私が部長になるまでの物語

ブータン国王

ぶちょう

 それは二人の兄妹の関係が変わるすこし前の頃までさかのぼる。


 夏の日差しがさんさんと降り注ぎ、大阪の大地をじりじりと熱くしている夏の日の放課後、私と後輩二人はいつものように部室で将棋を楽しんでいた。


 「部長! 今日こそ勝たせてもらいますよ!」

 「ははっ、深雪君はいつも元気だなぁ。 大阪の夏はこんなにも蒸し暑いというのに」

 「そう……ですけど部室はクーラーがあって涼しいじゃないですか」

 「ふふっ、そうなんだけどね」


 この学校の部室はどこもクーラーがない、というかどの学校もないと思うけどね。


 「本当にどうやったんですか? 部室にクーラーなんて普通おかしいですよ」

 「ふふっ、まぁそこはちょっと交渉をしてね。 私が将棋の大会でいい成績をとるって代わりに許可してもらったんだよ」

 「そんなことが出来るんですか?」

 「まぁ、そこは部長だからね。 結構何でもありなんだよ」

 「まぁそういうことだよ、なんていったって私だからね!」


 少年は少し呆れ気味に、深雪君は少し納得のいかないような表情をしていたが私は気にしない。


 「それじゃあ、将棋を始めようか!」

 「今日こそ負けません! ですよね、兄さん!」

 「もちろん、今日こそ兄としての威厳を取り戻して見せる!」

 「ははっ、楽しみにしているよ」


 そして今日も今日とて将棋をするのだった。


      ◇

 「く、くううううう! ……………………………ま、参りました」


 深雪君が悔しそうにうなだれる。

 今回も、もちろん私の勝利だ。

 

 「今回もダメだったか。 でも深雪、今日はだいぶおしかったんじゃないのか?」

 「そうだよ深雪君、少年の言う通り今日は、ほんの少しヒヤッとしないでもなかった……………ような気がしないでもないよ」

 「それは全然ヒヤッとしてないですよね⁉」

 「はははっ、冗談だよ冗談」


 そう、本当に冗談だ。

 深雪君は本当に強くなっている。

 ハンデがあるって言っても毎日毎日着々と強くなっているのを本当に実感する。

 今日がだめでも明日、明日がだめでも明後日という風にどんどん私と戦って強くなっていっている。

 ん? 少年はどうだったかって?

 それは、まぁお察しの通りだよ。


 「……う………ちょう…………部長!」

 「ん? ああ、すまない少し考え事をしていた。 それでどうしたんだい?」

 「さっきの感想戦をしますよ!」

 「俺もお願いします!」


 私が思考にふけっていると後輩二人が感想戦を待っているようだった。


 感想戦は試合の後の振り返り。

 あの時の一手がダメだったとか、あの時の一手が良かったとかあの時こうすればよかったとか簡単に言うと、試合の振り返りだ。

 私の可愛い後輩二人は試合が終わったらいつも感想戦を求めてくる。

 次こそ勝ってやると、貪欲にそして楽しそうに私の言葉に耳を傾けるのだ。

 そんな二人を見て私はいつも思う。


 「ああ、やっぱり将棋は楽しいな」

 

 と。

 でも、そんな私の言葉に深雪君は不満そうに


 「それは、こんなに私たちに勝っていたらそうでしょうね!

 でも、今に見ていてください。 次は私が、そして兄さんが部長のことを絶対に倒すので、そうですよね兄さん!」

 「ああ、俺も勝って兄としての威厳を取り戻します!」

 「ははっ、楽しみだな」



 でもね、深雪君。

 違うんだよ。

 もちろん、将棋で勝つのは楽しい。

 でも、勝つだけじゃ楽しくないんだ。

 君たちと将棋をするのが楽しいんだ。

 君たちの尊敬の眼差しと、私に負けて悔しそうにしながらも、でも楽しそうに将棋をしている君たちと、将棋をするのが私は大好きなんだ。

 

 「君たちが私に将棋の楽しさを思い出させてくれたんだよ、本当にありがとう」


 そう、心の中でそっとつぶやいた。

     

     



