きみと隣で

好きだよ

「ありがとうございました。明後日またよろしくお願いします」


 今日から二泊三日の合宿だ。布団屋に代金を支払い、校門前でトラックを見送った。

 すでに汗だくだ。布団屋のおじさんと俺と昇流で、練習場と格技棟の二階の奥にある和室まで往復した。女子たちは和室で寝るためだ。さすがに男子と一緒とはいかないようだ。

 かき氷のように溶けてしまいそうな暑さの中、数回の往復でも堪えてしまう。

 首にかけたタオルで汗を拭い、練習場に戻ろうと、一歩足を踏み出した。

 昇流はタオルを大工のお兄さんのように頭に巻き、日焼けも相まってレベチ過ぎる。まんまイカつい大工のようだ。


「ずるいよね、その身長」


 目を細めて口を尖らせた。欲しくてたまらないものをねだるような、五歳児のように。


「はっ? なんだよ。いきなり褒めんなって」


 褒められるとそこを誇張したくなるのか、いや、したいんだよな? 昇流は腕を組んで眩しそうに斜め上を向いた。きらりと汗を光らせ、いかにも夏のCMに出てきそうな雰囲気で立ち止まった。


「な、なんだよ。俺だって……」


 昇流の隣に完コピして立ってやった。


「お子ちゃまにはまだ早いだろ」


 わざとなのか、あえてなのか、めちゃくちゃワイルドな低音を響かせて、包み込むように話してきた。


「ま、負けた……」


身体がよろめいて尻餅をついた。何やってんだよと、昇流が手を出してそれに掴まり起き上がった。


「暑いんだからとっとと戻るかっ!」

「だよね?」


 よしっと駆け出そうとした瞬間だった。遠くもなく近くもない場所から「笹井様ー!」と叫び声が聞こえてきた。ため息混じりにそちらを振り向くと、榎園愛夏がダッシュでこちらへと近づいてきた。あまりの勢いにふたりで一歩ずつ下がった。


「あー、暑い!」


 濁点混じりの声で威勢がいい。


「あっ、しまった。推しのいるところでこんなブスな行動したらダメじゃん」

 

 たぶん心の声だろう、俺よりもひどいほどにダダ漏れだ。


「どーしたんだい?」

「んっ? 福居昇流。今日はなかなかいい感じじゃない? まあ、褒めといてあげる。」

「その言葉ありがたく受け取っておくよ」

「誰だよ!」


 直射日光を浴びて確実に皮膚が2ミリほど薄くなったんじゃないかと思えるほど、汗が滴れる。


「笹井様、よければあちらの連絡通路に行きません? 暑くてもう……」


 うん、というより前に榎園さんはひとりで走っていった。確かに日向ではなく、なるべく日陰にいたいと思う気持ちはよくわかる。


「早くない? 行くの?」

「笹井様ごめんなさい! どうしても暑くて」

「乙女が日向にいたら危険だぞ」


 昇流はまたスイッチがオンになっているのか、榎園さんに絡んでいく。


「乙女! ま、まあそれはそうだよね? アイドルだし。福居昇流にしては冴えてるじゃない? 褒めといてあげる」

「当然だろ? 冴えてるなんて」

「福居昇流……」


 数秒ふたりは見つめ合っていた。なんなんだこのコントはと、呆れて苦笑すら出てこない。

 そこに申し訳なさそうに、百彩ちゃんが声をかけてきた。


「あの、地区大会の鑑賞会するって」

「百彩ちゃん」


 視線が合うとすぐに逸らされてしまう。昨日からだ。一昨日告白して振られて、夜ROWが来たのを無視して……でも、そんなこと当然の仕組みだと思う。今までいい雰囲気で確実に両思いだと思っていたのに、違うって……弄ばれたってことだよね? 怒りたいのはこっちの方だ。


「葵さん! いつでもいいよ。アイドル部いつでもウェルカムだからね」


 いつの間に昇流から百彩ちゃんに乗り換えたのか、数秒下を向いただけなのにタイムリープでも起きたようだ。

 百彩ちゃんと目が合った。絶対に困ってる雰囲気が出ていたので、「榎園さん」と声をかけようとした。


「あの、わたしに手伝えるならいつでも言ってね」


 意外だった。わたしはそういうこと……とフェイドアウトするかと思っていたのに、すんなりと受け入れた。——俺と目が合ってそれにムカついて、ついつい口が滑ったのだろうか。

