られるなんて……よほどこの娘が大切なのですね」
シルディアの言葉を遮り、階段の踊り場にいた灰色のローブを着た男がこちらを振り返った。
「……賊と話すことなど何もない」
「そんなツレないことを言わないでください。私はこの十二年、ずっと貴方様のことを考えていたのですから」
「くどい。お前など知らん」
「よもやこの顔を忘れたとは言わせませんよ。これは、貴方に付けられた傷ですからね」
噛み合わない会話に見兼ねたシルディアが声を上げた。
「オデル。わたしは何もされてない」
「下着姿にされて何もされていないは通じないと思わないか?」
「それは……」
言いよどむシルディアの反応を見るに、下着姿にされた以外は特段気にしていないのだろう。
自分を大切にしようとしない彼女の悪い癖だ。
一般的な令嬢であれば、泣き喚き助けを乞うている場面であるというのに、シルディアの綺麗な瞳に一切濁りはない。
しかし、シルディアが気にしなくとも、オデルは彼女の美しい体を自分以外の男に晒したくはなかった。
「ふむ。ではこうしましょう」
一瞬にも満たない速度で侍女を蹴り飛ばした男は、厭らしく笑う。
「舐めるな」
土魔法でシルディアと男の間に壁を作る。
男はその壁を足場に飛び跳ね、またしてもシルディアの元へと飛び込んだ。
今度はオデルにも魔法弾が飛んでくる。
「自分の守りが疎かですよ。甘いですね」
「はっ! 俺にこんなものが効くとでも?」
魔法弾を弾き返す寸前。
灰色のローブから白煙が漂い、オデルを襲った。
ただの目くらましではない。めまいや吐き気を起こす厄介な代物だ。
しかしながら、オデルは先程階段上で浴びたことでめまいが来ると知っていた。
理解していれば対処ができる。
めまいや吐き気を気取らせないため、オデルは一度だけ瞬きをした。
そのコンマ数秒の僅かな隙に、男がシルディアの首に腕を回していた。
突き付けられたナイフが彼女の白い首に赤い染みを作る。
「やっとこの日を迎えられました。私のつがいを奪った貴方に復讐ができる」
恍惚に笑う男の目にもはや理性などない。
理性の無くなった人間などただの獣だ。
シルディアを拘束したと気を抜いている男へ、オデルは不敵に笑った。
「返してもらうぞ。俺の白百合」
「なっ――!?」
痛みに顔を歪めるシルディアを、風魔法を駆使して奪い返した。
この間、僅か数秒。
風のゆりかごに運ばれてきたシルディアを抱き留め、謝罪の言葉を口にした。
「ごめん。遅くなった。早く手当を……」
「大丈夫よ。来てくれてありがとう。オデル」
血の流れる首筋を押さえ健気に笑うシルディアを力いっぱい抱き締めた。
シルディアを手元からかすめ取られた男は、
「な、なぜ……風魔法が使えるのです……? 初代竜の王以外の皇王は、風魔法が使えないはずでは……」
「それはどこの情報だ? 随分と古いな」
「そ、そんな……馬鹿な……」
「俺の白百合を傷付けた罪は重いぞ」
その言葉にわなわなと男が震えだす。
「私のつがいを奪ったくせに……なぜ貴方だけつがいを得る……!? 不公平ではないかっ!!」
男の口から飛び出たのは、十二年前の事件の結末だ。
侍女の母にあたる女は、男のつがいであった。
しかし、その女は禁忌を犯した。
「お前のつがいが女神に憧れ、その姿を真似たからだろう。竜の怒りを買っても可笑しくはなかった。あれほど止めろと忠告をしたというのに……続けたのはお前のつがいだろう」
「女神に似ているのは皇族のつがいもでしょう!? それなのに……なぜ、私のつがいだけが……」
不安そうな顔をするシルディアの肩にマントをかけ、優しく頬を撫でて解説をする。
「女神は初代皇王のつがいだからな。女神に似ている者に惹かれるのは血に刻まれた呪いのようなものだ」
「オデル……それは……」
「ふっ、不安そうな顔するな。シルディアを女神の写し身だなんて思っていない。シルディアはシルディアだ。俺の唯一だ」
「……それ、言うタイミングは今ではないと思うわ」
照れたようにオデルの胸に顔を擦り付けるシルディアはなんて可愛い生き物なんだろうか。
悶えそうになる心を自制し、哀れな男へ目を向けた。
「女神を騙った女を許すほどニエルドの心は広くない」
「二度とつがいに会えなくなった竜の悲しみが貴方に理解できますか?」
「さぁな。だが俺を恨んでくれて構わない。許してほしいとも思っていないが……」
「同じ苦しみを味合わせてやろうと思ったんです。私と同じように目の前でつがいを殺してやろうと……」
ごくりとシルディアが息を呑んだ。
自分を殺そうとしているのだ。この反応は当たり前だろう。
「俺はシルディアを失うつもりは毛頭ない」
「でしたら、つがいの代わりに死んでいただけますか?」
「寝言は寝て言え。させねぇよ」
「交渉決裂ですね」
「はっ今のが交渉? 笑わせる。ならつがいの元へ苦しまずに送ってやる」
突き出した手に魔力を込め、放出させる。
男は身構える間もなく、魔力の波へと呑まれた。
目の前の光景に腕の中のシルディアがぴくりと震え、心配そうな目を向けてきた。
その目は本当に殺すのかと訴えかけている。
「大丈夫だ。この程度で死にはしない」
「よかった……」
自分を殺そうとした相手にも慈悲をかけるシルディアは、自分とは比べ物にならないほど心が綺麗だと実感した。
魔力の波に呑まれた男を魔法で拘束すれば、目に見えてシルディアがほっとした表情を浮かべる。
「シルディアは優しいな」
「わたしの気持ちを汲んでくれたオデルはもっと優しいと思うわ」
「そんなことはない。シルディアが俺を優しくさせるんだ」
愛しいシルディアが腕の中に戻ってきたことに安堵し、彼女を抱きしめれば先ほどは気付けなかった手首の拘束に気が付いた。
彼女の拘束に気が付かないほど切羽詰まっていたのかとオデルは内心苦笑した。
(シルディアが無事で本当良かった。いや怪我をさせてしまったんだ、無事じゃないな。あーくそ。俺の傍から離すんじゃなかった)
オデルが自己嫌悪をしながらシルディアを拘束する縄を手にかけた瞬間。
ぐわっと引っ張られるように、竜に飲み込まれた。
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