     ◇

 私こと河野(こうの)舞(まい)蝶(こ)はとても裕福な家に生まれた。

 父は医者で母は良家のお嬢様というやつで現在は世界を飛び回る敏腕社長で私の祖父は元大臣であり、政治家の大御所という最高のハイブリッドとして生まれた。

 私の両親……いや母は自分が良家のお嬢様だったこともあり、私には自由にさせてあげたいという気持ちが強かったらしく、私にいろんなことをさしてくれた。

 そして、お金はあるはずだが私は私立の学校ではなく効率の普通の学校に通うことになった。

 そして私は世間でいう天才というものだった。

 勉強は小学三年生で高校までの範囲を終わらせ、IQ180という結果も出た。

 そしてもちろんスポーツも少し見ただけで人並み以上に出来た。

 スポーツができ、勉強が人よりもできることを天才というのだったら私は天才というものなのだろう。

 私にはそれが当たり前のことで周りの人たちが自分はこんなに簡単にできるのにほかの子供たちは何回やっても出来ない。

 そんな自分とは違う人たちを私は冷めた眼差しで見下すように見ていた。


 小学三年生ぐらいのころだっただろうか。

 体育の時間でドッチボールをすることになり私は相手チームを完膚なきまでの完全勝利にしてやった。

 そして、こんなものかといつものように冷めた視線で相手を見、こんな簡単なこともできないのかと見下しているとそんな私の視線が気に入らなかったのか、負けたチームの男子が私に突っかかってきた。


 「おい河野、お前ちょっとドッチボールで俺たちに勝ったからって調子に乗ってんじゃないか?」


 リーダー格の男子がそう言うと周りの男子たちもそうだそうだと、便乗するように言う。

 なんだこいつら?

 私に完膚なきまでの負けたからって逆切れか?


 「何? 私一人にボコボコにされたからって私に突っかかってきたのか? 負け犬の遠吠えにしか聞こえないが?」


 私が少し煽るように言ってやると男子たちはみるみると顔を赤くしていき怒ったような口調で


 「河野お前、前から気に食わなかったんだよ! 何か達観したような、周りと自分は違うみたいな感じで見下しやがって、少し勉強とかスポーツができるからって調子に乗るなよな!」


 そしてまたまた周りの男子たちはそうだそうだと便乗してくる。

 なんだ、こいつらは私が気に入らないからケンカ売ってきているのか。

 へぇ、面白いじゃないか。


 「なるほどね。 君たちは私にスポーツも勉強も何もかも勝てないから嫉妬して、でも一人じゃ怖いから仲間を引き連れてきたってわけか。 男らしくもない……でもいいよ? 君たちがケンカを売ってくるんだったらいい値で買ってあげるよ?」


 私の言葉に完璧にキレたのか、リーダー格の男子は

 

 「お、お前……っ! 言わせておけば! おいお前たちやってやれ!」

 「おう!」

 「任しとけ!」

 「俺も前からこいつは気に食わなかったんだよ!」


 そうして襲い掛かってきたのだった。


 

   ◇

 その日の放課後。

 私は学校の応接室にいた。

 私の前には怪我でボロボロの男子たちとその両親がずらりと並んでいた。


 「この度はうちの子供が大変申し訳ございませんでした。 ほら、たかし! あんたも河野さんに謝りなさい! ほら、早く!」

 「ごめんなさい」


 という風に私は男子たちとその両親たちからの謝罪を受けていた。


 「いえいえ、謝罪には及びませんよ、私にも非があったのは確かなのです。 ですので頭をあげてください」


 私がそう言うと両親はほっとし、媚びるような視線を私から外した。

 私は猫を被るのが得意なのだ。

そうして私は何のおとがめなしということで学校を解放された。

 

 ん? 

 あの後どうなったかだって?