 怒りを通り越して、情けなくて泣きそうだ。


「ホントに? 助かるー。愛夏が思うに今年も文化祭の人数が足りないから、助っ人頼むと思う。よろしく! じゃあ愛夏は追試終わったとこだから、またねー」

「うん」


 手を振り、この暑さの中駆け足で校門を抜けていった。

 視線を連絡通路に戻すと、また百彩ちゃんと目が合ってしまった。驚くように口を開けて両手で隠した。少し何かを思うように目を泳がせると、サッと目を逸らされた。


「あの、みんな待ってるよ」


 わざとなのか、あえてなのか、百彩ちゃんは俺をチラチラと見て、クルッと回り練習場の方へと駆けて行った。


「ロカ男、どーしたんだよ? もっちゃんとなんかあった? 昨日も変じゃなかったか?」

「うーん」


 やっぱり俺が悪いのだろうか……思い返すと、あのとき何がしたかったのかよくわからなくなる。どうして百彩ちゃんの話を聞かずに帰ってしまったのか、何を言おうとしていたのか、それすら考えつかない。





 昇流はタオルを鉢巻きのように頭に結び、湯気の立ち込める湯船へと足をゆっくりと入れた。「あー」と渋い声を吐きながら姿勢を落としていき、奥の壁に背中をつけた。 


「ぎもぢー」


 俺は適当に畳んだタオルを頭に乗せて、片足を一気に沈めた。


「あぢっ!」


 結構な熱さに足を湯船から出した。


「何言ってんだよ、こんくらいがちょうどいいんだよ」

「おう」


 早く入れと言うように手招きをされた。今度はゆっくりと片足を沈めて、もう片足も入れた。そのまま一気に壁側に行き肩まで浸かった。


「ぐゔわあー」


 これでもかと言わんばかりのおっさんのような声が出た。

 合宿初日の夜。昇流と俺、ゆきちと三屋本、架橋と銭湯にきている。大浴場や露天風呂があるスーパー銭湯ではなくて、昔からある近所の人で賑わう銭湯だ。


「気持ちいいだろ?」

「あん」


 すると、肘掛けのようなところの上に何かのスイッチがあり、昇流はそれを躊躇なく押した。背中、脚の辺りから少し強めだけれど気持ちいい泡が一気に噴射される。壁側を見てみるとジェットバスと書いてあった。最高でしかない。


