第三話「影ノ神子」

 場所は移り、鬼族の郷。

 鬼神子シュラとその侍従玉梓の出奔が判明して間も無く、鬼神の屋敷内はてんやわんやの大騒ぎであった。

 

「ユラ、ユラはおるか!!!」

 

 鬼神の住まう屋敷、その最奥の暗い廊下に乱雑な足音がばらまかれる。

 

「ユラァ!!!おるのなら返事をせんか!!!」

 

「──────こちらに御座います。大旦那様。」

 

 しんとした声がぴしゃりと落ち、床を這う。

 鬼神が近くの日除けの蛇腹暖簾を乱雑に剥ぎ取ると日が差し込み、銀に乱反射する。

 鬼神の住まう御殿にしては不釣り合いに荒れ果てたそこには美しい白銀の髪を纏った女が瞑目し座していた。

 

「居るのであれば早く返事をせぬか愚物が」

 

「大旦那様に置かれましては些かご機嫌よろしいようで、何よりでございます……」

 

「貴様の目は節穴か。我が娘シュラが出郷しおった。追え。」


 ユラと呼ばれたその女は尊大なその物言いにほんの僅か眉をひそめ、居住まいを正した。

 

「─────何れはするかと思うておりましたが……斯様に早いとは、存外にございましたね。手厳しくなさりすぎたのでは?」

 

「無駄口を叩くな、ユラ。貴様に命じたのは追え、それだけだ。」

 

「───────御意に、致しまする。」


「貴様の追走には信を置いておる。良き知らせを期待しておる。」

 

 ヅカヅカと足音が遠のいていく。

 

「あ、大旦那、日除けの修理を…………行ってしまわれました。」


 差し込む陽射しに鬱屈げに眉をひそめ、ユラは手元の糸玉に目を落とした。

 

「──────シュラ、どうせ出郷するのなら、私を連れ立てばもう少し逃げ果せたというのに。」

 

 指で絡ませた糸はやがて1つの図形をあらわした。

 山間の入江にもよく似たそれをユラは睥睨し、地図を開く。

 

「……継野山つぐのやまではない、三山ほど離れた……そうね、端砂山たんざやまの中腹の入江でしょうね……」

 

 ここから、ほんの5山程か。

 と呟き、ユラは身なりを整えた。

 

「久しく外には出ていないもの、少しでも整えて参りましょうか。、」


 身嗜みを整える為に姿見を持ち出すと、再び、今度は淑やかな足音が近付いてきた。

 

「ユラ。」

 

「お母様。」

 

 沙羅の着物を瀟洒に着こなした女は破壊された日除けに目をやると疎ましげに手にした扇で口元を隠した。

 

「あの筋肉馬鹿。また壊して行ったのですか……」

 

「はい、開け方が相変わらず分からなかったご様子で。」

 

「はぁ……相も変わらず。何度教えても無駄と分かってはいても、こう何度も壊されると頭が痛い……」


「それよりお母様、拙に御用でございましたか?」

 

 そう問えば女がはたと手を打った。

 

「そうだったわ。シュラを追って出るのでしょう?貴女用に仕立てていた物を荷造りして外に置いてあるわ。」

 

「ありがたく使わせて頂きます。お母様。」

 

「シュラと違って貴女は繊細だから、私としてはとても心配なのだけれど……連れ戻さなければあの馬鹿が延々機嫌が悪いままでしょう。大役を担わせてしまうけれど、どうか無事でね。」


「はい、お母様。命に変えてでも連れ帰ります。」

 

「いや、シュラが死にそうな所なんて思い浮かばないわ。死にそうになったら程々で帰ってらっしゃい。そのような所で屍を晒すのならば、どうせその程度。弱肉強食のこの郷では生き残れるわけも無い。」


 そう言い切ると口元を隠していた扇子をぴしゃりと鳴らした。


「貴女は無事で帰り、そしてこの郷を影から支えなさい。」


 では、しっかりね。

 とだけ言いおいて女は去っていく。その背中を暫く眺め、一時目を閉じ、ユラは音もなく外へと歩き出した。

 郷から逃げ出した己の半身をどう言いくるめて郷に連れ戻すかと手の中の糸を絡ませながら。

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