第7話「愛する人のためならば」
オデルからつがいだと宣言されてからというのも、シルディアは彼の愛情を一身に受け取っていた。
シルディアが皇国にきて一週間が過ぎたある日。
夜中に目が覚めたシルディアは、隣にオデルがいないことに気が付いた。
「? どこに行ったのかしら?」
起き上がり、寝ぼけた眼で室内を見回すが、寝室には人影すらない。
(わたし、オデルと一緒に寝台に入ったことないわ。彼の寝ている姿も見たことないかもしれない……。朝昼晩と三食一緒に食事をして、最近は公務もし始めた)
シルディアが起床した時にはすでに起きているし、就寝する時もオデルが一緒に床につくことはない。
(ちょっと待って。いったい、いつ寝てるの?)
頭にふと過った疑問に意識が覚醒する。
シルディアは可愛らしい天蓋をかき分け寝台から降りた。
(一つずつ部屋を回れば見つかるでしょ)
リビングルームから厨房に向かったが、オデルの姿は見えない。
(なら執務室でしょうね)
厨房を出てすぐ左手にある扉をノックすれば、驚いたような声が聞こえすぐに扉が開いた。
扉を開けたのはやはりオデルで、いつもより少し髪が乱れている。
「どうしたの、こんな時間に」
「どうしたのはこっちのセリフでしょ」
「ん? 俺、何かしたかな?」
「オデル。あなた、いつ寝ているの?」
息を呑んだオデルが苦笑して「ばれたか」と呟いた。
オデルがリビングルームへと戻り、暖炉に火をくべるため口を開く。
「着火」
オデルがそう言った直後に、暖炉に火がともる。
「何度見ても慣れないわね。魔法って」
「そう? 基本は
「だといいけどね」
妖精の力を借りて、使うものを妖法と呼んでいた。
しかし、妖精のいない皇国では、妖精の力を借りる妖法は使えない。
その代わりに使うのが魔法だ。
ソファーに座るシルディアの隣にオデルは腰かけた。
「それで、どうして寝ていないの?」
「全く寝ていないわけじゃないよ?」
にこにこと表情を崩さないオデルに、少し苛立ったようにシルディアが呟く。
「わかった。わたしに気を使って寝台が使えないのね」
「そうじゃないよ」
「じゃあ何だって言うの」
「俺、寝つきが悪いからさ。シルディアを起こしてしまうかもしれないと思ってね」
「そこまで心は狭くないわよ」
「……うん。ごめんね。シルディアの心が広いのは分かっているよ。これは、俺の問題だから」
そう言ってオデルは申し訳なさそうに眉を下げた。
しかし納得のできないシルディアは拗ねたようにソファーの上で両脚を抱える。
「わたしのこと、つがいだと言う割に秘密主義なのね」
「それ、遠回しに俺のこと知りたいって言ってるようなものだけど……自覚してる?」
「惑わされないわよ。それに、わたしはそう言ったつもりだけど?」
「! シルディアが、俺に興味を!?」
「仮につがいと認められなくても、オデルがわたしを手放すと思えない。だから、腹をくくらないといけないと思っただけよ」
「そうだね。俺はシルディアを手放すつもりはない」
「でもオデルは、わたしに知ってほしいなんて思ってないでしょ」
シルディアが真剣な目をオデルへと向ける。
あまり表情を変えない彼の微かな揺らぎ。
シルディアはこの一週間で、僅かな変化を感じ取ることができるようになっていた。
(少し驚いているけど、一番は疑心暗鬼。寝込みを襲われるとでも思っているのかしら? 心外だわ)
赤い瞳の奥に宿っているのは疑惑だ。
誰も信じないと言わんばかりの目。
それは皇国に来た頃からずっと変わらない。
「なにか気に障ることをしてしまったのかな? 謝るよ。夫婦円満の秘訣は、即断即決だって聞いたからね」
「それ本当に既婚者に聞いたの?」
「え? うん。そうだよ」
「わたしの思う夫婦円満の秘訣は、なんでも話す事よ。お互い秘密はなしにしましょう?」