「で? どーゆーこと? もっちゃんにごめんて言われたって」


 一、二分で噴射が終わり泡の音が消えていく中、昇流は切り出した。俺と昇流は胸の辺りまで上半身を出して、話しを続けた。


「……うーん、だからさ、ごめんねって違うのって」

「何が違うんだよ?」

「よくわかんなくて……あのときは告って、それでめちゃくちゃ興奮しててよくわかんないんだよね」

「はっ? わかんないってどーしてそれで振られたって思うんだよ」

「だってさ、告ったら泣き出しちゃって、それで反射的に謝って」


 顔にお湯を引っ掛けられた。


「おい、嘘じゃないかんな」

「わかってるって……もっちゃんは気苦労が絶えねー女になるのかー」


 天井を見上げながら言うと、手でお湯を掬い顔を流した。


「葵先輩のことすか?」


 そう言いながら隣にゆきちが入ってきた。


「まあね……」

「俺は笹井さんの幸せを願ってるんで」


 ゆきちはアイドルのようなウィンクをして、照れたような笑顔を見せた。


「熱いお風呂はイイネー」


 そこに架橋が水飛沫をあげて躍り込んできた。


「裸で語り合う的なの、いいよね?」


 その隣をさり気なく三屋本が陣取った。

 熱い風呂にむさ苦しい男子五人が並んでいる。それだけで室温が二度ほど上がりそうだ。


「よしっ! 出るか」


 なぜかよくわからないけれど、昇流は澄ました顔をしてスッと立ち上がった。それに続くように架橋が勢いよく立ち上がった。


「熱イイネー」


 ふたりはお互いをじっくりと見合うと、ニンマリとした笑顔で「いい男だよな」と握手を交わした。


「お湯もしたたるいい男!」


 ゆきちも立ち上がりまずまずという感じで頷いていた。

 俺だって割りかしいい方だけれどと立ちあがろうとしたら、「さっ、出るぞ!」と三人に先に行かれてしまった。


「笹井先輩、みんなわかってる」 


 肩を叩かれ、出ましょーと後を追った。

 着替えてから、番台前にある休憩所で飲み物を買った。なぜだか輪になり腰に手を当ててビンの牛乳を一気飲みした。


「ぷはーっ、やっぱ風呂上がりはこれっしょ!」

「確かにって昇流、それフルーツ牛乳じゃない?」

「そーだよ。銭湯と言ったらこれっしょ?」

「俺はいちご牛乳」


 少し照れるように、控えめにゆきちは言った。


「可愛いじゃネーヨ」


 架橋は漫才のようにゆきちにツッコミを入れた。


「俺はコーヒー牛乳派」


 三屋本はさりげなく会話に入ってくる。男子五人がわちゃわちゃとしていると、それは甘く南国を思わせる空気を運んできた。


「百彩ちゃん」

「何やってんの? うちらは今お風呂上がったの。どいていただける?」


 アキホリと百彩ちゃんは奥のソファーに腰を下ろした。時間が遅いためか他の客はすでにいない。


「お疲れ様です!」 


 ゆきちは早速といった感じで百彩ちゃんとアキホリに接近した。


「あの、なんて言うんすかね。その、笹井先輩のこと、お任せしました!」


 百彩ちゃんに向き合い、何目線なのか深々とお辞儀をした。


「えっ?」


 百彩ちゃんは訳がわからずに困っているようだった。


「ゆきち、あんたの言いたいことは十二分にわかったから、安心して任せて」


 アキホリは立ち上がり、両手でゆきちの肩に手を置いて、強い視線を送った。


「新座先輩よろしくです! 俺はこれ以上何もできないから……」


 そう言うと涙が出ていないのに、涙を拭うような仕草を見せて、そそくさと靴を履き銭湯から出ていってしまった。

 アキホリ以外は目が点になっていたけれど、三屋本と架橋は慌ててゆきちを追いかけた。


「何だったんだ?」

「さあ?」


 昇流と顔を見合わせ首を傾げていると、慎重な足取りでアキホリがこちらへと来て、咳払いをした。


「ロカオン、この後ふたりにしてあげるからちゃんと話してね。いい?」


 何かの役を演じているつもりなのかと思ったけれど、どうやら違うようで、うんうんと頷くことしかできなかった。

 銭湯を出ると学校近くのコンビニで待っているからと、そそくさと昇流とアキホリは行ってしまった。

 ポツーンと銭湯のドアの前にいるわけにも行かず、何も言わずに流れに任せて歩き出した。何を話せばいいのか迷っているうちに、百彩ちゃんが痺れを切らして話し出した。


「絽薫くん、聞きたかったの。あの日なんで帰ったのか……」

「あっ、それだよね?」


 自分でもなんて答えるべきがわからない。とりあえずごまかすように頭を掻いた。


「わたしが誤解させちゃったのかな?」

「えっ?」


 百彩ちゃんは顔を合わせないように、前を向いたまま話している。