 ああそれは簡単さ。

 私にとびかかってくる男子たちは片手間にひねりつぶしてやった。

 私は昔から合気道をたしなんでいた。

 合気道の師範代に神童と言われた私に男子たちはなすすべもなかったわけだ。

 そして男子たち全員をボコボコにしてやったわけだが当然その後先生につかまり問題になり、男子たちの両親が呼ばれた(私の両親は忙しくてこれなかった)。

 そして、私が両家の一人娘で祖父は大物政治家だ。

 そう。

 むこうは勝手に謝罪をしてくるというわけだ。

 私は能力だけではなく血筋にも恵まれていたのだった。


 「はぁ、つまらないな。 何をやっても簡単にできてしまうし、何かやらかしても向こうから謝ってくる。 はぁ、本当につまらない」


 この頃の私は日々の生活に退屈していたのだった。

   ◇

 それから数日が経ち母が珍しく家に帰ってきて、祖父に会いに行くとのことで私もついていった。

 私はお爺様のことは尊敬していた。

 日々をお国のために身を粉にして働き、そして厳格な人柄は私が敬愛するにいたるまでに時間はかからなかったのだ。

 お爺様は私のことをとてもかわいがってくれていた。

 だから私はこの機会に相談することにしたのだ。


 母とお爺様の話が終わり私はお爺様と二人きりになり打ち明けた。

 何でも苦労せずにできて、周りの同級生と話が合わないこと等々、お爺様は真剣に聞いてくれた。

 そして私の話が一段落過ぎ、お爺様は


 「それなら舞蝶、わしと将棋をしてみないか?」

 「将棋?」


 なぜ将棋?

 と私は疑問に思ったがお爺様がそう言うならということでそれに倣った


 「将棋のルールは知っとるな?」

 「まぁ、ルールだけなら……」

 「そうかそうかそれならわしと一局打たんか?」

 「で、でも私の話は……っ!」

 「まぁまぁ、一局打ってからでもいいじゃろ?」

 「そこまで言うなら……でも負けても知りませんよ?」

 「ふぉっふぉっふぉっ」


 そう、お爺様は不敵に笑った。

 そして私はこの時甘く見ていた。

 将棋のルールは知っているけど試合はしたことはないけどいつも道理簡単にできてしまうのだろう。

 お爺様には悪いけど勝たしてもらおう。

 そう、甘く考えていたのだ。

 この時は、



   ◇

 「も、もう一回! もう一回させてください!」

 「ふぉっふぉっふぉっ! もちろんじゃ」


 私は完膚なきまでに敗北していた。

 もう軽く十回は負けていた。

 だけど私は逆に興奮していた(断じてMというわけではない!)。

 今までは何をしても簡単に何でもできた。

 でも、お爺様と将棋をしていて分かった。

 これは勝てない。

 私は素人といえば素人だが、(今までは素人でもすぐに人並みにできるようになっていた)。

 だが、わかってしまった。

 私とお爺様には絶対的な力量差がある。

 私が打つすべての作戦が読まれているかのように錯覚させるほどに完璧に私の作戦が封じられる。

 そして私は察してしまった。

 今のままではお爺様には勝てないということを。


 「参りました」

 「ふぉっふぉっふぉ、いやいや舞蝶もだいぶ筋はよかったぞ?」

 「いえ、お爺様にはかないませんでした………でも! 次は絶対に負けません!」

 「そうかそうか、それは楽しみじゃわい」


 そう言ってお爺様は嬉しそうに笑った。

 この時の私はお爺様に相談したことなど頭にはなかった。



    ◇

 それからというもの、私は将棋というものに本気で取り組んだ。

 本を片っ端から読み漁り定石すべて頭に取り込んだ。

 そう、私は生まれて初めて努力というものを本気でしたのだ。

 今まではなまじ努力しないでも何でもできたが将棋はそんなに甘くない。

 とても奥が深く楽しいものということを知ったのだ。

 そうして将棋に心血を注ぎお爺様に再戦した。

 結果は敗北だった。


 「ふぉっふぉっふぉ、少しはましになっているがまだまだじゃわい! もっと精進するんじゃぞ?」

 「次こそはお爺様に勝利します!」



    ◇

 そして半年後


 「王手!」

 「くっ! ………参りました」


 私はようやく勝利した。

 この時にはすでに私は将棋の面白さに魅了されていた。

 お爺様は私に将棋を通じて努力をする楽しさ、上には上がいることなど私の悩んでいたことを教えてくれた。

 そんなお爺様に私は感謝しかない。


 「ありがとう、お爺様」


 私の言葉を聞き、お爺様は満足したかのように笑った。






    ◇

 将棋を通じて私は努力するということを学び視野が広くなった。

 私は今までなまじ努力しないで何でもできてしまっていたから他の子たちのことを内心見下していた。

 しかし、私は努力することを知った。

 私が将棋を強くなるために努力したのと同じように他の子達も同じように努力しているということに気が付いた。

 野球にサッカー、勉強など人は誰でも努力している。

 そのことに私はきずいたのだ。


 「私はなんて愚かだったんだろう。 何かのために努力するということはこんなにも尊いことだったんだなんて。 努力をちゃんとしたことがなかったくせに人のことを冷めた視線で見、見下していただなんて……自分で自分が恥ずかしい!」


 そう私は自分のことを戒めた。

 ちなみにというかここまで来てすでに察しているかもしれないが私は生まれてこの方友達というものができたことがないのだ!