「もう夜も遅い。それはまた明日にしよう? 早く寝ないとシルディアの綺麗な肌が荒れてしまう」
「一日の夜更かしなんて誤差よ」
「……いつにも増して積極的だね? そんなに俺のことが知りたいの?」
隣から伸ばされた腕に抱きしめられるも、シルディアは顔色一つ変えなかった。
「こんな手段でわたしがごまかされるとでも?」
「……」
「それに、わたしの質問にはなんでも答えてくれるんでしょ?」
「まいったな」
観念したのかオデルは、シルディアを自身の膝に乗せた。
優しく腕を回されてしまえば、抵抗する気も起きない。
シルディアは近づいた距離をものともせず、彼の目元に手を添えた。
「本当、酷いクマ。綺麗な顔が台無しよ。いつからちゃんと寝れていないの?」
「……生まれてからずっと、かな」
「睡眠を取らないと正常な判断はおろか、死に至ることもあるのよ?」
「竜族は多少寝なくても死にはしない。ある意味頑丈だから」
「どうして寝れないの?」
「皇族は全員竜族なのは知っているよね?」
「えぇ」
目元をなぞる手にオデルがすり寄った。
まるで甘えるような行為に、シルディアの鼓動がわずかに早くなる。
「竜の王になるものに与えられる試練がある」
「試練……?」
初めて聞く皇族の事情に、シルディアはごくりと喉を鳴らした。
いつの間にか握り込んでいた手にオデルの手が絡められる。
まるで緊張を解すように繋がれた手にほんのりと温かな気持ちが胸に広がった。
「そう、試練。竜の王が必ずつがいを見つけ出せるように、見つけたいと思わせるための、忌々しい試練さ」
「それが、寝れない原因なの……?」
「端的に言えばそうだね。でもシルディアの思っているようなものじゃないと思うよ」
「え? つがいを見つければ寝れるようになるんじゃないの?」
「本当、素直で可愛いね、シルディアは。そんな単純なものじゃないんだ」
「どういう……?」
意味がわからずシルディアは首を傾げる。
「分からなくて当然だよ。前に言ってたよね。顔色ぐらいコントロールできるって」
「言ってたわね」
「それは試練の副産物」
「? 余計意味がわからないわ」
「だろうね」
「……煙に巻こうとしていない?」
「……まさか」
にっこりと笑ったオデルは、意を決っしたように声を絞り出した。
「四六時中、激痛が体中に走っているんだ」
「は……?」
「だから、竜の王に選ばれ者は痛みに呻く姿を見せないために顔色をコントロールできるようになる」
「……」
「痛みの原因は膨大すぎる魔力。たとえ竜族といえど、許容量があるからね。神話の時代から受け継がれる竜の王という位は、信じられないほど力を持っているんだ」
「それは……」
神話の時代。
それは、国ができる前の話だ。
シルディアは自国の神話の知識しかないが、壮大で、人智の及ばぬものだと理解はしている。
「でも、つがいを得れば魔力が安定し、痛みがなくなるようになっている」
「それならオデルはもう痛みがないはずじゃない」
オデルはシルディアを自身のつがいだと言った。
それが本当ならば、彼は痛みから開放されているはずだ。
(やっぱりわたしはつがいでは……)
「大丈夫。シルディアは俺のつがいだよ」
「じゃあなんで今も寝れないの? わたしがつがいなら……オデルは今も苦しんでいないわ。どうして?」
「……」
黙り込んだオデルに再度問いかける。
「ねぇ、どうして……?」
「――シルディアにつがいとしての自覚がないから」
「自覚?」
「そう。つがいとしての自覚が芽生えれば、背中に証が浮かび上がる。でも、シルディアにはそれがない」
「そんな……」
「つがいを見つけるだけじゃ駄目なんだ。つがいにも俺を好きになってもらわないといけない。それが試練」
「っ、」
「そんな悲しい顔しないで。慣れっこだからさ。俺は平気だよ」
「でも……わたしの、せいで……」
声が震える。
自分のせいで誰かが傷付く恐怖。
