天使みたいに綺麗だ
「それでは中部大会出場校を六位から発表していきます。六位、八田商業。五位、知多第一。四位、堤大山。三位、東山学園。二位、阿久比工業」
♧ ♧ ♧
宮市先輩の最後の台詞が会場を鷲掴みにしたようだった。緞帳がゆっくり降りると共に音響もフェイドアウトする。
俺とゆきちは音響席から立ち上がり、急いで撤収作業に加わるため、スタッフ用通路から幕の降りた舞台へと駆け込んだ。
ここで間違ってはいけない。まだ、本番は終了していない。搬入の時もそうだけれど、撤収も時間が決められており、過ぎてしまえば減点されてしまう。慎重かつ急がなければならない。
上演後は緞帳前にキャストが並び、質疑応答ができる幕間討論会というものがある。だいたい十五分程度時間が取られている。その間に撤収作業をやるという感じだ。
その内容は幕一枚越しなのに、ほとんど聞こえてはこない。なぜなら、その瞬間ここは工事現場と化す。
「笹井、布久澤、まず開帳場から運んでくれ!」
舞台監督の乃木先輩の声が騒がしさの中を突き抜けていく。乃木先輩もメインキャストだけれど、こっちが片付かなければ幕間には出ることができない。
「乃木先輩呼ばれてます。俺変わるんで出てください」
こういったイレギュラーもたまにはある。うれしい悲鳴だ。「じゃあ、あとは頼む。よろしくな」と頭を下げて表へと出て行った。
本当の司令塔のように、顔ひとつ分他の生徒よりもでかい昇流が、汗ばむ額を拭いながらこちらへと駆け寄ってきた。
汗ばむといえば、舞台はいくつもの光に照らされていて以外と暖かい。走ったり、ダンスしたり、キャストたちはこの暖かさの中、冬場の寒さを演じることもあるんだなと感心してしまう。
「ロカ男、何したらいい?」
「お前がぶた監の代わりじゃないの?」
「そりゃ、そうだけど。俺、裏方ほとんどやってないから、ロカ男よろしくな!」
少しムカつくようなキラリと光る笑顔を見せて、握手を交わした。
「じゃあ……、俺とゆきちは開帳場やってるし、他のみんなも別のことやってる。昇流は細かい釘とか、金具が落ちてないか徹底的に掃除して! 百彩ちゃん、ここはだいたい片付いたから、楽屋の整理お願いしていい?」
「うん」
「よしっ、いくぞ!」
スタッフとは別にこちらでも時間を計っていた。スマホを取り出し、周りを確認する。まっさらだ。
「オッケーです!」
ストップウォッチを止めた。十四分五十六秒、かなりギリギリだった。でも、搬入と合わせて時間を考えれば、確実に時間内には終わっている。ここでの減点は避けられそうだ。一安心で胸を撫で下ろす。
先程までの慌ただしい雰囲気が嘘のように、ライトに照らされた舞台が、つむじ風の後のように静まり返っていた。ここでみんな演技をしていたんだなと思うと、来年は絶対この舞台に立ってやると、心に火がついたようだった。
学校まではゆきち、三屋本、架橋それと乃木先輩が行ってくれることになった。さすがに先輩にやらせられないと断ったものの、今年で最後だからこの感覚味わいたくて行かせてほしい、と言われたら断り切れなかった。
楽屋の整理が終わり他の部員たちは一階のロビーに集合していた。俺と昇流も加わり軽く終礼をした。
県大会の会場は地区大会よりも広くロビーもいくらかのスペースがあり、部員全員揃っても十分余裕がある。
本田先輩も大山先輩も今回はかなりの手応えを感じたらしい。宮市先輩も幕間での雰囲気が今までで一番よかったと言っていた。これは期待できるんじゃないかと明日の発表が楽しみで仕方ない。
上演中のため、あまり大きな声は出せないけれど、「お疲れ様でした!」と最後を締め括った。
ロビーを出口の方へと歩いていると、名前を呼ばれているような気がした。キョロキョロとしていると、「笹井様ー!」と受付辺りから勢いよく接近してきた。周りにいる人たちは綺麗に避けて一本道ができていた。
先輩たちはじゃあなとうすら笑いを浮かべて先に出て行ってしまった。
「お疲れ様でした! 愛夏はガチ泣きしました」
「へー、でも、俺音響だったけどね」
