第6話「愛する人はだれ?」

 オデルから紹介されたのはヴィーニャという侍女だった。

 彼女は一人で数十人分の仕事をこなすというとても有能な侍女らしい。

 むやみやたらに数を増やしたくないオデルにとって彼女は使い勝手のいい人材のようだ。


 ヴィーニャは赤紫色に黒色を上塗りしたような赤紫色に黒色を上塗りしたような髪と瞳をしていた。

 紅消鼠べにけしねずみと呼ばれる色を持つ彼女は、ガルズアース皇国の国民なのだろう。

 皇国の国民は皆、黒っぽい髪色をしているため、見分けがつきやすい。

 その中でも漆黒の髪を持つのは皇族のみだ。


(皇族は高貴な黒竜の生まれ変わりだから、漆黒の髪を持つとされている。漆黒に近ければ近いほど爵位が高い可能性があるのよね。わかりやすくていいのだけど、彼女はどこかの令嬢なのかしら?)

「私は令嬢ではありません。平民登用された平民です」

「顔に出ていたかしら?」

「いえ。ただの勘です」

「よく当たりそうね、あなたの勘」

「よく言われます」


 ヴィーニャは淡々と抑揚のない口調で頷き、ドレスを手に取った。

 シルディアとヴィーニャは今、ドレスルームに来ている。

 自分も入ると駄々をこねていたオデルだったが、シルディアの「入ったら嫌いになる」との鶴の一声でドレスルームへの立ち入りを諦めた。

 そもそも、オデルが着替える時間をシルディアに与えなかったために起こった事態だ。

 彼が辞退するのは当然のことだろう。


「それじゃ、オデルが満足できるぐらい着飾りましょうか」

「承知しました」


 貴族令嬢顔負けの綺麗な礼をしたヴィーニャがドレスルームを早足で闊歩する。

 シルディアも彼女の反対側からドレスを探し始める。

 案内された時は扉の外から中を覗き見たため気が付かなかったが、ドレスルームの中には数えきれないほどのドレスが並んでいた。

 そのドレスの数は、一年間夜会を毎日開いても同じドレスは着なくても問題ないほどだ。


(むしろ、生涯で全て着れるか分からないぐらいあるわ。どんだけ買ったのよ)


 一着一着確認していたら日が暮れてしまいそうだ。

 なにせ流行をおさえたドレスは魅力的な物ばかりで目移りしてしまう。

 幸いなことに色で列が分けられているため、色さえ決めればそこまで時間はかからなそうだとシルディアは独り言ちる。


(赤いドレスがやたら多いのは、オデルの瞳の色だからね)


 自身の瞳と同じ色のドレスを贈るというのは、独占欲の現れだ。

 自分のものだと周りに知らしめるためのだけの行為。


(他にない特殊な色であればあるほど、誰のものかわかりやすい。赤色の瞳はどこを探してもガルズアース皇国の皇族しかいないもの。誰のものか明らかね)


