【完結】放蕩姫の暗殺者はクローゼットを出て

@amane_ichihashi

暗殺者にはご褒美を

「あッ…は…いやだわドミナム卿、そんな破廉恥なことはおやめになって…」

主が嫌がっているとは思えない嬌声を上げる。

嫌がっているとは思えないが、俺は万が一に備えて剣の場所を確認した。そっと衣装棚クローゼットの扉を開けて覗けば、彼女の白い肢体を折り曲げるようにして覆いかぶさっている巨体が見える。

「はっ…はっ…イルゼの体は嫌とは言っていないが。こんなに腹の中を締め付けよって…!淫乱な娘が…!」

ぶるぶると腹の脂肪を揺らしながらドミナム卿が欲望のままに腰を振るうと、イルゼは乾いた声で鳴く。そこまでを確認して、俺はまたクローゼットの扉を閉めなおした。ターゲットの場所は分かった。真っ暗闇の中で、自分の輪郭を確かめるようにボサボサと伸びた前髪をかきあげると無精ひげをさする。

「ああ…本当に勿体ない。なあ、やはり儂の妾になれ。…お前を…はっ…ああ…失うのは…忍びない」

「…あ…はぁ…ん、そこ、いやっ…う、失うって?」

不穏な言葉に俺はゆっくりと、一つの物音も立てぬようクローゼットの扉を蹴り開ける準備をした。剣の柄に手をかける。

「…ああ…気にすることは無…」

「…そんな怖いことを伺った後では、慰めて頂きたい気持ちも失せてしまいます…」

衣擦れとベッドが軋む音が止む。イルゼがジジイを止めたようだ。

「…お教えくださいませんか?」

「…ッうう…」

「ドミナム卿、私を安心させて、もっと…もっと私の深いところにいらして」

「…ぬうッ…う、うぅっ…」

何の音も聞こえないが、ジジイの声を聞けばイルゼが何らかの手出しをしてるのであろうことが容易に想像できる。

「シュルツ卿が…よからぬことを企んでおるようだ…が…ぐ、うう、ッ」

「シュルツ卿が?どんなことを?…ねえ、私を安心させてくださいませ、ドミナム卿。私はあなたに、体がこんなにとろけるほど焦がれておりますのに」

「は、…ふしだらな。こんなに濡らして、そんなに儂に虐めて欲しいか…!」

しばらく、口づけを交わしているらしきピチャピチャという水音だけが聞こえる。…この体勢、おっさんには辛いから早くしてくんねーかな。足がしびれそうになる。

「シュルツ卿はなんですって?」

「…ふ、お前の父親の暴虐に耐えかねて、謀反を起こすそうだ。無論、一派である儂も参加しないわけにはいかん。お前、儂の妾にならんと殺され…お、おぉ‥ッ」

ベッドが軋む音が突然再開された。イルゼが嬉しい、お話ししてくれて、とジジイを喜ばせている。

「あ、は、あ、あぁっ…!ドミナム卿…!私もドミナム卿だけのお側仕えをしたく存じます…!ただ、他に謀反に参加する方が、私を許してくださるかしら…」

「…っ、今回貴族側は儂だけに声をかけたと言っていた…」

「…そう。よくわかったわ。さようなら。


…セルジュ!」


せ、の音が聞こえたところで俺はクローゼットの扉を蹴り開けていた。そうするように訓練している。悲鳴を上げる暇すら許されず、ジジイは俺がベッドから拾って押し付けたクッションに顔面をふさがれる。そのまま俺はジジイをイルゼの体から引き剥がすように押し倒すとクッションの上から喉元を深く刺した。びくん、という衝撃と、奴の足元から匂い立つ生臭さ。ややあって、鉄臭い血の匂いが辺りに漂う。

「…血が飛んだわ」

イルゼは先ほどの嬌態とは打って変わって冷たい表情で俺を見ると、全裸であることもいとわずベッドから立ち上がった。濃紺の闇の中、月明りに女神のような彼女の体が浮かび上がる。

見れば確かに、彼女の首筋に一筋の血が流れていた。俺は腕を伸ばし彼女を引き寄せると、その一筋を舐め上げる。びくりと彼女は体をざわめかせた後告げる。

「シュルツ卿を張って」

「…」

ご褒美を貰っていない俺は何も答えない。彼女は、今私に触れたでしょう、と言って俺を見下し目を軽蔑に歪める。

「…おいで」

許しを得て彼女に口づける。閉ざそうとする唇を割って彼女の口内に押し入ると、迷路の出口を探すように一つ一つ丁寧に彼女の口の中を探っていく。ずっと俺を押しのけるようにしていた手の力が一瞬抜け、次の瞬間には一層強い力で突き放されていた。

「調子に乗るんじゃないわ。…犬が」

主は年上の、今人を殺したばかりの俺を全く臆することなく犬と呼んでみせる。俺も口の端を上げてその侮蔑に応えた。


◇◇◇


「金をよこせ」

そんな陳腐なセリフを吐いたのは青年を卒業する年頃に差し掛かった俺だった。


もう三日も何も食ってない。腹が減りすぎて吐き気がする。少し先の路上で死んでる奴も嫌な臭いがし始めてしまった。やっぱりアレを食っときゃよかったと悔恨する俺の耳に、レンガ作りの通りをガタゴトと走る馬車の音が届く。それは俺の耳を甘美に震わせた。想像でしか知らないが、鉄板で焼かれるステーキというのはこのくらい美味そうな音を立てるのだろうか。


俺は使い古した剣を鞘から抜くと、ありったけの力で馬車に襲いかかる。まず行者の喉を貫き、そして隣に座っていた護衛らしき男を切り払う。

何事かと戸惑う馬をなだめたあとに馬車の扉を開けると、小さな人形のような少女がこちらを一瞥した。その冷たい視線に動けずに、俺は金を無心したのだ。


「…まずお腹を満たしなさい」

少女はそう言い、座席においてあった藤編みのバスケットをこちらへ寄越した。

開ければ彼女の残飯のサンドイッチと見たこともない食べ物らしきものがいっぱいに詰まっていた。俺は一心不乱に貪る。

途中、彼女が差し出した革袋の中の水を飲む。じわじわと、力が体に漲っていく。


「あんた、名は」

「サジ」

俺は久々の食事を口に詰め込むのに精一杯で短く名を答えた。

「変な名。どう書くの」

俺は口いっぱいのメシを咀嚼する間に、何かの料理にかけられていたソースを指にまとわせると馬車の壁にSergeと書いた。ああ、セルジュ。と彼女は得心する。


「あんた、人を殺せる?」

「…さっき見ただろ」

「あんた、仕事は?」

「仕事がありゃ、こんなとこで強盗してねえ」

「あんた、あたしの命じるままに人を殺せるかしら。出来るなら、あんたに生きる場所をあげるわ」

「…あァ?お前、俺に命令しようってか。立場をわきまえろよ嬢ちゃん」

「できるの、できないの?」

俺の威嚇にも彼女は全く怯まずに問うた。露店で一度だけ見たことがある、きらびやかなビスクドールみたいなこんな少女が、いったい俺に誰を殺せと命じると言うのか。

「できるさ。誰でも殺せる。今ここでお前も」

「いいわ。私と来なさい。あんた馬車は動かせるの?王城に向かって」

「…あ?王城だと?!てめえ」

ハヤガテンしないで、と聞いたことがない言葉を吐く。

「あんたは強盗から私を守った英雄として城に迎え入れるわ」

言ってる意味がわからず彼女を睨みつけた。

「…学がないヤツはこれだから嫌いよ。あんたを、私、王国第三王女の従者にしてやるって言ってるの」

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