初恋

 エルフの里に来て一週間が経った。


 その間にあった事と言えば、エルフの老女占い師が人間を村に入れたのは間違いだと騒いだ事とアトゥームたちが皇国に謀られたという噂だった。


 エルフィリスは最初のつっけんどんな様子から少しも変わらない。


 アトゥームは水際だった美形だった事も有り、四六時中エルフの女性たちにまとわりつかれていた。


 その輪の外から苛ただし気な視線を投げて来る。


 アトゥームには何が何だか分からない。


「俺が何かしたのか」エルフィリスと二人きりになった時、アトゥームは直接尋ねてみた。


 エルフィリスは泣きそうな顔でアトゥームを睨んだ。


「待て」アトゥームの制止を無視してエルフィリスは姿を消した。


 透明化の魔法だろう、魔術師に育てられたアトゥームにはそれが分かった。


 エルフィリスは占い師の老婆に師事しているらしい――自分に辛く当たるのはそのせいかとアトゥームは思った。


 溜め息をつくと仲間の所に戻る。


 外の状況は一変していた。


 皇国が裏切った――それが間違いない事だと分かったのだ。


 皇国はミシェルと傭兵団を切り離して、自分たちの傘下に加わる様残った者に硬軟織り交ぜた圧力を掛けた。


 最強の軍団を我が物にする――最初からそうするつもりだったのだ。


 エルフの長は傭兵隊長ミシェルに当分ここに残る様勧めた。


 一方ミシェルは一刻でも早く戻りたがった。


 罠だと分かっていても自分の育て上げた傭兵団を横からかっさらわれるのは我慢ならない事だった。


 その晩、月夜――アトゥームは聞こえてくるエルフィリスの歌に耳を傾けていた。


 魔法や神学について話す時は彼女は嘘の様に態度が柔らかい。


 何故普通に接することが出来ないのか――アトゥームはカッツに訊いてみた。


「坊やは嬢ちゃんとどうなりたいんだ?」


 そう言われてアトゥームは彼女への想いを自覚した。


 顔に赤みが差す。


「心配いらんよ、嬢ちゃんはお前の事が嫌いなわけじゃない」


「団がこんな時に――俺は傭兵として失格だ」


「確かに大変な時だ。だがお前は傭兵である前に一人の人間だ。感情を捨てるのは良くない事だぞ、坊や。人間は何処まで行っても人間だ。人間以外の何かになるのはその強さを捨てる事だ」カッツは酒杯をあおった。


