それぞれの道

 アトゥームが軍師ウォーマスターガルディンの元に引き取られて触れ合う人間が増えた。


 義理の弟となったラウルやガルディンだけでなく、ガルディンの知己であった傭兵隊長や帝国皇国双方の騎士や魔法使い、その弟子などが訪ねてくるようになった。


 ガルディンは村外れに塔を建て――その作り方を見てアトゥームは度肝を抜かれた――魔法使いの言葉に応じて土が盛り上がるとそのまま石と化して、ほんの数十分で塔の殆どが出来上がったのだ。


 そんなに大きくないとはいえ、建材を積んで建てるものだと思っていたアトゥームは目から鱗が落ちる思いだった。


 自分もこんな事が出来る様になれば――そんな思いだった。


 アトゥームとラウルはガルディンから魔術や他の座学、騎士達から剣術や格闘術を学んだ。


 ラウルは村に来た時から既に初級の魔法を幾つか使えたが、村にきてガルディンすら驚く速さで魔法を含む様々な知識をあっという間に習得していった。


 一方アトゥームは知識は身に付けたが魔法だけ使うことが出来なかった。


 必死に努力したが、駄目だった。


 魔力が無い訳ではなかった。


 むしろ常人よりも多い魔力を持っていた――魔術の理論も理解している。


 訝しんだガルディンは皇国との約束を破り、自ら奉ずる知恵と戦いの女神、処女の守護神でもあるラエレナに神託を求めた。


 答えはアトゥームにとって残酷なものだった。


「我がしもべ、ガルディン。貴方の義理の息子には、魔法耐性の魔力が宿っています」


 魔法耐性――普通の魔力と反発する魔力、それを持つ者は外から掛けられる魔法に抵抗力を持つ代わりに、自身は一切の魔法が使えないというものだ。


 アトゥームはガルディンと共にその言葉を聞いた。


「そうなんだね」暫く沈黙していたアトゥームは息をつくと乾いた笑いを浮かべた。


「仕方ないよ。兄様。気に病まないで」ラウルが慰めた。


 アトゥームには怒る気力もなかった。


 この時アトゥーム九歳、ラウルは六歳だった。


「魔法だけが学問じゃない、剣も覚えなければいけないし」アトゥームは自分に言い聞かせたが、長年の夢が叶わない事と、親の期待に沿えない事は辛かった。


 アトゥームは武術には天才的な才能を持っていた。


 魔法が駄目になった分、アトゥームは他の知識や武術の習得に一層力を入れた。


 ガルディンは持てる知識の全てを実孫と養子に叩き込んだ。


 そしてそれは敵と戦う時に大きな武器となったのだった。


 神託が下ったその日の夕食を食べた後、寝室に向かおうとしたアトゥームとラウルはガルディンに呼び止められた。


 物置として使っている部屋に案内される。


「アトゥーム、残念がる事は無い。代りと言っては何だが、お前にはこれを渡そう」魔法耐性が有っても魔法の武器や品物を使う事は出来る、ガルディンはそう言って皇帝より下賜された魔剣、デスブリンガーと呼ばれる両手剣を見せた。


 アトゥームは目を輝かせた――剣は途轍もない業物だった。


「帝国の国宝だった魔剣だ。だが歴代の皇帝は誰もこの剣を操れず結局儂の元に来た。少なくともお前が帝国の庇護下にある事を示してくれる。使えずともお前を護ってくれる筈だ」デスブリンガーの由来、死神の騎士の剣の伝説は失われ、ガルディンですらこの剣が死の王ウールムによって造られた事を知らなかった。


