星空に寝る。

白野椿己

星空に寝る

ざぶん、と波の音が聞こえる。

波打ち際に寝転がって数センチの海を感じていた。

僕が眠れない時、父さんが夜の海に連れ出してこうして一緒に寝転がっていた。

もうずっと昔の話だ。

20歳をとっくに超えて大学も卒業間近の夏。

寄せては返す波が心地よくて、砂に沈んで溶けていくみたいにまどろんだ。


「ニュイ、こんなところで寝てたら駄目じゃん」


弾かれたように目を開けて体を起こす。

水しぶきがパシャリと音を立てたと思うと、水の粒が白い蝶へと変わり数匹が空へと舞っていく。

光に照らされて蝶は七色に瞬いた。

さっき砂浜に座っていた時よりも僕の視線はうんと低くて、遠い昔に慣れ親しんだ声がする。


「暑いから波の中で日光浴してたの?」

「・・・マタン」

「来ちゃったなら仕方ない、ゆっくりしてって」


僕の体は縮んでいて4歳ほどの少年の姿に戻っていた。ちょうど、マタンと出会った頃だ。

周りはすっかり明るくて、太陽はちょうど真上にある。

数センチの海はどこまでも広がっていて、まぁるく光るものが所々浮かんでいた。


「クラゲ星がいっぱい遊びに来てるみたいね!」

「クラゲ星?これのこと?」

「そう、空から落ちてきた星を飲み込んだクラゲのこと」

「これは星の光なのか」


マタンがどこからかタモを取り出して優しくクラゲ星を掬った。

海から上がったクラゲ星がいっそうに光り輝く。

ぷよぷよしたランタンみたいで可愛らしい。


「願いを言うと空に還るのよ」

「クラゲ星ごと?」

「そうよ、そのままフワフワと飛んでいくの」


きっと幻想的で綺麗だけど、願い事を言う勇気は出なかった。

だって星は空に還ってもいいけどクラゲの還る場所は海だ。

軽い気持ちで願うことは出来ない。

タモを下げて海に戻してやると僕の周りをくるくると泳いだ、ほっとして喜んでいるのかもしれない。

マタンは編んだカゴを持ってきて花びらをばら撒いてからいくつか花を浮かべた。

それからストローの刺さった四角いココナッツを浮かべて、僕の方へと指でツンと送り出す。


「これイチゴみたいで美味しいんだ~」

「ココナッツなのに?」

「イチゴ味のイチゴなんて、ここには無いよーだ」

「それもそうか」


ピンクからパープルへとグラデーションした空を見つめた。

そのタイミングで僕の頭上をとても大きな蝶が悠々と飛んで行く。

はばたく風で水面が揺れて、マタンのパーマがかった長い髪がふわりと動いた。

イチゴ味のココナッツジュースを飲み込むと胸に広がる優しい甘み。


彼女の方を見つめると、ニィと笑ってから背中にかけてあったマンドリンを外した。

そして数センチの海にゴロンと寝転がると、そのままいつものように陽気に歌い出した。

僕も再びゴロンと寝転がる。


「空がピンクパープルなのに、海がその色にならないのはどうしてだと思う?」

「色?」


そういえばと思い海を見ると、アクアマリンみたいに透き通る水色だった。手で掬った水は透明なのに空の色じゃない。


「ニュイにはまだ難しいかな?」

「この世界はいつだってちょっと違うから、これが普通とか」

「うーん、まぁそんなに遠くは無いけど」


ポロロンと優しいマンドリンの音が響く。

波の音と風の音も混ざって心が癒されていく。

それから胸がきゅうっとなって、何とも言えない切なさが膨らんだ。


「これは海じゃなくて、空なのよ」

「空?」

「青くて星が光ってどこまでも続いている。ほら、ニュイが見ていた夜空と一緒じゃない」

「まぁ確かにクラゲ星がいるけど」


左手で水をパシャリとかく。

また水しぶきが蝶に変わって飛び立っていった。


「だからこうやってると、星空で寝てるみたいじゃない?」

「うーん、だったら夜空の下の真っ暗な海でやった方が、よっぽどそれっぽいよ」

「海と空は繋がってるからね」


目を閉じてマタンの音色に聴きいっていると、いつのまにか水かさが増えて海の中に沈んでいる事に気が付いた。

目を開けると揺れる水の向こうでマタンが笑っている気がした。


「またね」



空気が漏れて水が体の中へ入る感覚がして、バシャリと音を立てて水の中から体を起こした。

咳き込みながら水を吐き出し肩で息をする。

幸い鼻には入らなかったようだけど、片耳がゴボゴボと音を立てたので頭を叩いた。

海も空も真っ暗で、星は輝き月が煌めく。

かざした手は見慣れた大学4年生の手だ。

夜の海に戻ってきたらしい。

顔をつたう雫は頭からか目からなのかは分からなかった。


「油断してた、やば。5年ぶりだ」


4歳の時、僕は海に流され死の淵を彷徨ってマタンに出会った。

陽気でゴキゲンで歌が好きな彼女は僕を美しい世界に沢山連れて行ってくれた。

夢の中みたいなあの世界は、黄泉の国のようなものらしい。

危うくなるとあの世界に飛ぶらしく、そのたびにマタンが相手をしてくれて強制的に還されてきた。

でも僕は、会えることが純粋に嬉しい。


砂浜を立ち上がって服から水を絞る。

滴った雫は蝶にはならなかった、当り前だ。

ここでマタンと別れを告げるのは2回目だ。

僕はこの海で2度助かった。


「じゃあね・・・マタンお姉ちゃん」


僕が赤ん坊の時に命懸けで僕を救った姉は、毎日遠い夜空で瞬いている。

マンドリンに乗せた貴女の歌声を子守歌にして、貴女は空で、僕は海で。


愛する貴女に想いを馳せ、僕はまた星空に寝る。

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星空に寝る。 白野椿己 @Tsubaki_kuran0

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