「分かったよ」アトゥームは勧められた酒は丁重に断った。


「坊やは飲めないんだったな」気を悪くした風も無くカッツは言った。


「まあ、坊やが良いならここに残るというのも有りだろう。戦わずに済むなら人間その方が良い」


「傭兵は俺にとって腰掛けじゃない――見くびらないでくれ」アトゥームはカッツを睨む「それに俺もいつまでも坊やじゃないぞ」


 カッツは破顔した。


「俺が死ぬまでお前さんは永遠に坊やだよ。年齢の差は一生縮まらないんだ。俺の一番上の子はもう十九だ」


「それでも――」アトゥームは言い掛けて村外れの方で爆発音が響いたのを聞いた。


 距離から考えれば、かなりの大きさだろう。


「カッツ――」アトゥームはカッツに視線を投げる。


 カッツも頷いた。


「敵襲だ――坊やは急いで武器を取ってこい」カッツは隣に置いて有った戦斧をひっつかむと仲間――既に集まりつつあった――と合流する。


 エルフの戦士たちも神木の前に勢ぞろいする。


 エルフィリスが見当たらない――走りながらアトゥームは焦った。


〝デスブリンガー〟を返してもらわないと――その時戦士たちが集まっていた所に魔法が撃ち込まれた。


 爆裂魔法だ――神木が大きくその幹を揺らすのが見えた。


 ガルディンでさえ使えなかった魔法だ――敵には恐ろしく腕の立つ魔術師がいるのだ。


 アトゥームはデスブリンガーを諦め、身に付けた短剣グラディウスで戦う事にした。


 敵がここまで迫っているのに悠長に愛剣を探す暇はない。


 長さ50センチほどの短剣を抜き、左手に長さ15センチほどの短刀ダガーを構えて神木に駆け戻ろうとする。


 あちこちで火の手が上がった。


 敵はこちらを皆殺しにする気だ。


 幼い頃見た光景が重ね合わされた。


 皇国の鎧を着た人間族の兵が居た――皇国がこの結界に包まれた集落を襲撃できた? 信じられない事だった。


 背後から殺気を感じた。


 アトゥームは身体を回転させて殺気へ向かい合った。


 胸甲ブレストプレートに兜、皇国の紋の入った陣羽織タバード、両手で戦槌ウォーハンマーを持った大柄な男だ。


 アトゥームは時間を与えずに飛び込むべきだった――一瞬相手をうかがい、睨み合う格好になってしまった。


 皇国兵は咆哮すると頭を狙って斜めに戦槌を振り下ろす。


 アトゥームは交差させた短剣と短刀でそれを受け止めようとした。


 止まらなかった――交差させた剣はまとめてへし折られた。


 魔法の戦槌か――薄れゆく意識の中で自分の判断の甘さを呪った。


 頭蓋は砕けなかった――しかし脳震盪をおこしたアトゥームは気絶した。


 剣が衝撃を減衰していなければ、アトゥームの脳漿はぶちまけられていたろう。


 アトゥームが死んだと勘違いした皇国兵は次の獲物を探しに立ち去った。


 時間の感覚すらない暗闇の中を漂っていたアトゥームの意識は〝起きなさい〟と呼ぶ声で覚醒の方向へと向かった。


 哀し気な歌が聞こえた。


 視界が明けてくる。


 最初に目に入ったのはデスブリンガーを抱えた傷だらけのエルフィリスの姿だった。


「エルフィリス! 」歌を歌っていたのは彼女だった。


「早く傷を」エルフィリスはかぶりを振った。


 歌うのを止めない――アトゥームの脳内に彼女の言葉が聞こえてきた。


〝これを隠せば貴方はここに留まってくれると思った〟


 エルフィリスの口から血が滴った、顔にかかったそれをアトゥームは拭う事もしなかった。


〝さようなら〟力の抜けた彼女の身体が覆いかぶさってくる。


 アトゥームは動けなかった。


 頭は割れる様に痛く、手足は痺れ、そうでなくとも彼女を放って何処かに行く事も出来なかった。


 よく見ると緑色に光る小さな結界が自分と彼女を覆っている。


 結界に触れてみる――木材を触ったかのように暖かいが、外に出る事は不可能と思えた。


 アトゥームは、今この一瞬だけは、彼女のものであろうとした。


 エルフィリスの歌が段々かすれて小さくなっていく。


 アトゥームにはその歌を止める事は出来なかった。


 歌が途切れ途切れになり、そして完全な沈黙が結界を覆った。


 エルフィリスは微笑んでいた。


 どうしてこんなに穏やかな顔でいられるのだろう、アトゥームはそう思った。


 結界が砕け散った。


 煌めく無数の光の粒子が降り注ぐ。 


 辺りは夜明けを迎えようとしていた。


 アトゥームは辺りを見回す、襲撃者たちは立ち去っていた。


 ――エルフの里は奇襲を受け、壊滅した。


 アトゥームはエルフィリスを抱きかかえるとデスブリンガーを引きずって歩き出す。

 隠れていた女子供や生き残った戦士たちが神木の前に集まっていた。


 人間は全滅したのか――そう思った時、見覚えのある姿を見つけた――カッツだ。


「無事だったか――とはいかない様だな、坊や」安堵と同情をないまぜにした顔でカッツは言った。


 エルフの村長むらおさは戦死していた。


 臨時の指導者として使者代表だったエルフが指揮を執っていた。


「姫様! 」老婆が駆け寄ってくる。


「儂の言うた通りじゃったろう――この人間共が皇国軍を呼び寄せたのじゃ!」


 老婆はアトゥームを杖で差した。


「婆様、彼らは悪意があったわけでは――」長代理のエルフがなだめる。


「こ奴らがこなければ姫様も村長も死なずに済んだ――」


 生き残ったエルフたちは三十名程だった。


 アトゥームたちにとって幸いにも老婆の言葉はエルフたちには響かなかった。


「蘇生魔法は――」アトゥームが長代理に尋ねる。


「使える女司祭が死んでしまった――姫様を蘇らせるのは不可能だろう。気にするな。君のせいではない。最期に君に逢えて姫様は幸せだ」


 アトゥームはエルフィリスを地面に下ろした。


「弔ってやらないと」


「二度目の襲撃があるかもしれない。あまり時間は掛けられない。形見を持ったら遺体は神木の元に埋めて別の居留地に移らねば」


 生き残った精霊使役師エレメンタリスト土精霊アースエレメンタルを呼び出すと遺体を同じく土精霊が掘った穴へと運んでいく。


 その間中、全知全能女神リェサニエルの女助祭が鎮魂歌を歌う。


 生き残ったエルフたちが唱和する。


 半刻ほどで仕事は完了した。


 神木は燃えたが、エルフの魔法で新芽が生やされた。


「これを持っていくが良い」長代理はアトゥームに長弓と矢筒を渡した。


「姫様の形見だ――姫様は我が一族の中でも一番の弓の使い手だった」


「スタニスウラス殿。貴方にはこれを。収納魔法の掛かった腕輪です。貴方の部下達とミシェル殿の形見を入れるのに役立つ」長代理はカッツに繊細な装飾の施された白金の腕輪を渡す。


 アトゥームたちを除く使者八人の内、形見を回収できたのは四人に過ぎなかった。


 後は遺体すら見つからなかった。


 結界は内側から消されていた――内部に裏切り者が居たという事だ。


 騎乗したアトゥームたちは村外れでエルフたちに別れを告げるとグラティサントに向けて出発した。


 森の外れに裏切らなかった仲間がいる――ミシェルからそう聞かされていた。


 ――しかし、アトゥームには更なる試練が待っていたのだった。

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