「あっ、そうだった。愛夏のしたことが推しの前で失態じゃん!」
考える人のようなポーズでうずくまっている。どうしたものかと、昇流に顔を向けると勢いよく榎園さんの隣を陣取った。俺と百彩ちゃんは顔を見合わせ、不思議そうに見守ることしかできなかった。
「乙女がいや、アイドルがそんなポージングじゃダメじゃないのかな?」
そっと耳元で囁くようだった。けれどまだ役者モードなのか、声は広がりよく聞こえる。
「あっ、福居昇流。あ、あの、今日の演技なかなかよかった。……褒めといてあげる」
立ち上がり少し下向き加減で、たぶんこれも呟く程度で言っているのかもしれないけれど、やはり、声が広がりよく聞こえている。何気にふたりが密着するように近くなった。
「今日この後暇?」
「今日この後アイドルレッスンがあるの……ごめん」
お互いの息を掛け合うような至近距離で、コントにしか見えない。関係ない生徒や通り過ぎる人達も、二度見するように歩いていった。
「いや、仕方ない。レッスンは大事だもんな。たっしゃでな」
「福居昇流、あなたもお元気で」
そういうと榎園さんは何度もこちらをチラ見しながら、早足で劇場を出て行った。どこにいる設定なのだろうか、大きく手を振り悲しみを堪え笑顔を作っているような、そんなもどかしい表情で昇流は見送った。
やれやれと百彩ちゃんと顔を見合わせた。そこへごめーんとアキホリが合流した。
「あれっ、明歩どこいってたの?」
「あっ、トイレ? 激混みでずっと待ってたの。何? うちのいない間に何か面白いことでもあったの?」
「ちょっとね」
「うちとしたことが……もっちゃんがちょっとねって、結構な面白さだったってことでしょ? 残念すぎる」
「どんまい!」
どこか満足げな表情で昇流は腕を組み頷いていた。そこへよかったぞーと駆け寄ってくる足音が聞こえてきた。
「あれっ? 輝紀にみっちゃん、ここで何してんの?」
「何してんのはねーだろ?」
頭を手の甲で叩かれた。
「イテッ」
「ろくんのハマってる演劇部ってどんなのかなって思って応援に来たの」
「でっ? どうだったかな?」
周りの人混みなんて見えていないと言わんばかりだったのに、演劇部という言葉に反応したらしく、昇流がこちらへと擦り寄ってきた。
「のぼるちゃん、近ない?」
接近するのがマイブームなのだろうか、紙一枚挟んだほどの至近距離で、輝紀に顔を近づけた。
「あっ、すまんすまん」
「誰だよ!」
いつもの感じで脇腹を突いてやった。「うぐぁっ」と声を出して身体をよろめかせた。
「もう、何やってんの? 他の人の邪魔になるから。ほら行くよ」
みっちゃんは輝紀を引き寄せて腕を組んだ。そのまま出入口の方へと歩き出した。
「置いてくよー」
前を行くふたりをボーッと見ていたけれど、慌てて後を追った。
自動ドアが開き、外の空気が流れ込む。一瞬足を止めたけれど、先を行こうとする勢いには勝てない。むさ苦しい暑さが一瞬にしてエアコンの涼しさを消し去った。
一歩進みたびに汗が額に滲み出て、数メートル歩く頃には、顔から首に汗が流れていた。それとなくタオルを首に巻く。
腕を絡めていた輝紀とみっちゃんはさすがの熱さに、手を繋ぎ距離を保っていた。俺と百彩ちゃんも何気なく手を繋いだ。みんなにはもう報告済みだけれど、見られているところで手を繋ぐって照れくさい。でも、それ以上にエモさの方がハンパない。
駅すぐのスーパーまで来た。劇場に向かうときは線路沿いを歩いていたからわからなかったけれど、表の駐車場にはひまわりが咲いていた。歩道に沿って並べられ見てくださいと言わんばかりだ。
その戦略にまんまと乗ってしまうのは正しい選択だと思う。写真撮るよー! と、みっちゃんがみんなをひまわりの前に立たせた。
花に魅力を感じるのは人だけじゃない。蜂だってそうだ。蜜蜂だろうか、ひまわりの周りをクルクルと回っている。
「あたし無理なのー」
「俺も蜂はなー」