 まぁ、当然なんだが。

 だから私は本を読み漁った。

 幸い、私は一回読んだらその内容を覚えることが出来るので普通の人の何倍ものスピードで読んだ。

 そして分かったことは。

 まぁ当然だが関わりにくくしたらダメということだ。

 相手を見下すなんて愚の骨頂というわけだ………ぐすん。

 そしてやっぱり今までのことをみんなに謝る。

 色々なことをしてきた。

 そのことについて私はまずクラスメイトの前で頭を下げた。

 クラスメイトはそんな私を快く迎えてくれた。

 単純にうれしかった。

 ああ、そう。 

 後、人は何か欠点があった方が親しみやすいと本に書いてあったので私は実はスポーツが苦手でしたということでスポーツは人前では手を抜くという自分ルールを決めたのだった。

 そんなこんなで私はコミュニケーション能力を手に入れて様々な人脈を得ることが出来たのだった。

 これがのちに生徒会長として絶大な力を持ち、ある兄弟のために奔走するのだがそれはまた別のお話である。



    ◇

 そして将棋はというと、私はもっと自分を将棋の強さを磨くために祖父に勧められた奨励館というところに入っていた。

 奨励館とは全国の将棋の猛者たちが集まり段位試験や切磋琢磨ができるところである。

 ここで私は驚愕した。

 お爺様よりも強い人がごろごろいるという真実に。

 もちろんお爺様はとんでもなく強かった。

 でも、それ以上に強い人がたくさんいた。

 その事実にもっと自分が高みに至れることを知り、より一層励むのであった。

 そして私は順調に強くなり小学生で一番強い人に贈られる称号である小学生名人の称号を手に入れたのだった。



     ◇

 中学生二年生の夏。

 この頃には私は順風満帆な学校生活を送っていた。

 友達はたくさんいたし、学校生活はうまくいっていた。

 あ、そうそう。

 私は学校の頼みもあり将棋部という部活に入っていた。

 正直部員の実力は私には相手にならないレベルだったので、たまに顔を出す程度の部員だった。

 そんなこんなな生活を送り私は奨励館の四段試験に臨んでいた。

 奨励館四段試験とは簡単に言えばプロ棋士になるための試験だ。

 将棋のプロというのは四段になることだ。

 そして私はその四段試験に臨んでいた。

 そう、私はプロ棋士レベルの強さを得ていたのだ。

 そして私がもしプロ棋士になったとしたら、中学二年生で女子ということもあり、史上初のプロ棋士、そして史上最年少のプロ棋士ということになるので私はメディアからとても注目されていた。

 余談だが将棋のプロ棋士には今までで一人もたった一人も女性のプロ棋士はいたことはない。

なのでたった一人もだだから私が注目されるのも無理はなかった。

 そして、試合はどんどん進み私は無傷の十三連勝という結果で十四戦目に臨んでいた。

 四段試験は十八人で総当たり戦をし、二人だけが昇級できるというとても難しい試験だ。

 要するに十七回試合があって最低十四勝はしないといけないということだ。

 そして私は現在十三勝。

あと一歩で史上初の快挙が達成されるかもしれないということでメディアはとても注目していた。

そして対する相手は同じく十三連勝中で私が注目され過ぎてあまり注目されていないが私の一つだけ上の年齢で名前は藤井聡太郎という男だった。

そして試合は始まった。

試合が始まった瞬間、藤井の試合前のなよなよした雰囲気から一変して空気が変わったような気がした。

 そして私はいつも道理の振り飛車で攻める。

 そして藤井は居飛車のようだ。

 ちなみに振り飛車と居飛車は将棋の戦術の一種だ。

 持ち時間は三時間。

 そうして試合は熾烈を極めていくのだった。



     ◇

 「………」

 「………」

  

 静かな部屋にパチンパチンという駒を打つ音が響く。

私は集中を高めていき脳内に三つの譜面で予測しながら的確にコマを進めていく。

 将棋棋士にはたまに脳内に譜面を作り出しながら予測することが出来る人がいる。

 もちろん私はそちら側だった。

 そして試合は着実に進んでいく。

 試合が始まり中盤頃。

 私は何か今までに感じたことがないような違和感を感じていた。

 なんだ?

