Return of memories

鈴ノ木 鈴ノ子

序章

「梨花、少し話があるんだけどいいかな」


 そう言って夫の光一がリビングでビールを飲みながら話しかけてきた。


「なに、忙しいんだけど、そのまま話してくれない?」


 ぶっきらぼうにそう返事をして、先ほどまで光一の前に並んでいた食器を軽くキッチンで流し食洗機へと入れスイッチを押す、食卓からは苛立ち紛れのようにビール缶のカツンッという音が食卓に響き、その後に少しのため息が漏れ聞こえてきた。

 ため息を吐くぐらいのことなら言わなくていいいのに。

 私はキッチン周りの拭き掃除を始める、それが終わればお風呂でゆっくりと過ごすことを考えていると、やがて光一の声が聞こえてきた。


「今週末、空けておいてくれ」


 突然のことに思わず動揺した。

 今週末を開けておいてくれ、だなんて、余程のことなのだろう。

 思わず、大学生となった娘と息子のことを案じたが、2人とも昨日の電話やRainではいつもと変わりなく、それぞれがそれぞれの立場で文句やお願い事を言ってきたから問題はないだろうと思う。

 母親の勘ではシロ、では、女の勘ではどうだろう。

 子供たちが大学に通うために家を出てから2年が過ぎていた。

 幼馴染でそのまま結婚へと至った私達は、世間一般的な夫婦と同じように、いや、世間一般がどうかは分からないけれど、互いに存在を意識しなくなっていた。子育てと仕事に追われる私と、出張ばかりの仕事に追われる光一とのすれ違いは、2人きりになって以降、更に酷くなっていた。

 ほとんど家に帰らない夫、私は自宅に持ち帰ってきた仕事を食卓でこなしながら、毎日決まった時間にRainに入ってくる「今日、ご飯いりません」というテンプレートを何度も読んだし見た。

 今では作り置きすらしなくなっていて、偶にゴミ箱に買い置きのカップ麺の空が捨ててあることが何度か見たが、捨てた当の本人は私がそれに気がついた頃には自宅から居なくなっている。

 もちろん、何度か会話を試みたけれど、「忙しいから」「明日も早いから」と言われ慣れてしまえば、もう、どうにでも良くなった。もちろん、セックスレスでもある。子供が小さい時に疲れているからと断ってきて何度かはあったけれどその後は互いのすれ違いによって失踪してしまった。

 女として求められることも無くなったと悲しみを抱くこともなくなって久しい。


「予定はないけれど、なんなの?」


 手を拭いてポケットのスマホでスケジュールを確認する。

 残念なことに土日とも予定のマスは真っ白だった。まぁ、めんどくさい話なら美容院でも入れようかなと考えた矢先。


「小宮の実家へ行く、兄さん達から草刈りぐらいと家の中を確認しにこい、と言われたんだ。梨花の実家だし、近所のこともあるから、一緒に来てもらえるか」

 

 そう言われて優しい母の顔が浮かんだ。

 2年前に脳梗塞で倒れそのまま息を引き取った母の住んでいた実家は、光一のお兄さんが管理してくれている。

 私としては売り払おうか潰してしまうこと、先祖代々の墓も私の代で村では途絶えるのだろうから、墓じまいをしようと母が亡くなって暫くしてから妹の雅美と話し合い、決まった結論を光一に伝えたが、「少し考えさせてくれ」と言って彼は話を切ってしまっていた。


「草刈り?まぁ、庭も畑もあったものね・・・。だから、早めに処分すればよかったのよ」


 小言のように口走ると最近では見たこともない真顔になった光一の視線がジッと私を見つめる。


「梨花は、それでいいのか?」


「なにが?田舎の家よ、思い入れもあるけれど、私と雅美の間では話がついているのよ。朽ち果てるのを見るのも嫌だし、お兄さんにご迷惑をお掛けするのも嫌なのよ」


「わかった。だけれど、今週末は一緒に行ってもらうからな。じゃぁ、俺は寝るよ、週末は頼む」


「ええ、お兄さんにもご迷惑をかけているようですしね」


 嫌味の一言を添えて私は納得したことを告げる。頷いた光一が立ち上がると空き缶を片付けてリビングを後にした。

 寝室も別々になってどれくらいだっただろうか。

 実家から持ってきた母譲りの発条時計がカチリ、カリチ、と振り子を揺らしながら、音のなくなった室内に響いていた。

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