カタカタと震えだすシルディアの顔色は真っ青だ。
オデルはシルディアを安心させるように抱き締める。
「シルディアに負担をかけたくないから黙ってたのに」
「ごめん」
「謝らないで。悪いのはシルディアじゃない。こんな試練を残した神々だよ」
「でもオデルが辛いのに変わりはないでしょ?」
「まぁそうだね。でも、愛する君のためなら俺は何年でも何十年でも待ってみせるよ」
「どうしてそこまで……」
「シルディアは俺の光だから」
「光?」
オデルの腕に力が籠る。
「俺にはシルディアしかいない。シルディア以外考えられない」
「わたし以外にも素敵な女性はたくさんいるわ」
「シルディアじゃないと駄目だ。つがいだからじゃない。俺が、シルディアを選んだんだ」
「……」
「もし俺から逃げるなら、絶対に見つからないようにしてほしい。見つけてしまったら、俺は、シルディアの足を切り落としてでも手元に置いておく。泣いても、縋っても、逃がしてはやれない」
オデルの執着は竜族特有のものなのか、彼自身の特性なのか、定かではない。
ただ一つ分かるのは、オデルはいい人だということだ。
「本当にそう思っているなら、最初から足を切り落としてしまえばいいのに」
「シルディアの綺麗な足を切り落としたくない。確かにシルディアには赤が似合うけど……」
「初日に噛んで流血させた人と同じだとは思えないわね」
「それは……つい、感極まって……」
「いつもは意識してそういうことをしなようにしているのね?」
「そういうこと。でも無防備に寝ているシルディアを見てしまったら、きっと鎖を繋ぎたくなってしまう」
「鎖……?」
声が引き攣ったのは仕方のないことだろう。
理解が到底及ばない物の名前が飛び出したのだから。
「鎖に繋げば、逃げる心配もない。その上、排泄から食事、シルディアがなにをしようとする度、俺を頼らないといけないんだ。考えただけでたまらない」
「そ、そう」
「でもやらないよ」
「?」
「俺の一番好きなシルディアがいなくなってしまう」
「一番好きなわたし……?」
「先の見えない闇の中で俺に安らぎを与えてくれた、花が咲き誇るような笑顔が、消えてしまうから」
(オデルにそんな笑顔を見せたこと、あったかしら?)
ふわりと舞った疑問は、答えが導き出される前に消えてしまう。
なぜなら、オデルが紡いだ言葉に意識が持っていかれてしまったからだ。
その言葉は――
「だから、愛する人間を傷つけるしか能のない竜の王の意識に、シルディアは渡さない」
「……は?」
「シルディアは俺のだ」
「ちょ、ちょっと待って。どういうこと?」
「あ、そうか。シルディアが知らないのは当たり前か。竜の王に選ばれた者のみしか知らないことだし」
さらっと言ってのけたオデルにシルディアは頭を抱えた。
(竜の王の意識ってなに!? 竜の王は神話の存在でしょ!?)
「この話は長くなるからまた今度しようか」
「……わかったわ。それで、話が戻るんだけど、せめて少しでも痛みが紛れるようなものはないの?」
「一つだけあるよ。シルディアが手伝ってくれればだけど」
「! 手伝うわ!」
「二言はない?」
「もちろん」
「よし」
膝に乗っていたシルディアを抱きかかえ立ち上がったオデルは、魔法で暖炉の火を消すと寝室へ足を向けた。
されるがままになっているシルディアがどうすればいいのか問いかける。
「それでどうすればいいの?」
「シルディアは俺の傍にいるだけでいい」
「?」
「寝台を共にすることを許してくれるかい?」
「オデルの寝台でもあるのよ? 当たり前じゃない」
可愛らしいレースの天蓋をかき分け、優しく寝台に降ろされる。
同じように寝台に入ったオデルが綺麗な笑顔で爆弾を落とした。
「じゃあ、抱き合おうか」
「!?」
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