 何かがおかしいぞ?

 私は脳内の譜面で予測しながら駒を打っていく。

 試合の状況は五分五分だ。

 私の攻めを受け流されている?

 そんな違和感を感じたが試合は続いていく。


 試合が始まり終盤。

 私はその違和感にきずいたが遅かった。

 私の攻めがすべていなされ構成逆転されたのだ。

 そして私はきずいてしまった。

 藤井の口が歪んでいることを。


 「ふふっ」


 まずい!

 そうきずいたときには遅かった。


 「すべて読まれていた………っ!」

 藤井は私の手をすべて読んでいたのだ!

 だが私にもプライドがある!

 

 「この攻撃をすべて受け流しさえすれば………っ!」


 私は独り言のように呟くだが、藤井はにやりと口を歪ませ


 「あ、あなたの手を全部読んでい、います」


 その時私は見てしまった。

 藤井のどろどろに濁った瞳を。

 それからは一方的な展開になっていった。

 私は何とかあがくが底なし沼に一度はまると二度と上がることが出来ないように。

 私はじわじわとなぶるように沈んでいく。

 藤井の一手一手はすべて最善手で一回も間違えない。

 そして私は藤井との明確な差を感じた。

 それは初めてお爺様と戦った時と同じ感覚。

 明確な差。

 私は強くなっていたと思っていた。

 だが、甘かった。

 同年代に敵はいないと思っていた。

 だが、いた。

 いたのだ。

 私の同世代で格上が。

 そして私は負けた。

 完膚なきまでに。


    ◇

 それから私は残りの四戦もすべて負けてしまった。

 私のプロへの挑戦は藤井との一戦ですべてが瓦解してしまった。

 メディアからは失望され学校からは落胆された。

 そして私は今更ながらにきずいた。

 私は期待されていたということを。


藤井との戦いが頭に焼き付いて離れない。

 あの時の絶望が私に付きまとってくるのだ!

 そして私は調子を落とした。

 奨励会で同格以上の相手に連敗する生活を送った。

 奨励会は厳しい世界だ。

強い奴は上がっていき弱い奴は簡単に食い物にされる。

 そして私は三段から初段まで段位を落としたのだった。


   

    ◇

 私は生まれて初めてスランプというものになってしまった。

 私は今までどうやって打っていたっけ?

 前まであんなにも絶好調だった脳内の譜面も全然機能しない。

 そして周りからの視線がとても痛かった。

 私がスランプで段位が落ちていることは知られているらしく、同情で薄い言葉で励まされその心遣いが私の心を余計に荒ましていくのだった。


 そんなある日、私は将棋部の部活に顔を出した。


 「ふっふっふ、よくもまぁ顔を出しましたねぇ。 落ちた神童さん?」


 そこにいたのは私を小ばかにしたような部長だった。

 私はこいつとは前からそりが合わず、それもあって顔をあまり出してなかったのだ。

 こいつは私の強さに嫉妬していちいち突っかかってくる小さい男なのだ。

 だが、私も普段は流せるのだがこの時の私は心が荒んでいた。

 だから売り言葉に買い言葉で


 「なんだい? 私が落ちた神童ならお前はそれ以下ということだね、ふふっ、滑稽滑稽」

 「き、貴様………っ! 言わせておけば!」

 「なんだやるのか?」

 

 私の圧に怯んだのか少し焦ったような雰囲気を出したが私がスランプということを思い出したのかすぐに元気を取り戻し


 「ふふっ、はいやりましょう。 しかし、実力差があるのは事実です。 ですから私たち部員全員と………七面うちはいかがですが」

 「ぶ、部長………されはさすがに………」


 部長の言葉に腰巾着の副部長がなだめようとするが


 「ああ、いいとも。 後はそうだな、ハンデとして私は王将と歩だけでいいですよ?」

 「は⁉ お、お前マジで言ってるのか?」

 「もちろん。 マジマジも大マジだ」

 「ちっ! 舐めやがってよしやってやる!」


 そうして、一対七の戦いが始まるのだった。




      ◇

 日が下り夜の帳が下りたころ、私は部室の中に一人でいた。

 結果?