スポーツカップルは少し離れた横断歩道手前まで戻り、俺とアキホリも少し距離を置いた。「慌てず何もしなきゃいいんだよ」と、初めは澄ましていた昇流も結局はこちらへとやってきた。残った百彩ちゃんは、微笑ましい光景があるかのように、蜜蜂と後から飛んで来た蝶々を見ていた。いつしか百彩ちゃんの周りを回り出し、そのままどこかへと飛んでいってしまった。
なんだか不思議だった。夕日に照らされた百彩ちゃんは、ひまわりよりも綺麗で煌びやかな光を纏っているかのようだった。
「天使みたいに綺麗だ」
しまった心の声がもろに出てしまった。ふたりのときならまだしも、みんながいるところで……。
蜂がいなくなると、スポーツカップルはこちらへと戻ってきた。
「ろくん、わかるけどさ。そーゆーのはふたりのときにね」
「絽薫、さすがにここではな」
「いや、その、なんていうか……」
自分も言いたくて言ったわけではない。いや、そりゃ言いたい。けれど、ここでは言いたくなかった。
「ロカ男、漢は正直がいいぞ!」
昇流はまた何かのスイッチが入ったのか、熱く強い握手を交わした。
「福助、どうかしちゃったの?」
「いや、恋する漢ってのは複雑なのさ」
石ころを蹴飛ばすように脚を振り上げた。
「ダメだ。福助、あんたはたぶんいい男だよ。でもね、本当にバカじゃん。いい? 何を思ってるかは知らないけど、もう少し賢くなんないと、好きな子だってあれ以上は寄ってこないよ」
アキホリは人差し指を立て、恋愛マスターのような凄みのある表情をしていた。
「ふぇっ? アキホリな、なんのこと言ってんの?」
「いい? 福助、男心も大切だけど、もっと女心を学びなさい!」
「わかりました!」
深々と昇流は頭を下げた。
「みんな写真取らないの? 恋愛はちゃんと恋のキューピッドが仕組んでくれるから安心していいんだよ」
百彩ちゃんはそれが当たり前かのように、笑顔で言った。
「もっちゃんは本物の天然だね。そこがかわいいよね?」
「うちもそんなこと言ってみたい。ねっ? りんりん」
何気なく言った一言が繕っていなくて、本心だからこそ、嫌味がなくて純真で本当に尊い。彼氏なのに俺でいいの? とたまに問いかけたくなる瞬間がある。けれど、俺と百彩ちゃんの赤い糸はキツいほどに結ばれている気がする。
一緒にいると、恋人というのはもちろんだけれど、それ以上のものを感じる。よくドラマやなんかで言っている結婚を直感したとかなんとか、そんなところだろう。
だから、俺でいいし、百彩ちゃんでいいんだ。
「明日の県大会最終日、山吹原高校の順位は?」
「いちいーー」
祈願も込めて一位のイの口で写真を撮った。何度か撮っているとカンカンと警笛が鳴り出した。
「早く行くよー」
みっちゃんの一言で一斉に走り出した。
明日の発表が待ち遠しかった。知らないところで応援に駆けつけてくれて、意外な人も含めて、本当に嬉しかった。
サッカーの試合とは違い、その場での声援があるわけではないけれど、あの暗い会場で温かい視線はきっと感じられる気がする。音響席にいても、キャストたちの緊張や楽しんでいる瞬間は感じられたから。
♧ ♧ ♧
地区大会連覇の堤大山が四位だった。その瞬間先輩たちの顔が少し強張ったかのように見えた。まさかだったからだ。
幕間討論会もいいコメントばかりだったし、地区大会よりも確実によかった。三位、二位の高校にも負けていないと思っていた。それなのに、四位だった。もちろん、自分たちの出来を否定しているわけではない。けれど、さすがに肩が落ちてしまいそうだった。
「そして、栄えある県大会一位は……山吹原です。今回は満了一致で一位となりました。おめでとうございます」
一瞬耳を疑ったけれど、間違いなかった。先輩たちの雄叫びのような喝采が会場を飲み込んでいた。
「ロカ男!」
「昇流!」
昇流や先輩、後輩の男子部員たちとは熱い抱擁で称えあった。
最高だった。なんと言うか、今までの高揚感とは違う感じがした。キャストだ、スタッフだ、そんなことは関係なかった。それよりも山吹原高校演劇部が一丸となって挑んだことに誇らしさを感じていた。
一体感……まさにチームプレーだ。
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