「明歩と凛花に言われて、少し納得したって言うか……」

「えっ? みっちゃん? アキホリ?」

「うん——。あのね、わたし好きだよ、絽薫くんのこと。友達とし……」


 やっぱりそれだ、それなんだよ。やっぱり友達としか見てないじゃんと言おうとした。でも、それを遮るように百彩ちゃんが喋り出した。


「絽薫くん!」

「えっ?」


 俺の顔を見るなり、頬を膨らまし口を尖らせた。


「ちゃんと聞いてほしい」


 もう一度顔を見ると目尻には涙が溜まっていた。


「あっ、ごめん」

「うん。友達としてじゃない、絽薫くんが好きなの。この前はそれを伝えようとしたのに、絽薫くんが勝手に勘違いして帰っちゃって……」


 百彩ちゃんの前に立ち、両手で優しく肩に手を置いた。細くて柔らかい肩が少し震えているのが伝わってきた。


「ごめん、百彩ちゃん。俺、ホントにごめん。あのとき気が高ぶっちゃって、自分でも何で帰ったのかよくわかんなくて、ただ否定されたんだと思って、だから……」


 俺まで泣きそうになってきた。必死で堪えようと鼻を啜るけれど、目尻からは涙がひとつふたつと零れ落ちる。手に力がなくなり、肩から擦り落ちた。

 まだ始まったばかりの夏の夜、二車線の道路には時折車が交互に通り、寝言のように蝉の鳴き声が聞こえてくる。

 狭い二車線は歩道が整備されていないため、中路を進むことにした。俺と百彩ちゃんの淡い青春が暗い夜道に明かりを灯すようだ。


「許す」

「えっ?」


 顔を上げると、百彩ちゃんが微笑んでいた。


「わたしもすごくショックで悲しかった。でも、わたしの言い方もおかしかったんだなって……だから、許す」

「百彩ちゃん」


 ゆっくりと歩を進めた。


「百彩ちゃん、百彩、俺、百彩のことが好きだよ。不器用ですぐ妄想で変に話が逸れたりするかもしれないけど、俺は本気で好きだよ」


 再び立ち止まった。


「わたしも好きだよ」

「俺と付き合ってください」


 向かい合い、頭を下げた。


「はい」


 待ちに待った瞬間だった。最高すぎて変顔になってないか、手で顔を触り確認しながら顔を上げた。


「ふふふっ」

「えっ?」


 なぜか笑っている。もしや、変顔になっていたのかと、顔を触ってみる。


「ごめんね。だっていきなり百彩って言うから、なんだか変な感じがして」

「えっ? 俺、百彩って言ってた?」

「うん」


 言ったのかどうかよくわからない。けれど、考えてみると言ったような気がする。いや、確実に言っていた。


「あのっ、そそれは勢い余って言ったっていうかなんていうか……」


 頭を掻いて笑ってごまかすしかできなかった。


「でも、嬉しい。なんだか懐かしいし」

「よかったー。って懐かしい?」

「えっ? あ、あの……小さいとき親戚のお兄ちゃんにそんな感じで呼ばれたの思い出しちゃって」

「……そか」


 ちょっと、よくわからなかったけれど、喜んでくれているならこっちだって嬉しい。

 昇流とアキホリの待つコンビニへと歩みを進めてた。手、繋ぐ? と言わなくても、指先が触れ合うと、自然に手を繋いでいた。

 楽しい時間はあっという間と言うけれど、本当にそうだ。めちゃくちゃゆっくりと歩いていたのに、ほんの十秒ほどでコンビニまで辿り着いたようだった。

 手を繋いでいるのを見るや否や、やっかみを言って騒ぎ出したけれど、アキホリは一安心といった雰囲気で大袈裟に胸を撫で下ろしていた。


「あれっ? そーいえば福助ってもっちゃんのこと……」

「えっ? 何を今更」


 百彩ちゃん以外には少し不穏な空気が流れたように感じたけれど、当の本人はしれっとした表情だった。


「姫には申し訳ないが、拙者も男でござる。今や過去のこと、思うおなごは他に……俺は武士、お前は非人!」


 片思いをしていることを知られたくなかったのか、てっぱんギャグでごまかそうとした。


「せめて農民に……って何でだよ! ごまかそうと思っても無駄だからな。ここにいる三人はちゃんと聞こえてたからな」


 三人で昇流を問い詰めるように睨みつけると、「さーせーん」とスタートダッシュで走りだした。俺らの中で隠し事はなしだからなーと後を追いかけた。


 蒸し暑い夏の夜、高校生には暑さなんて関係なかった。好きなだけ走って、汗をかいて、楽しければそれでいい。恋という誘惑も、部活というパワーも、いつでも全力でぶつかっていく。

 このときは夏が終わることなんて、考える余地もなかった。

 

 夏が終わった後のことなんて……。


 

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