第2話「影武者姫と妖精姫」
痛いぐらいに後ろから抱きしめられたシルディアは、背中に伝う冷や汗を抑えられずにいた。
なぜなら――
「君の名前を教えてほしい」
「ですから、わたくしはフロージェだと申しております」
「噓つき。君はフロージェではないだろう?」
「っ、お戯れを」
シルディアを抱きしめるのは、皇王オデルだ。
妖精姫フロージェの影武者として皇都の城に着いたシルディアは、皇王に挨拶するため謁見の間へ訪れた。
定型的な挨拶を交わし、謁見の間から出る瞬間に後ろから抱きしめられたのだ。
後ろから回されたのは片腕だけだというのに、身動きが取れなくなってしまった。
もう片方の手は、シルディアの命を握っていると言わんばかりに、顎を掴み上を向かせている。
「君の名前は?」
「フロージェですわ」
「ふぅん。あくまでも妖精姫だと呼称するのか」
視界の端でギラギラと輝く赤い瞳に熱が籠った。
その熱に嫌な予感が脳裏を掠めたシルディアが抗議の声を上げる。
「な、なにをっ――」
無防備に晒された首元にオデルが口を寄せ、かぶりついた。
鋭い痛みにシルディアが顔を歪める。
「あぁ、やっぱり、君の白い肌には真っ赤な血がよく似合う」
恍惚な声を聞きながら、シルディアはどうしてこうなったのか現実逃避をするため、意識を手放した。
◇◆◇
一週間前。
品のいい調度品が飾られた応接間。
普段シルディアが国王夫妻と面会するために通されるそこには、家族が勢揃いしていた。
いつもの口の堅い侍女に運ばれてきた紅茶に手を付け、シルディアは様子を窺う。
ローテーブルに並べられたティーカップが四つ。
そのうちの一つはシルディアが手に持っているため、正確には三つのティーカップがテーブルに並んでいた。
テーブルを挟んだソファーに座るのは、シルディアの両親である国王夫妻。
二人の間に座るのは、シルディアの双子の妹――フロージェ・アルムヘイヤ――だ。
彼女はシルディアと全く同じ顔をしているが、努めて無表情を繕っている。
鏡を前にしたような瓜二つの容姿をしている彼女は、薄い空色の瞳に困惑を宿していた。
シルディアと同じ白髪には小さな妖精達がくっついている。
妖精達は彼女を気遣ってかその極小の手で頭を撫でていた。励ましているつもりなのだろう。
これこそ彼女が妖精姫である
フロージェが悲しめば妖精も悲しむ。フロージェが喜べば妖精も喜ぶ。
フロージェが望めば、嫌いな人間、国、世界、全てが妖精によって滅ぼされるだろう。
そのため、彼女は丁重に扱われる。
妖精に愛され、祝福される存在。それが妖精の愛し子だ。
(好き嫌いも口にできないなんて、わたしには耐えられないわ。妖精も昔はここまで過保護ではなかったのに……)
妖精がべったりくっついている姿を一目見れば、やましい気持ちよりも妖精からの報復が怖くてフロージェを害そうとは思わないだろう。
ただ、妖精が見えない人間は一定数存在する。見えなければ妖精などおとぎ話でしかない。
そのため報復されるとは微塵も思わず、彼女に手を出そうとする人間もいる。
(フロージェ。あなたはもっと天真爛漫だったはずなのに、変わってしまった。……いいえ。変わったのはあなただけじゃない。私もね)
フロージェの影武者として生きてきたシルディアは、彼女の分身だ。入れ替わった前後でも気付かれないよう彼女自身になる。
自身の感情を押し殺し影武者として当然のことをして生きてきた。
私は傷ついていません。と澄ました顔を崩さず、心が揺れ動いていないと錯覚させる顔も。
食欲があまりなく健康的だとはいいがたい腰の細さも。
優美な指先の繊細さも。
小さな足先まで一寸の狂いもなく、再現している。
あまり好きではない野菜も、彼女が好きだというのならば笑顔で食す。
趣味ではないふわふわヒラヒラのドレスも、彼女の趣味だと思えば苦にもならない。
彼女名前でしか呼ばれなくとも構わない。
その行動で、たとえ自分の個性が無くなったとしても悔いは残らないのだから。
(でもまさか求婚されるとは思わなかったわ)