 着替える時間を渋々受け入れたオデルが満足する装いをしなければならない。

 中途半端なドレスを選べば、今後二度とドレスに着替えさせてもらえないかもしれない。

 そう考えてしまうほど、彼の執着は度を超えている。


「赤色のドレスにしましょう」

「かしこまりました。では始めましょう」

「ええ。お願いね。頼りにしてるわ」

「! はい」


 無表情だったヴィーニャの紅消鼠の瞳が見開かれる。

 しかしそれはほんの一瞬で見間違いかとシルディアは気にも止めなかった。






 リビングルームの猫足ソファーに腰かけるオデルに、ヴィーニャが声をかける。


「お待たせいたしました。皇王陛下。つがい様の身支度が整いました」

「待ちくたびれた」

「しかたないでしょ。女の支度は時間がかかるものなのよ」


 ヴィーニャの後ろから一歩踏み出したシルディアは、オデルに声をかけた。

 シルディアへ目を向けたオデルがルビーのような瞳が落ちそうなほどに見開く。

 それもそのはず。

 彼への好意があまり感じられない言動をするシルディアが、彼の瞳と同じ真紅のドレスを身にまとっているのだから。


 選んだのは真紅をメインに使ったドレスだ。

 背中がぱっくりと開いたデザインで、背中から胸元まで細やかなレースがあしらわれている。

 レースが生きるのはそれだけではない。

 シルディアの腕を覆うのも、全てレースでできている。

 幾重にも重なったドレープとタックは赤と橙のグラデーションを描く。

 交互に重なったそれは、まるで揺れる炎のように美しい。


 首元で一際輝くのは大粒のルビー。

 金色に輝く装飾品を脇役に添え、ルビーの美しさを引き出している。

 余計な宝石を使わないこだわりの見える逸品だろう。


 足を彩る靴は、踵が高い舞踏会用のパンプスだ。

 気合を入れた結果、ドレスに引けを取らないものを選んだら舞踏会用の物しかなかったのだから、仕方がない。


 一つにまとめた白髪は、赤色のリボンで止められている。

 両サイドは編み込まれており、凛々しさの中に可愛らしさを散りばめた出来になっていた。


 閉口してしまったオデルに、シルディアは居心地が悪そうに身じろぎをする。


「何か言ったらどうなのよ」

「! い、いや、なんて言ったらいいんだろう……。綺麗だ? 美しい? 可愛い? いや、そんな言葉じゃ言い表せない」

「そこまで褒めちぎれとは言ってないわ」

「事実だろう。シルディア以上に美しい女性を見たことがない」

「言い過ぎよ」

「美の女神すら嫉妬して、シルディアを殺そうとするだろう」


 大真面目な顔で言うオデルに、揶揄いの色は一切ない。

 そのためシルディアの頬に熱が集まってしまう。


「そ、んな褒め殺しみたいな言葉……」


 初めて自身に送られる褒め言葉にタジタジとするシルディアを横目に、ヴィーニャがオデルに耳打ちをする。

 彼は迷いなく頷き、一言手配しろと命令した。

 ヴィーニャが彼の命令に答えるべく、礼をして退室した。


「さて。シルディア」


 誰もが見惚れる笑顔を浮かべたオデルが立ち上がり、シルディアの手を取る。


「こんなに着飾って、本当に俺を喜ばせたかっただけ?」

「っ!?」

「そんなに外に出たい? でも俺は、可愛い君を他人の目に触れさせたくないな」

「……全部お見通しってわけね」

「シルディアは可愛いね。わかりやすくて」

「それは褒められている気がしないわ」

「うん、褒めてないからね」


 にっこりと笑うオデルが、シルディアの背に手を這わす。

 ビクリと大きく肩を揺らしたシルディアの反応に満足したのか、彼の手はさらに背をなぞる。


「あ、本当だ。妖精姫の体形に合わせてたのか。少し胸周りがきついな」

「!?」

「大丈夫。明日には全てシルディアの体形に合ったドレスが並んでるよ」

「は、え、待って? それって針子を一晩中働かせるってこと……?」

「? 問題が?」

「大ありよ!! そんな、つがいでもないわたしなんかのために寝る間も惜しんでやらなくてもいいの!」

「今、なんて言った? 『わたしなんか』?」


 背を這っていた手がシルディアの腕を掴む。


「痛っ」


 握り込まれた腕が悲鳴を上げる。

 痛みをこらえ、オデルの顔を見上げた瞬間。

 シルディアは室内の温度が下がったような錯覚に陥った。

 さながら蛇に睨まれた蛙だ。

 室内は暖炉のお陰で温かいはずだというのに、シルディアの足元から寒気が上ってくる。


「俺の大切なシルディアのことを悪く言うのは、たとえ本人でも許さない」

「そ、そんな理不尽な……」

「じゃあもっと自信を持って」

「わたしに、誇れるものなんて、なにも……」

「シルディアは優しい女の子だよ」


 言い切ったオデルを見れば、全てを凍らせてしまいそうな視線はもうなかった。


「王族なら城の針子に対して、一晩中働かなくてもいいって言ったりしない。それは、シルディアが優しいってことだよ」

「誰だって不眠不休で働くのは嫌よ」

「貴い身分の人間はそんなこと気にしない。心優しいシルディアのいいところ」

「……そんなこと、初めて言われたわ」

「王族らしくないって言われてた?」

「そうね」


 シルディアの腕を掴んでいた手を離したオデルが、彼女の頭を撫でる。

 オデルは目を細めわが子を愛おしそうに眺めるような目をして、口を開く。


「俺はそんな王族らしくないシルディアを欲したんだ」

「わたしとオデル、会った回数は数回じゃない」

「その数回で俺を虜にしたのはシルディアだろ?」

「冗談……」


 吸い込まれそうなほど綺麗な赤い瞳に、シルディアは息を呑んだ。

 オデルの目には、一切の偽りがない。

 本気でそう思っている人間の顔だ。


「自信をもって。皇妃となるのはシルディアなんだから」

「わたしはつがいじゃないって、さっきも……」

「つがい、つがいって、そんなに俺のつがいが気になるの? 仮にシルディアがつがいでなかったとしても、認めさせるから安心して」

「そんな、前例のないこと許されるわけない」

「大丈夫」

「そうは言っても、だって、皇妃はつがいでないと認められず、皇王は錯乱して崩御してしまうって」

「うん。事実だね」

「だったら!」

「ここまで知っていて、なんで気が付かないの?」

「何に……?」


 言葉の意味が分からず首を傾げるシルディアに、笑みを深くしたオデルが呟く。


「俺のつがいは君だよ。シルディア」

「……え?」

「妖精姫の出席する夜会に何度か参加して気が付いたんだ。俺が恋焦がれてやまない存在とそうでない存在が入れ替わっているってね」

「っ、つまり、オデルはわたしだと知った上で、求婚したってこと?」

「そうだよ」

「もし、妖精姫であるフロージェが嫁いで来たらどうしていたの? つがいでなければ死んでしまうのに……」

「妖精の国が、妖精の祝福を一身に受けた姫を他国に渡すわけないだろ? シルディアが来ると確信していたよ」


 困惑を隠せないシルディアの頬をオデルが撫で、耳元に唇を寄せ囁く。


「だから、ね? 俺がシルディアだけを愛してるってわからせてあげるから、早く自覚してね」


 チークキスのように頬と頬を合わせてから離れたオデルは獲物を捕らえたような目をしていた。

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