 私の圧勝だった。

 王将と歩だけでだ。

 完膚なきまでに叩き潰した全員を。

 それから再戦を申し出るやつもいたが、それもすべて叩き潰した。

 その後、部員たちは希望を無くしたような私との才能の差を思い知らされたのか、絶望に歪んだ表情が印象的だった。

 格下には勝てる。

 今まで道理に戦えるのだ。

 だが、同格以上と戦うときはいつも通りの力を出すことが出来ないのだ!

 どうしても藤井聡太郎のあの黒く歪んだ瞳が脳にこびりつくのだ。

 「はぁ………私はこれからどうすればいいんだろうか?」


 私はこれからの真っ暗になってしまった未来を憂いていた。

そんな私の机の上には辞表が六枚置かれていたのだった。


     ◇

 次の日の放課後。

 私は何となく奨励館に行く気力もなく部室に向かった。

 ドアを開けて中に入る。


 「そうか、もう誰もいないのか………」


 私が昨日部員たちを完膚なきまでに叩き潰し、部員はみんな将棋部をやめてしまったのだ。


 「部長と副部長には清々しているがほかの部員には悪いことをしてしまったな」


 私が将棋人生を奪ってしまったという事実に私の心がチクリと痛む。

 そんな嫌な気持ちを吐き出すように、ハァとため息をこぼしたそんな時だった。

 ガラガラガラ。

 部室のドアが開いた。

 そこには見覚えのある一人の少年が立っていた。


 「君は確か………」

 「はい、一年の赤坂総司です! 」


 そうだ、昨日戦った中にこの子もいた。

 正直一番弱かったが、何回も挑戦してきたのを覚えている。

 そうか、昨日置かれていた辞表は六枚。

 一枚足りなかった。

 この子はやめていなかったのか。


 「でもどうしたんだい? 昨日の一件で君以外はみんなこの部活をやめてしまったよ? 君はやめないのかい?」


 心が弱っている証拠だろう。

 私は無意識に悪い方向悪い方向に話を進めてしまっていた。

 でも私の言葉にその赤坂少年はきょとんとした表情で


 「どうしてですか? 僕と部長さんに力の差があるのは当たり前じゃないですか。 でも、今度は僕も負けませんよ! ですから将棋をしましょう!」


 と楽しそうに、将棋を打つのが楽しくてしょうがないという風に言って将棋の準備を始める。

 そんな赤坂少年を見ていると自分の悩みなんてちっぽけのものに思えてきた。


 「はは、はははっ! そうだ、そうだね! やろう、やろうか将棋を!」


 そうして、私たちは将棋を打つのだった。

 余談だが昨日完膚なきまでに負けてほかの部員の心は折れ、赤坂少年の心が折れなかったのは赤坂少年は一度過去に野球で完膚なきまでに折られたからだという。

 一度皮がむけたところによりぶ厚い皮が出来るように、赤坂少年は一度折られたことがあるだけに完膚なきまでに負けた程度では心は折れなかったということだったらしい。

 まぁ、そのおかげで私は救われることになるのだから何とも皮肉な話だとは思うが。



    ◇

 それからというもの私たちは放課後毎日のように暗くなるまで二人で将棋をし続けていた。

 全試合もちろん私の勝利だったが、赤坂少年の成長スピードに私は驚いていた。

 もちろん試合ではすべて私が勝っていた。

 しかし、赤坂少年は負けても不貞腐れずむしろ負けた後の感想戦やアドバイスをたくさんねだってきた。


 「部長さん、この一手ならどうですか?」

 「ここでこうしてたらどうなってましたか?」

 「それならこうでは?」

 「振り飛車ってどんな感じなんですか?」


 等々気になったことがあると私に相談やアドバイスを求めてきて、私もその将棋に真摯な思いに好感を持っていた。

 

