義兄を追って

 ラウルを傷つけた事にショックを受けたアトゥームは塔から逃げ出した。


 身の回りの品を持って魔界の戦馬スノウウィンドに跨り夜通し駆けた。


 永遠の都に行けば自分の病気は癒される。


 それだけを信じて。


 西の果てに有ると言われる永遠の都タネローン。


 如何なる者も安らぎを見出すと言われる安息の地イェスファリア最大の都市。


 ――統合失調症を治すまで弟には会えない。


 そう決意した死神の騎士はデスブリンガーの能力の一つ、魔法追跡を妨害する力を働かせた。


 このまま会えば義弟をまた傷つける。


 そう誤解した果ての行動だ。


 そんな事を義弟が望んだりしないという事は頭から抜け落ちていた。


 病に侵されたアトゥームはそこまで追い詰められていた。


 *   *   *


 旅の用意を整えたラウルは、追跡の呪文を使って義兄アトゥームを追いかける。


 義兄の霊的痕跡は以前と違い、点々としか追えない。


 アトゥームが統合失調症を発症した為か、それともデスブリンガーの力か、これまで義兄を追って来た時より遥かに追跡が難かしくなった。


 混乱した義兄が西以外の方向に向かう事も考えられる。


 智恵と戦いの女神ラエレナからの援助は確実とは言えなかった。


 義兄が戻ってくる可能性すらある。


 ラウルは塔の扉が空けられたら自分に伝わる様な魔法を掛けておいた。


 皇都ネクラナルを避けて永遠の都を目指すなら南回りが一番早い。


 途中まで西に進みネクラナルの南をかすめて行く街道がそれだ。


 翌朝まで体力を回復させたラウルは西に進むことにした。


 次の村で義兄が休んでいれば情報を得られる筈だ。


 騾馬を馬に買い替えて雪道を進む。


 昼過ぎに次の村に着いた。


 村に有る酒場で義兄の姿を見たとの情報を得たラウルはまずは一安心した。


 黒い鎧に青鹿毛の戦馬を連れていたと酒場の主人は言った。


 義兄アトゥームで間違いなかった。


 温かいスープで身を温めたラウルはさらに西に進む――その途中で生涯にわたる出会いがあったのだった。


 *   *   *


 ラウルは乗合馬車に乗って、馬は馬車の後ろに繋いでもらい、身を休めながら次の目的地を目指していた。


 十人以上が乗れる馬車はラウルを含め八人が乗車していた。


 行商人と思われる家族連れの三人、高そうなコートとドレスに身を包んだ貴族と思しい姉妹――頭巾を被っている、それと傭兵らしき二人――次の村で降りるのはラウルだけだった。


 ラウルは姉妹の二人が人間では無い事に気付いた――目や身体つきが人間とは少し異なる。


 馬車が走り出して少し経つ頃、傭兵が姉妹にからみ始めた。


 御者は見て見ぬ振りだった。


 姉妹は怯えるでもなく、ただ微笑んでいる。


「何笑ってんだ! このアマ」傭兵の一人が姉の手を掴んだ、そのまま引き摺り倒そうとする。


 ラウルは溜め息をついた。


「そこまでにしておくんだね」魔法使いだと分かれば退くだろう。


「大丈夫ですよ。親切な魔法使いさん」手を掴まれた姉がラウルにウィンクした。


「何が――」そう言った傭兵が地面――正確には馬車の床に叩き付けられた。


「お義母さまの手を煩わせる事も無いわ――」妹の口から細い炎が噴き出した。


 魔法だ――もう一人の傭兵は慌てて剣を抜こうとした――その顔の前で炎の球が弾ける。


「熱っ――」顔を押さえた傭兵は転げ回る。


「あんたたち――何をしてるんだ!」御者が馬を止めて客室に入ってくる。


 御者は姉妹を睨み付けた――傭兵たちを咎める様子は無い。


「悪いのは男の方ですよ」ラウルの言葉を御者は苦々しげに聞いた。


「あんた、魔法使いか?」


「一応」


「馬車の中は都市と同じ法が適用される――許可なく魔法を使った罪であんたたちを憲兵に引き渡す。次の街まで拘束させてもらうぞ」話しているうちに権力が味方に付いていると思ったのか、段々顔に傲岸さが宿っていく。