 これこそ運命だった。


 大人の身長よりも長いその剣は、しかしアトゥームの手に収まって軽々と振り回された。


「この剣には重さが無いの? ガルディン爺? 」剣を操りながらアトゥームが不思議そうに尋ねる。


 ガルディンは唖然としていた、帝国でこの剣を振るうことが出来た者はいないのだ。


「剣がお前を選んだのか、魔法耐性が何らかの形で作用したのか」呟くように言ったガルディンはしかし今それを考える必要は無いと直感した。


 考える前に言葉が出た。


「上級魔術師相手でも互角以上の戦いが出来るだろう。もっとも戦うのは最後の手段だぞ。いつも言っているとは思うが。その剣がお前ならず多くの者を救う時が必ず来る」


「はい」アトゥームは苦労して剣を鞘に納めるとガルディンに再び尋ねる。


「この剣を持ってても良い? 爺」


「好きにしなさい」剣に魅了されたのだ、駄目だと言っても聞き入れないだろう。


 ガルディンは運命の車輪が回り出したのを知った。


 魔法が使えず、この剣に巡り合う事を宿命づけられた少年――しかし、運命は老魔術師が思った以上に狡猾で、壮大だった。


 この世界の行く末を賭けるほどの戦いがアトゥームには待っていたのだ。


 ラウルが目を閉じて祈る――ラエレナ女神と彼女たち神々を造った全知全能神の両方に祈る時のやり方だ。


 ガルディンとラウルは妖精エルフ族とも付き合いが深く、彼らの祖先神と自然を神格化した神々、そして全てを創造した唯一女神を奉ずる信仰に傾倒していた。


 全てと一体であり、全てを救う唯一の神。


 当然、建国帝を第一神と崇める帝国ではガルディンは浮いた。


 帝国と皇国の間には休戦協定が結ばれ、ラウル以外の家族は他界したガルディンは野に下り、オラドゥール村に辿り着いた。


 自分の知識を出来るだけ多くの人に教えたいと思っていたガルディンだったが、残念ながらそれは叶わなかった。


 村で魔法を教える事は皇国の神官が許さなかった。


 神官は出来るだけガルディンたちの居心地が悪くなる様画策していた。


 結果として、ガルディンの知識と知恵はアトゥームとラウルが独占する事になった。 


 十年弱の間、少年たちは遊びの時以外はその智恵と知識に浸って生きた。


 アトゥームが十五、ラウルが十二になった時、ガルディンは眠る様に亡くなった。


 数少ないガルディンの叶った望みが村の共同墓地に葬られる事だった。


 簡素な葬式が執り行われ、大半の村人が参列した。


 義弟の才能を知っていたアトゥームは躊躇なく大学に進むよう言った。


 以前にも何度かそれとなく言っていたとはいえ、ラウルは自分一人が得をするような話を渋った。


 ガルディンの塔の前でアトゥームは最後の説得をした。


「でも義兄さんは――」ラウルは案じた。


「俺はミシェルさんの傭兵隊で世話になる。偵察兵スカウトとして雇って貰える様話はしてあるんだ。爺さんの遺産で学費もその間の生活費も足りるだろう。それに偵察兵ならそんなに危険は無い」実際はそうでもなかったが、アトゥームは口にしなかった。


「遺産は半々にしないと――お爺さんの遺言にもあったじゃない」


「お前が預かっててくれ。渡すとは言ってないし、法律上は半分俺のものなんだろう」


「皇国に相続税も払わないといけないし」皇国は免税特権のある貴族を除く全ての民に八割の相続税を課していた。


両手剣ツヴァイハンダー〝デスブリンガー〟と鎧が有れば俺は良い。学費が足りないなら俺からお前に投資したとでも思ってくれればいいさ。お前の頭なら安息の地イェスファリアのシグエンサかタネローン、帝国有数の大学でも魔導専制君主国の魔法大学でも行ける筈だ。一年に一度、この日に、ここで会おう」