 そして赤坂少年以外の部員がやめてしまったあの日から一週間ぐらいたったころだっただろうか。

 私は赤坂少年にずっと疑問に思っていたことを尋ねてみた。


 「赤坂少年、何故私に負けても負けてもへこたれずに立ち向かってくるんだい? 将棋に限らず勝負事は勝ってなんぼだろう?」

 「え?」


 私の言葉に赤坂少年は一瞬きょとんと不思議そうに私の顔を見て答えた。


 「もちろん勝負に負けるのは悔しいですよ? そんなことは当たり前です。 でもそれは部長さんが今まで努力してきて得た力であり強さだと思いますし。

それに、まだ将棋を始めてそんなに期間が経っていない僕はなおさらです。 でも、待っていてください。 今はまだ部長さんの相手にならないとしても絶対追いついて見せますから!」

 「………………」


 私は赤坂少年の言葉に呆気に取られていた。

 赤坂少年はそんなことを考えていたのか。

 そして赤坂少年は頬を書きながら恥ずかしそうにして


 「それに、部長さんはこんなにも強いじゃないですか。 だから僕はその強さを見習って、学んで、盗んだらもっともっと強くなれるということじゃないですか!」

 「し、しかし私は今少し調子が悪くて段位も下がってしまったし、みんなにも失望されて………」


 私は赤坂少年の言葉に少し申し訳ないと思った。

 君がそんなに尊敬してくれている私は今同格以上と戦ったら怖くなって、本来の力を出すことが出来なくなっているようなやつなんだ。

 だから赤坂少年の言葉に尊敬のまなざしが痛かった。

 そんな私の信条を知ってか知らずか赤坂少年は


 「ん? そんなのスランプなんか誰にでもあることですよ。 それに、部長さんはまだこの通り将棋をやっているじゃないですか、将棋から逃げいてるわけじゃない。 何とか頑張ろうとあがいているじゃないですか、それは僕とは違うところですよ………僕はそこで逃げてしまいましたから」

 「え、何か言ったか?」

 「いえ、別に。 それに僕今部長さんと将棋するのがとても楽しいですから」

 「………………っふ」

 「部長さん?」

 「ふふっふふふ、ははっはっははっはっは! そうだ、そうだな! 楽しいな! そうだ! 将棋は楽しいからするんだな! そうだったそうだった! そうだ私は何で今まで忘れていたんだ! そうだ、そうだったんだ!」


 赤坂少年は私が突然笑い出したことに何が何だかわからないのかきょとんとしている。

 そうだ! 

 楽しいから将棋をする!

 どうして私はこんな大事なことを忘れてしまっていたんだろうか!

 そうだ、私も最初はお爺様に将棋を教えてもらって勝てなくてでも、それでも努力をすることが楽しくて将棋をしていたんだ。 

 でもそれはいつの間にか周りの期待や勝たないといけないという、プレッシャーに押しつぶされて忘れてしまっていたんだ。

 そうだ、そうだったんだ。

 思い出した。

 私は将棋が好きだ。

 それは楽しいからだ。

 

 「ふふッ、ありがとう思い出したよ。 赤坂少年! そうだ、楽しもうじゃないか将棋を」

 「はい! でも今度は僕が勝たしてもらいますよ?」

 「ふふっ! 望むところだよ。 後そうだ、前から言おうと思っていたんだが、私はまだ部長じゃないぞ?」

 「え? 部長さんじゃなかったんですか?」

 

 私は前から疑問に思ったことを口にした。

 確かに部長はやめてしまったが、まだ私が部長とは決まっていない。

 

 「ああ、まぁもう部員は私たち二人で私のほうが学年が上だから部長は私ということになるのかな?」

 「え⁉」

 「え?」


 ん?

 何だか話がかみ合っていない?

 そして私は少し嫌な予感がして優しい声色で聞いた。


 「ちょっと待った、君。 私が部長だと思っているからいつも私のことを

“部長さん”って呼んでいるんだろう?」

 「え? いや、え? だって、部長さんの名前って河野(こうの)舞(ぶ)蝶(ちょう)さんですよね?」

 「私の名前は河野(こうの)舞(まい)蝶(こ)だ!」

 「えー!」


 そうして、月日は流れていく。

 少しの勘違いがあったが将棋の本質………楽しむということを思い出した。

 そのことを思い出させてくれた赤坂少年には本当に感謝している。

 だから私はこの時誓ったんだ。

 私は今赤坂少年に救われた。

 だから私はもし赤坂少年に気がせまったりしたら力になろうと。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私が部長になるまでの物語 ブータン国王 @kouji0130aniki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