 記憶喪失の魔法でも唱えようか――ラウルは増えた厄介事に心の中でさらに溜め息をついた。


「おい――」ラウルたちを見ていた御者と傭兵たちも姉妹が人間では無い事に気が付いた。


 姉の頭巾に手をかける――姉は抵抗しなかった。


「エルフだぞ、こいつら――」長い耳が覗く――姉は貴族らしくもなく、肩口で切り揃えたプラチナブロンドの髪だった。


「こいつもだ」妹の頭巾を剥がすように取った傭兵が喚いた。


「エルフなら、人間の法で庇護される謂れは無いよなぁ」


「貴方たちだって私に庇護される謂れは無いわよ」妹が言った台詞の意味を三人が理解する事は無かった。


「後悔するのね――お義母さまに狼藉を働いて、生きてるだけでも幸せなのよ」


 妹は指を鳴らした。


 途端に三人の視線が定まらなくなった――自我を破壊されたのだ。


 家族連れは事の成り行きを見守るだけで精一杯だ。


「降りましょう」姉がラウルと妹の手を取り、馬車の後ろに軽々と飛び降りる。


 雪が舞った。


「荷物は――」


「心配いらないわ」妹が何事かを呟く――馬車の中からラウルの荷物と姉妹の荷物が宙を舞って目の前に落ちた。


 姉は馬車を引く馬に前進するよう鞭を当てると、ラウルの馬を繋いだ縄を切った。


「助けてくれてありがとう――お義母さまに代わってお礼を言うわ」妹が言った――この時ラウルは妹に短い角が生えている事に気が付いた。


「私はシェイラ、スカラ=ブラエの生ける伝説、ホークウィンド卿の義娘よ」


「ボクはホークウィンド。エセルナート王国の命を受けてグランサール皇国の内情を調べに来た忍者」


「僕はラウル。ラウル=ヴェルナー=ワレンブルグ=クラウゼヴィッツ。行方知れずの義兄アトゥーム=オレステスを探している」ラウルは簡潔に答えた。


 ホークウィンドはラウルよりずっと背が高かった。


 180センチは有るだろう――十五のラウルが165センチだ。


 シェイラは波打つ黄金の長い髪に黒い瞳をしていた、髪の間から黒い角がみえる。


 ラウルも見事な金髪に大青色の瞳。


 ホークウィンドはエメラルドグリーンの瞳だった。


「自我を破壊するのはやりすぎなんじゃない。シェイラさん」


「心配いらないわ、じきに元に戻るわよ。十日後か十年後かは分からないけど」


「シェイラさんはエルフではないね――途轍もなく強い気を感じるけど、もしかしたらドラゴン族かい?」


「よく分かるわね――そう、私は黄金龍ゴールドドラゴンよ」


「黄金龍を連れたエルフの女忍者――邪悪な魔術師ワードナを討伐したあの不老不死ハイエルフのホークウィンド卿!」伝説の冒険者が目の前にいるという事実にようやく気付いてラウルは驚く。


「ボクはこっちでも有名人なのかい」ホークウィンドがやれやれといった表情でラウルを見る。


「皇国がエルフを迫害しているという告発が有って、それを確かめに来たのよ――皇国だけじゃなく帝国の内情も調査の対象だけどね」シェイラがホークウィンドの腕に抱きついた。


「もう少し様子を見ないといけないけど、どうも迫害は本当っぽいね。皇国は元から反エルフ感情が強い国だし」


「帝国の内情も探っていると言ったけど」


「帝国は二十年前に皇国に侵攻した前科があるからね。女帝マルグレートが未だ皇国征服の野心を持っているかも知れない――皇国の悪い噂だけを元に判断できないから」ラウルの問いにホークウィンドは真剣な眼差しになった。


「皇国も帝国も五十年前がトラウマになっているしね」


 ――半世紀前、狂王トレボー率いるエセルナート王国が西方世界の大半を征服した。


 その際、相争っていた皇国と帝国はまとめて併吞されたのだ。


 王国の支配は狂王の戦死を以って中断された。


 後を襲ったアナスタシア王女は占領地の大半を手放した。


 最古の帝国リルガミンと争う前の領土――大国と呼べる大きさだった――で国をまとめる事にした王女は解放の代わりに王国は賠償責任を負わないという案を提示し、大半の国はそれを受け入れた。


「皇国は戦争を起こす気だね。今の所表立ってないけど」


 皇国の現戦皇エレオナアルもかつての狂王に触発されて戦の準備を進めていた。


 戦争が始まれば自分も義兄も巻き込まれるだろう。


「僕は義兄さんを戦いの場から離したい。出来るだけ早く見つけて保護しないと」


 シェイラはそれを聞いて何かを唱えた――予知の魔法だとラウルが気付くまで少しかかった。


「追いたかったら追っても良いけど、無駄に終わるわよ。貴方の義兄はタネローンで神託を受ける。それは彼の為になる事よ。今のところ貴方に出来る事は殆ど無いわ。タネローンで何が起こるのか見せてあげても良いけど」冷酷な言い方ではないが、直截だった。


「お願いするよ――見ないと納得できないと思う」


 シェイラの左手がラウルの額にかざされる。


 ラウルの脳裏に自分が義兄に追い付けずにイェスファリアの手前で引き返す映像が映った。


 義兄は急性期の症状を呈しながらもそこで受けた神託で故郷に戻り、エレオナアルたちを止めるべく傭兵として戦い、その最中で北に向かって旅立ち病を抑える事に成功する、ざっとだが義兄が辿る道が見えた――自分以外にも義兄の病気を理解してくれる者が居る。


 その事がラウルを落ち着かせた。


 自分は一人で義兄を支えなければいけないと思っていた――それは義兄が陥っているのと同じ視野狭窄だった。


「僕は――どうすれば」


「自分が良いと思う事をするしかないわ――貴方も気付いているはずよ」


「ボクらもどうすれば良いか迷ってるよ――皇国と帝国両方を探れる拠点が無いかって」ホークウィンドは笑う。


「それなら僕の故郷に来るかい? シェイラさんは既に知ってるんでしょ?」


「そうさせてもらえれば確かに便利ね」シェイラはホークウィンドを見る。


「決まりだね」


 ――こうしてラウルは運命の出会いを果たしたのだった。

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