 冬の晴れた日だった。


 塔の前は太陽が照り付け、外套を纏っていると暑い位だ。


 冷たく張り詰めた空気に吹きつける風が心地よかった。


 積もった雪が太陽を白く反射して眩しい、輝く様な青空と相まって生きているという事を実感させる光景だ。


 アトゥームはまだデスブリンガーよりも背丈が低かった。


 腰からも背からも剣を吊るす事は出来ず、左手にデスブリンガーを持っていた。


 十七になる頃にやっと同じ身長になったのだが、この時アトゥームは自分の剣より背が低いままだったら格好がつかないと密かに心配していた。


 ラウルは何か言い掛けたが、言葉を飲み込んだ、代りにこんな言葉をアトゥームにかけた。


「もし、ここに来ないことが有ったら義兄さんに何かあったと思う事にする。その時は大学を辞めてでも義兄さんを探すけどいいね? 」


「肝に銘じておくよ」アトゥームはお茶らけた。


「覚えてるか? 三年前の夏の事」


 忘れる筈も無い――ラウルはその時の出来事を昨日の事の様に覚えていた。


 *   *   *


「死神の子――それに異教徒の孫、この村から――」まるで進歩が無い、アトゥームはそう思った。


 ばらばらと石が飛んで来る、アトゥームはデスブリンガーを抜くと飛んで来る石の内、ラウルと自分に当たる軌道のものだけを切り飛ばした。


 いじめっ子達は怯む。


 同時にラウルは近くにある池から魔法で水弾を飛ばした。


 勿論ダメージは与えない、しかし衝撃はかなりあった。


 まとめて倒れてびしょ濡れになった子供たちは泣きながら逃げていく。


「夏に水遊びとはさぞかし気持ちいいだろうな」アトゥームの野次る声に子供の一人が憎まれ口を返そうとした。


 途端に転ぶ、ラウルが土魔法で小さな起伏を作ってつまづかせたのだ。


 家に帰ったアトゥームたちはガルディンに散々叱られたのだが、ガルディンも二人のした事には理解を持っていた。


 陰に陽に陰険な目と言葉――時には肉体的な暴力まで向けられてきたのだ。


 多少やり返したくなるのも無理もない。


 神官が抗議にやって来た時にガルディンは二人を庇って一歩も引かなかった。


 その様子をアトゥームとラウルは盗み見ていた。


 一刻以上も神官の糾弾は続き、ガルディンはそれをことごとく論破し、精魂尽き果てた神官がふら付くように帰途につくのを見送った。


 二人の子供がドアにもたれかかるように寝ているのを見たガルディンは思わず苦笑した。


 これでは叱った意味は無いな、そう思いつつ二人を寝床に入れる。


 夜中に魔法で灯りが取れるとは言え基本的に陽が沈んだら三人も村人たちも寝る。


 その代り夜明けと同時に起きて仕事をこなす。


 ガルディンは日の出と共に起きた。


 今日の朝食はアトゥームとラウルが当番だ。


「起きなさい、二人共」ガルディンはいかめしい顔つきで二人を起こす。


 子供たちは目をこすりながらベッドから出た。


「活躍だったな。ラウル。アトゥーム」ガルディンは力強い腕で二人の頭をくしゃくしゃにした。


 三人は顔を見合わせると笑った――思えばこの時が一番幸せな時だったかもしれない。


 ――思い出から戻った二人はお互いの顔を見て当時の様に笑った。


 育ての親が無くなって意気消沈している筈のラウルもアトゥームも未来に思いを馳せていた。


 深く過去を振り返る程、歳を取ってはいない。


「一年後に」アトゥームはラウルを抱き締め別れを告げた。


 葬儀に来ていた傭兵隊長が神官の元から戻ってきたのを見てそちらに歩き出す。


「じゃあ義兄さん! 来年この日に、この塔の前で! 」去っていく義兄にラウルはあらん限りの大声を張り上げた。


 義兄の姿を見るのは最後かもしれない。


 風が粉雪を巻き上げ、陽光に煌めく。


 アトゥームは歩きながら振り向くとデスブリンガーを持った左手を上げて義弟に応えた。


 ――二人各々の運命の道、アトゥームは傭兵の、ラウルは軍師の道を歩き始めた、正にその瞬間だった。

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