この場にいる誰もがそう思っているだろう。
だが、心の奥底では今回の求婚に驚き、戸惑い、自分勝手な行動をした皇王に憤慨しているはずだというのに、誰にも心情を悟らせない。
この振る舞いこそ王者の風格だと、誰かが言っていた。
(無責任な話よね。所詮は貴族。王族にはなり得ない人々の戯言よ)
シルディアはティーカップをソーサラーに置き、フロージェに視線を向ける。
すると彼女もシルディアを見ていたようで、目が合った。
国王夫妻の目が二人を向いていないことを確認し、やれやれと言わんばかりに笑って見せれば、フロージェは吹き出しそうになった口元を手で抑えた。
(私の意思は関係ない。この婚姻、結ぶか結ばないかは、フロージェ次第よ)
「此度の求婚事件について、求婚されるような心当たりはないのだな?」
「もちろんです」
「皇国に嫁ぎたいか?」
「……いいえ。そのつもりはありません」
フロージェは一瞬、返答に迷ったがはっきりと否と口にした。
これで方針は決まった。
この国で、彼女の言葉は絶対なのだから。
「はー。そうか。わかった。どうにか断ろう」
そう言った国王は安堵の息を吐く。
それもそのはずで、今夜の夜会で唐突に行われた求婚は
国王にのしかかる心労は計り知れない。
なにせ丹精込めて育ててきた愛娘を、どこの馬の骨と知れない男にかすめ取られそうになってるのだから安堵もするだろう。
(まぁ溺愛する愛娘に求婚した相手が、あの皇王だものね。王族といえど断り切れない相手だと理解していれば、こうもなるか)
目に見えて狼狽する国王を冷ややかに眺め、シルディアは王妃へと目を向けた。
王妃は静観を決めているのか、紅茶を優雅に飲んでいるだけだ。
老いてもなお衰えない美しさには気品が感じられる。それは当たり前の話で、シルディア達と同じ白髪を持つ王妃は他国の王女だったのだから。
双子姉妹の母でもあり、生まれ落ちた瞬間に死が確定していたシルディアを生かした張本人でもある。
「ですが陛下。皇国からの申し出、受けなければどのような報復があるか……」
王妃の心配はもっともだ。
この国と皇国ははるか昔から仲が悪く、事あるごとに戦争をしてきたという歴史がある。
現皇王も冷酷無慈悲で残虐だと囁かれている男だ。
無理難題だと理解した上で求婚してきた可能性もある。
断れば即開戦という未来も容易く想像できるほど、かの皇王は策略家としても有名だ。
「だからといって妖精姫であるフロージェを差し出すのは……我が国の損失が大きすぎる」
「じゃあどうするというのです? 断れば戦争になるやもしれませんよ。それとも陛下には、この窮地を打開する策があるとでもいうのですか?」
淡々と事実を述べる王妃は正しい。
「だが、フロージェが嫁がないと言っている以上、断るしかあるまい。もし無理やり嫁がせたりしてみろ。妖精たちが黙ってはいない!」
「そうやってフロージェばかり贔屓して……」
「何を言うか! 禁忌の存在である双子を生かしてやったんだ。感謝される云われはあれど、憎まれる云われはないな」
喧嘩を始めそうな国王夫妻に静止をかける。
「お母様もお父様も、落ち着いてください」
「王妃も陛下も落ち着いてください」
シルディアとフロージェの声が重なる。
二人の声にはっと我に返った国王が、シルディアの顔を見て、いいことを思いついたと言わんばかりに声を上げた。
「求婚をされたのは影武者なのだから、お前が皇国に嫁げばよかろう」
「……ご命令とあらば」
切羽詰まった目を向けられたシルディアはそう答える他なかった。
なにせ、自身の命はフロージェのためにあるのだから。
「影武者姫としての最後の仕事だ。フロージェとして皇国に嫁げ。絶対にバレるようなヘマはするなよ」
「御意」
こうして皇国に嫁ぐことになったシルディアは、手持ちカバン一つに収まってしまう私物を持ち皇国へと旅立ったのだ。
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